「Live」
断続的にたっぷりと雨が降り続いた今週。そして久しぶりの快晴の日曜日。なんだか夏がやってきた気配。こんなエエ天気なのにアウトドアーにでるタイミングを逃し朝寝坊した。なのでサウナ行って、コメダでブランチして、ホームセンターに立ち寄ると、入ってすぐの入り口が、室内に置くグリーンが並べられたコーナーに変わっていた。それだけ緑を買う人が多いのだな。
そんな流れに乗っかってうちの中庭のグリーンもバージョンアップした。以前は土の純和風の中庭で、モミジが植って、つくばいが鎮座していたが、リフォームの時に、防水をして、床と同じ高さのコンクリート版にし、鉢植えの木を置くことにした。既に家の西側にオープンスペースと森を目指した庭があるので、中庭は違う趣向がエエように感じていた。今までの和風ではない植物のある中庭。植景研究所の家谷さんが、基壇と鉢だけを置いて、あとは自分たちで植物を工夫したらどおっという。植物を植えない植木屋さんなのだ。ところが、どんな植物を投げ込むのが良いのか試行錯誤が続いて、いまいちの状態が続いていたが、コロナ禍の中で、まちのえんがわの園芸店化をきっかけに、インスピレーションを得て、こんな感じに進化した。
緑を五感で感じてその生命力をライブ感として楽しむ。っていうライブ感と違って、最近、「LIVE」という映像によるライブ感を楽しむ機会が増えてきたようにおもう。
昼食時。テレビを付ける。お昼のワイドショーが微妙にいまいちだ。なので、BSに切り替えてみると、エンゼルス対レッドソックス戦(間違っているかも)が流れてきて、「LIVE」と表記されている。あっ、大谷がバッターボックスに立っている。えっ!今!と思った瞬間、芸術的な力みのないスイングで豪快なホームランを打った。美しい!カッコエエ!凄い!気持ちエエ! それが今、アメリカの球場で、リアルに起こっているのだ。ダイジェストと違う緊張感のある魅力が「LIVE」にあるよね。
ワタシが「LIVE」という書体を意識したのは、高校生の時。ボブマレー&ウェイラーズのレコード「LIVE!」を買って衝撃を受けたのが最初だとおもう。ジャケットの「LIEV!」というデザインが印象的だった。あの臨場感と一体感。20歳すぎまでは、リアルのライブコンサートに何十回も行ったが、生のコンサートで感動を得られるコンサートは、ごくごく少数だった。記録された様々なライブ音源に感動した事の方が多かった。その記録されたLIVE!といまのLIVEはちょっと違う感覚。インターネットの発達によって、ある場所での「いまとここ」が、離れた場所の「ここ」で、そこの場所の「いま」が「LIVE」映像として多くの人といま同時に共有されているのがいまのLIVE感覚なんだろう。
zoomによるミーティングも「いま」を共有する「LIVE」だな。先週は、協力業者との精親会総会をオンラインで開催した。コロナ禍によって、リアルの顔合わせがなくなって、オンラインで近況を報告しあった。時間は長くなったが、ダラダラが少々許されるのが、オンラインミーティングなのだろう。それはそれなりにやってみて良かったとおもう。そういえば先週と今週は「空き家カフェ」もオンライン。「A2プロジェクト」もオンライン。「コアリノベ研究会」もオンラインで開催された。双方向「Live」もそれはそれなりに楽しい。いっそのこと、オリンピックも家で応援する観客が参加できる双方向のLive配信になれば良いのに。
なぜか今年のツールドフランスが面白い。ダイジェストを見るよりLIVE配信の方が圧倒的にエエ。特に前半部分でのフランスの街の映像が楽しみ。LIVE映像の中で自転車と共に街が流れていく光景が良いのだろうか。走馬灯のようにそれぞれの心の中に囚われている心情風景を流させる効果があるのだろうか。リラックスして必ず寝落ちするムードの前半の雰囲気から、後半部分のスポーツとして緊張感が高まる雰囲気のバランスが魅力なのか。各地を巡礼することも含めて108年続くイベントとしてよく出来ているよなぁ…。
建築的なLIVE映像として、あの西成区で崖から建物が倒壊したテレビ映像があって、一棟だけ残っていたが、それを解体撤去する作業をYouTubeでLive配信をしていた。凄い時代だなぁ。水圧で土を削っていたよな。工務店の立ち位置としておもうのは、現場監督やその作業員になった人たちは、一挙手一投足が配信されるので緊張するだろうな。スポーツの配信だけでなく、大工の上棟も配信される時代になるのだろうか。
「LIVE」な映像の時代なのだ。