緊急事態宣言が解除された秋晴れの週末。
雲ひとつない秋晴れ。最高の気候。土曜日日曜日とも、仕事の都合で、アウトドアーで遊ぶタイミングを逃す。知り合いの多くが、この気候を楽しんだフェースブック投稿されて、羨ましい気持ちもあるが、それはそれなりに嬉しい気分。それに、ようやくコロナ緊急事態宣言が解除された週末で、町に活気が戻りそうな気配があり、世の中の空気感に、じわっとした喜び感があるようにおもう。
相談会があった土曜日と日曜日の週末。「まちのえんがわ」の「green」に共感して頂いた女性の方が2名いらっしゃって、ひとりの方は、「まちのえんがわ」と同じように3階建ての1階が車庫だった場所に置いてある車を別の場所に預けて、そこの一部に少しの「green」を置いて、身体をケアーする仕事場として拡充したいそうだ。町を歩く人が、ちょっと足を止めて休憩できる場所になって、ちょっとした些細なコミュニケーションができる場所になり、小さな街角を作れたら嬉しいという。建築関係や街づくり関係でもない、いわばフツウの女性から、大真面目に発せられたそんなコトバが新鮮だし、なんだか嬉しい。
実家の横に建てられていた、ものづくりの工場を受け継いで、女性ひとり住まいの工房兼自分の居場所に改修したいが、その時に、かつて増築された部分を解体撤去して庭にしたいという。里山的な自然の庭があるスペースを作り出したいし、コロナ禍で経験した在宅勤務がこれからも続くので、どこか環境のいいところに移住して在宅勤務でも…ともおもったが、折角受け継いだこの場所とこの建物があるので、ごちゃごやしたこの街でも、居心地の良いリノベーションをし、時にどこかに出かけるスタイルが良さそうに思えてきたと仰る。
生野区のものづくり百景というプロジェクトに少し関わっていると、いろいろな事を教わる。あのロート製薬の本社は生野区にあって、昭和30年代にこの場所に、働く社員のユートピアをつくろうという想いで、池にボートを浮かべることができる工場と研究所を造ったそうだ、グーグルで眺めると、学校の校庭のような場所に池があり桜の木が植っていたという、今はオープンスペースとしての駐車場のようになっているが、そういう明治時代生まれの企業家の方々の先見性というか想いのようなものが、生誕100年ぐらいを経て、現代的になってきたような気がする。
うちの祖父も明治生まれだったが、わざわざ長屋2軒分を解体撤去し、庭を作って、半分は植木だが、残りはオープンスペースとしておけ!このごじゃごじゃした町に何もない場所があるのがエエんや!と言い残していた。知り合いの建築家矢部達也さんはグーグルでうちの家と庭を見て小路のセントラルパークと面白おかしく揶揄していたが、それを聞いて、オープンスペースの大切さや有難さをおもうようになった。ロートさんだってオープンスペースがある社屋が人の創造力を生み出すのに必要だとおもっていたような気がする…。建築家の吉村順三さんも明治生まれの建築家で、ようやく私たち工務店がリスペクトする時代になってきて、そういう建築を造れる工務店でありたという気風も高まりつつあるようにおもう。
いや、明治生まれの人を強調したかったわけでもなく、文章の流れ的にそうなっただけだが、街の中で、家のちょっとした場所に、それぞれの規模にとってのほんの小さな場所を、オープンスペースとして造るコトが、心のオープンスペースにも繋がる。なんてコロナ禍で、それぞれが感じはじめているような気がする。そんな秋の陽気な日曜日だった。