インスタ的
セミがうるさいぐらい鳴き続ける今年の夏の朝。昨年はなぜか静かな夏だった。それはコロナの影響だと思っていて、今年は盛大な大合唱なのでコロナが鎮まるはずなのに、また勢いを盛り返し、コロナと蝉は関係なさそうだ。それにしてもまた緊急事態宣言でなかなか収束しそうにないなぁ。そうそう庭の片隅で静かに後尾する蝉を見た。なんとも不思議な気分だ。暫くして気がついたらいつしか静かに飛び去っていた。
海の記念日は、しまなみ海道で自転車で走るのがルーティンになって7年ほど経過する。今年も。自転車で島と島を結ぶ美しい橋を渡るには坂道を登らなければならず、それが最初はタイヘンだったが、数を重ねるうちに慣れてきた。橋を自転車で通過する時、風を感じながら、海の景色を見下ろし、空を見上げると、こんな景色に遭遇した。
橋を渡る楽しさ以上に、フェリーに自転車を積んで島々を渡るワクワク感が独特に楽しい。和歌山の海は男っぽい荒々しい力強さを感じ、大海原の向こうにアメリカ大陸を想像し壮大な気分になる。瀬戸内の海は女性的で湖のような穏やかさを感じる。フェリーに乗ると海の向こうに島々があって、橋があって、造船所があって、集落があって、時折ピラミッドのような三角錐の山も見えて、箱庭の情景を見ているようで穏やかなワクワク感。
朝日を観るのはお正月ぐらいだったが、しまなみ海道に行くようになってから、さまざまな朝日を見てきた。上の写真の造船の横にある三角錐の積善山は南から北を見ている景色だが、西からその積善山を眺めると朝日とコラボレーションする。朝日が昇る前にオレンジ色に空と海が染まった。朝日の前に空と海の間で、両手をあげて腹出して穏やかに横たわる人。みたいなイメージ。
瀬戸内は穏やかな海。と言ったが潮の流れが激しい。「潮待ち」なんていうコトバを知ったのも自転車に乗ってからで、潮の流れが落ち着くのを港町で待機することで栄えた町に御手洗(みたらい)という集落があって、もう何度も訪れているが、何度行っても楽しい。ほんの小さな街の中に劇場があったり歓楽施設があったり時計屋さんがあったり。面白いのは、海上交通と海と島と潮の流れと集落が潮待ちによってひとつの独特の文化を生み出したことで。もはや観光地だが立ち寄るたびに不思議な気分になる。いまはインターネットという交通手段とパソコンと携帯がホームページとSNSという滞留によって新しい文化が生み出さる時代なのだろうか。そうそう御手洗の町の中の地元の人が通う食堂があって、そこのラーメンが素朴で美味しい。個性がない普通のラーメンなのだ。昔、家で母親が作てくれた普通のラーメンの味を思い出した。
暫く、しまなみに通っていると、お洒落なお店がどんどん増えてきている。アウトドーアーにキャンピングカーで芝生とパラソルと海と島。コマーシャルに出てきそうだ。流石に自転車乗っているおじさんにとっては暑すぎてクーラーのないカフェでは休憩できませんでした。
生口島の商店街の海側からの入り口に、以前から大きなエエ古民家があるなぁっと思っていたら、それをアマン創業者がお洒落なホテルと銭湯とカフェにしたらしい。外から見ただけだが、丁寧な漆喰塗りでお金を掛けたきっちりとしたリノベーションのようだった。チープさや素朴さがリノベーションの主流になってきたが、こういうのは外国資本でないとできない時代になってきたのかね。
木村工務店では、8月8日の日曜日から8月15日の日曜日まで、夏休み休暇です。皆さん、コロナ禍ですが、それなりに素敵なインスタ的夏休みを過ごしてみるのも如何でしょうか。