お天道様

雨が降り続いたお盆休暇。木村工務店では16日月曜日から通常営業です。

この一週間、太陽を見ることがなかったような気がする。なので、お天道様なんていうコトバが過った。暑くて暑くてどうしようもない蒸し暑い夏でなく、雨が降る涼しい夏を最初は歓迎していたが、3日も4日も5日も雨が降り続くと、太陽が輝り続ける灼熱の夏が恋しくなって、なによりも「太陽」をありがたくおもう気持ちさえ芽生えてきた。天照大神とか大日如来とか。太陽を信仰する気持ちが理解できるような気がする。「太陽」ってエエよな。なんて。

最近参加している町の工務店ネットで、建築家秋山東一さんが主導する設計道場というのがあって、主に工務店の設計者が参加する設計を学ぶ場なんだけれど、最近そこで、図面の上を北にするのでなく南を上にして図面を描こうという取り組みがあって、それは秋山さんの師匠である建築家の吉村順三さんに端を発するものだそうだ。ちなみにワタシ、24歳で木村工務店に入社して、住宅の設計をさせてもらった時に、図面を南を上にして描いた。それは太陽が上から注ぐので、図面の上が南である方が太陽の光を感覚的に捉えやすく、太陽の運行が東から西に流れていく感覚と図面上で太陽が左から右に流れていく感覚がフイットしていたからだとおもう。そしたら当時専務だった親父に、図面は北を上にして描くもんや!と訂正されたが、気学とかでは南を上に描いているけどな。みたいなコトバが発せられたのが懐かしい記憶として残る。

家と「太陽」の関係性は、日射取得とか日射遮蔽とか太陽光発電や太陽光ソーラーなど科学的要素だけでなく、メンタリティーにも大きな影響を及ぼすと、この雨が降り続くお盆休暇を体感するとそうおもう。家の中で体感する太陽の光と影が案外心地良いものなのだ。それを感じられない連続する雨の日々は少々寂しい。そうそううちの家の仏壇は東に向いている。仏壇は南に向くのが良く東に向いても良いらしい。なんていう建築的敷きたりみたいなものもあるが、曹洞宗であるうちのお寺のお坊さんは、東西南北どちらでも気にすることは全くないと言っていた。家と太陽の素直な関係性をあらためて考えてみたい。

今日15日はお盆なので、雨が止んだ昼前を選んで、お墓参りをしてきた。数年前までお盆は夏休み休暇で遊ぶ時だとおもっていたが、祖父母両親を亡くすと流石にそんな不義理もできず、魂が帰ってきているのかどうか実感はないものの、お参りをするようになった。そういえば、数十年前にまだ整備もされていない頃の秋田の大湯環状列石を訪れると、その立石は夏至の日没の方角を指していた。縄文時代、夏至の日にお墓でもあるそのストーンサークルで帰ってきた死霊とともに踊ったのではないかという。それが盆踊りの起源ではないかという。太陽の運行と日中の長短の極端が、見えない世界と現実世界を結ぶ橋わたしの役割をはたしているのが面白い。そうそう、うちの家のある大阪では地蔵盆というのが、この夏休みの終わりごろにあって、各町会のお地蔵さんで盆踊りをしお菓子が配られる。それが終わると夏休みが終わる気分になって独特の寂しさがやってくるのだった。

コロナがあり、オリンピックがあり、長雨の夏休みがあり、ちょっと特異な夏だった。まだその余韻が続きそうでもあるが、ま、とにかく、これからは太陽の力をより意識しながら家づくりをしていきたいとおもう、お盆休暇だった。