花火。

BSの土曜日夜の番組で、「長岡の花火」のドキュメンタリーを放送していた。大阪人にとっての花火はかつては富田林で打ち上げられるPLの花火だった。野球のいろいろな不祥事があって、どんどんショボくなってきたが、大阪市内に住むワタシにとって、小中高生の頃は、空が真っ赤に染まるのが、大阪市内からも体験できて凄いなぁっとおもっていた。あるPL花火大会の日、親父が、会社の屋上に上がってみ。と言われて屋上に上がると、トランシットが据てあった。もちろん、その時が初めてトランシットというコトバと道具に遭遇した日で、トランシットで見たPLの花火が、ワタシのトランシット初体験となった。

奥方と付き合い結婚するようになると、実家が富田林だったこともあり、8月1日のPL花火大会は、一大イベントになった。その日はお祭り騒ぎで、奥方の実家で皆で食事をするのが恒例になっていた。ちなみにワタシが住む小路の清見原神社のお祭りは、7月31日と8月1日で、それまでは「だんじり」のカネと太鼓の躍動的なリズム感に心躍らされていたが、子供たちが大きくなる暫くまでの8月1日はPL花火のドカーンと響く低音に心躍らされることになった。

大阪から長岡は遠い。未知なる場所といってもいい。確か天皇が即位するゴールデンウィークの年だったようにおもう。新潟長岡にある馬高三十稲場遺跡にある縄文土器を見て、長岡の街に泊まろうということになった。奥方のお父さんの系譜を辿ると長岡出身になるらしい。そのお父さんが亡くなった次の年でもあり、奥方もその系譜に触れたそうだった。それに、義父は、亡くなる前に、孫たちそれぞれににコトバを贈っていた。その中に長岡出身の山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて……」と続くあの名言がはいっていた。

その時の旅のもうひとつの楽しみは、長岡から信濃川を遡上しながら十日町などの縄文文化に立ち寄り長野県を目指すことだった。その長岡駅前のホテルにチェックインすると、奥方がひそひそと私に耳打ちする。あの横でチェックインしている綺麗な女性、モデルのにしやままきさんやでという。ワタシはキョトンとしていたが、その女性が、この長岡花火のドキュメンタリーの解説者のひとりとして出演していた。長岡を訪れるまで、PLの花火が日本一だと聞かされていたが、現地で長岡花火大会の素晴らしさを吹聴されて半信半疑で調べるうちに興味が湧いてきていつか体験したいとおもっていた。

なによりも、丘で打ち上げられる花火よりも川で眺める花火の方がきらめき感があるし、その川があの独特の縄文文化を産んだ信濃川なのだから羨ましい。ということより、今回改めて認識したのは、鎮魂のための花火大会だったということ。空襲。地震。そういう花火大会は、造る方も観る方も思い入れが深くなるのだろう。来年はコロナ禍が鎮魂として加わるのかもしれない。あの縄文土器や土偶だって、鎮魂や祈りの要素を感じてしまう。淀川や大和川とは違う信濃川の雰囲気が独自の文化を生み出しているような気がするなぁ…なんて感じながらテレビを見た。

日本一を目指して浮き足立っているのも悪くはないが、地に足がついている雰囲気はもっとエエよね。花火をフツウに鑑賞できる来年になるのだろうか。