「地名」

今週水曜日の朝。庭で蝉の初鳴きを聞く。ミーンミーン、ミーンミーンとツーフレーズ鳴いて静かになった。夏がやってくる宣言のファンファーレのようだった。正午。お昼を食べるため会社向かいにある自宅で寛いでいると突然の雷。しかも光って直ぐゴロゴロドーンだった。何度も何度も繰り返し雷が響く。大粒の雨。暫くするとフツウの雨音じゃない。バチバチバチバチと音がする。よーく見ると、「ヒョウ」だ。えっとおもうほどの大粒のヒョウがバチバチ音を立てながら降り注ぐ。屋根は大丈夫なのかとおもうほどの大きさの氷の塊が空から投げつけるような強さで降り注いでいる。初めてみたなぁ。

玄関の扉を開けて外に出ると。道路が冠水していた。40cmほどの深さ。長靴がないと向かいの会社に渡れないほどの深さだ。親父が、かつて長屋だったこの家を建て替える時に、一番大事に考えていたことが、この場所は冠水するので、基壇を造って床下の高さを上げることだったらしい。そのお陰で床下浸水は免れた。

古い「地名」というのは、その場所の「土地」の形態、地形を表していることが多い。会社の住所は「小路東」という地名だが、小道(こみち)がいっぱいある場所として「小路」という名前は相応しいとおもうが。それは近年の事で、大昔からの大地があって、ある時人が住みだし、集落ができ、田畑ができ、人口が増えてくると、田畑を耕地整理して住宅地になって小道に家が立ち並び路地もいっぱいできた。そんな時代は、会社のある場所の地名は「大瀬」だった。きっと大昔、このあたりに「瀬」があったのだ。うちの家は大きな瀬の上に建っているのかもしれない。

すぐ隣町は「腹見」という地名で、天武天皇が飛鳥宮から難波宮まで興行した時に、通過地点のその辺りは、こんもりしたお腹のように盛り上がっていたという。天皇に娘さんがお腹を見せて踊り喜ばしたという逸話もあるが、まそれはそれとして、確かにうちの家から東の生駒さんの方角に100mほど向かうと微妙に土地が高くなっていく。水曜日の雨では、冠水はしていなかったようだ。近くにある地名には「深江」とか「片江」とか「中川」とか「猪飼野」とか「鶴橋」とか、その場所がどんな大地でどんな形態だったのかを次の世代のための記憶として留めておこうとするのが「地名」でもあるようにおもう。

西成の崩落したLIVE映像を見ると「崖地」に住むのは注意が必要だなとおもう。熱海の土石流の事故をLIVE映像で見ると「谷筋」に住むのは怖いな。「尾根筋」の方が良いよね。なんておもう。東京の地名を見ると「渋谷」とか「代官山」とか「下北沢」とかかつての土地の姿を想像させる地名が残っているが、数十年前に、大阪のうちの家の周辺は「腹見町」と「大瀬町」が「小路東」に町名変更になった。反対運動もあったらしい。ワタシはその場所の大昔の大地の形態が表現されている地名が好きだなぁ。

そうそう、中沢新一の「アースダイバー」という本のシリーズが面白く、大阪編も良かったが、最近読んだその神社編は圧巻だった。その巻末に「アースダイバーの試みをとおして、私は土地の形態とその上につくられる人間の精神構築物とが、たがいに独立系をなしているのではなく、相互嵌入しあうことによって、複雑な統一体をつくっている様子を、あきらかにしようとしてきた。」と書かれてあった。

大瀬町だった頃のワタシの小さい時の記憶の中に、長屋だった家の玄関が冠水し、靴やスリッパがプカプカ浮いている記憶がある。一度だけでなく数度。その靴が浮いている姿を不思議そうに眺めている後ろで大人たちが騒めきあっている音の記憶が残る。おそらく親父のその時のその騒めきが建物の基礎を上げて基壇を作る設計と施工に繋がったのだな。