TOKYOオリンピックとコロナとPARIS

TOKYOオリンピックが開催されて、それなりの開会式だったとおもう。呪われた。とおもわず表現してしまいたくなるオリンピックメインスタジアムだが、そもそもザハのプランが採択されて、それが中止になったあの経緯から不穏なムードが立ち込めたな。まさかコロナで一年延期になるなんて誰が想像しただろうか。

ワタクシ的に一番良かったのは、人が入らない時でも会場の座席に賑わいがあるように座席の色彩パターンに独特の変化をつけたことで。本当に人が入らないオリンピックスタジアムになって、まさか、あの「座席」が、パフォーマーの背後で賑わいを演出するなんて。「木」を使ったメインスタジアムであることなんて吹っ飛んだよね。そうそう、ピクトグラムのデザインが1964年の東京オリンピックから始まった事をアナログなパフォーマーの演出によって改めて認識する機会を得たのが良かった。

そういえば、先々週のツールドフランスの最終日パリの映像に、コルビジェのサボア邸が、上空からのヘリコプター映像で流れて、フランス人の解説者がこの建物の事を日本語で翻訳して説明すると、それを聞いた日本人の解説者が、行ってみたい気分になりますね。っと言った後、「フツウ」の建物ですよね。白金にあるような建物ですよね。っと言った。知り合いも、後日この映像を一緒に見ながら、「フツウ」の建物ですけど有名⁈っと聞き返した。

そうなんだなぁ。もはや日本人から見ればフツウの建物にみえるこの建築を、諸先輩がたの建築家が、コルビジェをリスペクトし、日本の街の中にサボア邸を真似たようなフツウの建築を数多く出現させているコトが凄いコトかも。と思えてきた。サボア邸がフツウであるというコトバを聞いて、もう一度フランスの街並みはを観ると、確かにオールドでとっても美しいが、ほとんど時間が止まったかのようなオールドな建物の中に、エッフェル塔やガラスのピラミッドがあるルーブルやポンピドーやサボア邸などなど、ちょこちょこっと、新しい時間軸を積み重ねていく建築が、うまく混在しているのがパリをモダンに感じさせるのだろうか。

今週初め、コロナの第二回接種をする。昼過ぎインテックス大阪の会場では、いたってスムーズなオペレーションで進行し今回もあっという間に注射器が左腕に刺さって接種が終了した。別になんて事ないなぁと思っていたら、夜中に左腕のだるい痛みで一瞬目が覚めた。翌日は一日中左腕がだるかった。普段より熱は3分ほど高めだったが高熱には至らなく、いまは全く違和感はない。

コロナ禍のオリンピックが東京で開催され、次がパリであることが、なんだか特別な因果関係があるように思えてきて。何度も禍に遭い禍を払拭しようとしてカタルシス的に時間軸を積み重ねていくTOKYO。そのカタルシス的なオリンピックの後に、時間軸をうまく積み重ねていこうとするモダンな花の都PARISで開催されるオリンピックは、祝祭ムードのお祭り騒ぎになっているのだろうか。新しいモデルのオリンピックになっているのだろうか。