里山と集落
梅雨には紫陽花が似合う。うちのアジサイの花びらもどんどん増えてモリモリになってきた。今週は雨が降り続いたが、晴れ間が覗く日曜日になって、里山を自転車で目指す。5月6月は里山が特に素敵だ。うちの長男の奥方は福島県出身で、5月の田植えの時期はお祭りみたいな雰囲気だという。確かに、最近、ようやくその感覚が理解できるようになってきた。
水田に稲の苗が植っている景色は、工務店のワタシにとっては木造住宅の上棟みたいなものだと感じる。その水田で苗を植えている人々の働く姿が美しい。上棟式で2階や3階の梁の上で作業する大工さんが目茶苦茶カッコエエのと同じ雰囲気を感じる。その後に祝宴をする上棟式では、皆で安全無事な竣工を祈り上棟を祝福するそのエネルギーがその家に宿って欲しいとさえ思う。そんなようにというか、それ以上に、稲作をする人々は、無事に稲の成長を願いながら、田植えの後に祈り祝福しながら食事を共にするのだろう。よくよく考えてみれば、稲作の文化から上棟式が生まれたのかもしれない。
生野区という超密集市街地に住むワタシにとっては里山との繋がりは薄いし田植えとも無縁であるが、このコロナ禍によって、5月6月の日曜日にこんな余暇が生まれ、里山と接するこんな機会が生まれた年は今までになかったとおもう。それで、半分仕方なしに、自転車に乗ってみると、大阪市内から富田林や河内長野に行くと、まだまだ里山的光景がいっぱい残っている事に改めて気付く。都会の住宅の庭を見て京都の庭園を想起するより、里山を想起する庭の方が今流行りのSDGs的でエエのかも。
車や徒歩と違って、ロードバイクのスピードと距離感は、里山や集落を知るには最適だな。車のスピード感とガタイの大きさでは、里山や集落に停車しにくい。徒歩も電車を使いながらそういう里山や集落を散策できるが、ポイント的で、ディティール的で、全体像が掴み辛い。生野区の街を巡るにはママチャリが最高だし、安全で荷物も置けて便利だ。ワタシも生野区では電動ママチャリを愛用しているが、里山や集落や街道や海道や峠を目指すにはロードバイク的機動力がないとしんどい。ただ、道具とか服装とかちょっとしたハードルも高い。
家から金剛ロープウエーを目指す。途中に富田林や河内長野の里山風景に寄り道しながら到着した。ちょっとヒルクライム的要素があった方がロードバイクは楽しい。下り道、河内長野の集落に入る。川と高低差と集落と山の組み合わせがエエのだろう。こんな集落の古民家にオーガニックなパン屋さんがポツンとあったりするのが今風だし、ネット社会がこんなところまでお客さんを呼ぶのだろう。千早口方面に下る。通称トトロ街道という道があって、今まで行ったことがないので、トライする。確かに里山的でちょっと暗い感じの木々に囲まれた雰囲気がトトロの出現を予感させるのか。
今、街なかの3軒が関係性を持つ住宅地の計画があって、オーソドックスな南向きの分譲地みたいな宅地として計画されようとしていたが、それぞれが宅地を購入するにあたって、賃貸住宅でないのに、里山の集落のように、土地をシェアーしたり共有することによって、その土地の付加価値が上昇する。街なかで、そんな宅地の計画って可能なんだろうか。なんていうのが、ここ2週間ほどのテーマだった。そんな意味でも改めて里山や集落を学んでみたいものだ。