森と木と木材
あれぇっ?と思うような進路で台風が接近し、なんだか今年は不順な天候が多い。休日の外出は、ひとりでスポーツする三密を避ける遊びが中心になって、家族や友人と一緒に集まって遊ぶ約束事やイベントが気軽にできなくなり、とっても単調な休日になりだした。土日ゴルフに行く機会が増えたと協力会社の社長さんたちの多くが語る。平日の夜の外出も全く無くなって、テレビを視聴する機会が増えた。ドラマあまり視聴しないし、バラエティーも飽きてくるし、気がついたらドキュメンタリーに依存してしまっているワタシ。あとユーチューブやネットフリックス。
NHKのドキュメンタリーで、「みやこびと極上の遊び」を何気なく観る。キョウトの世界ってこんな感じなんや。と伝統的な凄みを感じたが、ま、好き嫌いは別として。終盤に、祇園祭の山鉾を住民で建てるシーンがあって、その頂上に建つエエ「杉の木」をチョイスし、ロープで引っ張って木を建てる映像があった。今まで、ほとんど意識したことなかったけど、そういえば、山鉾の上に「杉の木」がニョキっと天まで届く雰囲気で直立している。
前回ブログの藤森さん設計のラムネ温泉館の屋根の天辺にもよくよく見ると杉がニョキっと建っていた。そういえばちょっと前の「ブラタモリ」が諏訪編で、御柱祭のシーンがあって、十年ちょっと前のゴールデンウィークの旅でその御柱祭に遭遇した時の感動を思い出した。
「山出し」というらしいが、山から急坂を滑り落とした「巨木」を「里引き」といって掛け声と共にダンジリのように道路を皆で引っ張っていく。その時撮影した写真で、今見てもあの時の木槍の歌と掛け声のワクワクするような音色が蘇ってくる。諏訪大社で「巨木を曳き建てる」場面には出会えなかったが、偶然そのための準備をしている鳶職のような職人さんから説明を聞いた。
この巨木を里引きする道路沿いに、藤森さん設計の神長官の建物とその奥にツリーハウスがあって、このタイミングで見学すると諏訪の木の精神文化のようなものを受け継いでいるのだなとしみじみ思った。で、天辺に杉の木を建てる京都の山鉾だって、ラムネ館だって、同じ共通する何かがあるのだろう。それをどう解釈するのか。と長年気になっていたら、最近読んだ中沢新一さんのアースダイバー神社編に、このように説明されていた。
「御柱祭は、二つの異質な「柱祭」の結合としてつくられている。第一のタイプの柱祭は、太くて長大な樹木を山から切り出し、それを地面に垂直に立てることによって、宇宙論的な意味を表現しようとするものである。このタイプの柱祭の「起源」はきわめて古い。」
「これを「垂直型柱祭」と呼ぶことができる。樹木によって天と地をつなぐという、古い思想を背景にした祭りであり、諏訪の御柱の基層に、このような思想が潜在していることは、大いに考えられる。」
「この基層的な垂直型柱祭の上に、別の新しいタイプの柱祭の原理が覆いかぶさって、諏訪の御柱祭ができあがっている。ここでは天と地の分離ではなく、人間の住む「里」と野生の「森」との水平的な分離が、問題になる。」
「開発が進んで里と森の間には、大きな心理的な距離が発生するようになった。その距離を無化するために、山から切り出された巨木に森の霊力を詰め込んで、森と里の間の里山世界を引きずり回し、霊力を大地に撒き散らしたうえで、神社に運び込むのである。これは「水平型柱祭」と言える。」
「このタイプの柱祭は、農業技術が向上し、耕地の開発が進んで、各地に豊かな「惣村」が形成されだした、室町期以後でなければ、発達しえない祭りである。それ以前には、里と森はまだ未分化で、里の世界が自然からすっかり分離されてしまった、という感覚はそれほど強くなかった。しかし農業の発達とともに、自然との距離が増大した。水平型柱祭は、そのような疎外感覚を乗り越えるために、民衆の間で発達した。」
「このタイプの柱祭を、海人的伝統を色濃く残す地帯で、いまも盛んにおこなわれている「ダンジリ」型の祭りと、比較してみると面白い。ダンジリでは、船形をした屋台を人々が猛烈なスピードで、引っ張り回す。そうやって海の野生を、街中に引っ張り込んで、浄化し活気づけようというのが、祭りの魂胆である。 ダンジリにおける「海の野生」を、「山の野生」に変換すると、御柱祭の構造があらわれてくる。」
なるほど。と思った。床柱なんて天と地をつなぐ垂直型の思想なのだろ。水平型という考え方が面白かった。今は都市と里山が分離されているのだろうが、都市に「木」とか「緑」が求められ、都市木造といわれるようなビルもできて、ある商店街の中のビルを木造で建てSDGsにも貢献したいという施主の要望によるプロジェクトに遭遇したりして。
木が光合成をしCO2を吸収する缶詰のような役割をしているので、人工林が多くしめる日本の森を間伐し、その木を使い、また植林する事が、CO2の削減を通じた地球温暖化防止になって、ひいては森や川や海の自然環境を守る循環型社会に繋がる。なんて教えられた考え方とも結びついて、いま、都市と里や山が分離されない自然環境と共存する社会。地球環境を大切にしようとする社会。が求められているのだろう。
木村工務店が数多く関わる木造住宅の木材は、「森」で採れた「木」が「木材」になって建築材料として使っている。そういう木を使った循環型社会に貢献する木造住宅として、あらためてもう一度見つめ直してみたいとおもった。