greenと大地と土地価格
紫陽花の季節。今年から我が家も桜の幹の横に紫陽花を植えたら、青色の紫陽花が咲いた。赤色の方が良かったかもっと奥方が呟いた。ネットで調べると、土がアルカリ性なら赤色になるらしい。石灰とかを撒いてアルカリ性にすれば良いのかとおもったらアルカリ性になる肥料があるという。いまだ不要不急の外出制限中なので、家のgreen観て、心安らぐのが、「いまここ」的感覚なのか。
なので、家の中にgreenを置きたい。ベランダにgreenが欲しい。小さな庭でエエので木々や下草を育てたい。家の前にgreenを置いて育て、道行人にも楽しんでもらいたい。なんていう要望が増えてきたようにおもう。今日は葉っぱが元気やよねとか、ちょっと枯れてきたわとか、花綺麗に咲いてますねとか言われて、一喜一憂しながらgreenを通じて、この地球という居場所で、太陽や雨や風や自然環境が織りなす気候となんだかんだ関わっているコトが実感できるのが、今のオモシロイコトのような気がしてきた。
住宅相談会の日曜日だったが、前日の土曜日に相談にお見えになったご家族は、建築条件付きの土地を購入予定だが、どうもその家が、納得できないという相談だった。建築条件付きを外すのに、そこそこの対価を要求されるのはフツウのコトになっている。ま、業者側にとっては当たり前といえば当たり前の事なのだろう。土地だけで経費を出すだけでは不足で、家も売った経費を出して、ようやく利益を生んだという感覚なのだろうが、どうも、家が欲しいお客さんからすれば、最近の売り建ての土地の価格と家の価格とのバランスが悪いと感じているようだ。総予算の中で、土地価格が高過ぎて、家が希望する性能やデザインや居心地の良さではないという…。多くの若い人々が、土地がもっと安いコト。土地価格が高騰しないコトを切に望んでいるようだった。家にもっと予算を掛けたいと。
午前中のAさんは、大阪のビル街のど真ん中に3階建ての間口の狭い住宅をお持ちで、それを売るか、そこをリフォームして住まうかをお悩みのようだった。有名建築に「塔の家」というビルの間に挟まれたモダン建築があって、東京の一等地の9坪ほどの敷地にコンクリートの塔のようなモダンな建築が建っている。そのイメージが湧いてきた。それよりもうちょっと土地は広い。低層の密集市街地の生野区に住むワタシにとっては、こういう高層のど街中にひっそりと住むのも憧れる。本日の担当者のタカノリと一緒に、即興でプランした。入り口に、ほんのちょっとしたオープンスペースがあって、ほんのちょっとしたgreenを育てたいという。そんなのが嬉しいし、エエ感じ。
午後からのBさんご家族は、生野区で土地を探して新築住宅を建てたいという相談だが、土曜日のご家族と同じで、建売住宅の土地価格と家の性能とデザインのバランスが納得いかないそうだ。同じような若い家族がほんと多い。中古住宅を購入してリフォームという方法もあるが、生野区には長屋が多く中古住宅一戸建てが極めて少ない。インターネット上のSUUMOで検索し、好みを共有しながら、ある候補の土地を探し出し、それをグーグルのストリートビューで探し当てて、予算で可能な、ちょっとしたgreenがある新築ができるかどうか、木村工務店で施工した今までの建物を参考にしながら、検討した。案外、こういう時間は楽しい。
午後からのCさんは、マンションリフォームのご相談で、築20年近くなると、ユニットバスや便所や洗面を交換したくなるという。キッチンの家電製品も20年ごとに新しくしたくなるのは、うちの奥方も含めて、多くの女性的願望なのかも。何だか天照大神が住まう伊勢神宮の20年に1度の式年遷宮みたいではないか。そういえば、前日の土曜日に打ち合わせがあったご夫妻も同じようにマンションリフォームで、そろそろお風呂と洗面と便所を交換したくなってきたのが、コトの始まりだった。無印のインテリアコーディネーターの女性とコラボしながら建築的な「棚」の設計を考案中でもある。
庭は、あのかつての庭らしい庭ではなく、自然な樹形の自然な下草のある里山的で小さくてカワイらしい庭を望んでいるような気がするし、greenもちょっと多肉的でいま風のgreenを望んでいるような感じがするし、コロナ禍的で都会的が過多になってくると、大地との繋がり、自然(じねん)との繋がり、地球との繋がりを想起してくれるgreenを強く求めるようになってくるのだろうか。