スケール

 

しっかりと一日中降り続く春雨の日曜日。あっという間に近くの公園の桜が開花した。うちの庭の枝垂れ桜も枝に蕾が並び夕方には一輪が可愛らしく開花した。例年より早く、一気に春にシフトチェンジさせる連休だった。この春雨を家で眺めていると、どことなく憂鬱感も押し寄せる。コロナ禍の影響もあるのだろう。時としてそういう感じがエエ時があって、雨降りだから本でも読もう。音楽でも聴こう。そんな気分にさせてくれる春雨で、本棚に買ったままで全く読んでいなかった本を手に取ってみた。

年末の12月30日にお墓参りに家族で行って、その帰りにお墓近くのスタンダードブックストアーに立ち寄って購入したが、本棚に横積みに置いたままだった。「スケール」(生命、都市、経済をめぐる普遍的法則)とサブタイトルがついていて、読みにくそうなので、本棚の飾りになりそうだったのに、この雨が、この本に手を差し伸べるきっかけを作ってくれた。そうそう今年初めスタンダードブックストアに手加工の自転車ラックを寄贈した。

「スケール=大きさの程度」というコトを時々考える。家の大きさとか会社の大きさとか町の大きさとか。いま住んでいる家は、祖父が造った長屋が手狭になり親父が新築で立て直しそれをワタシがリフォームした。2階建てで50坪近くあった家を受け継ぐにあたって、2階を減築し平家の30坪ほどの住宅にリノベーションした。スケールを縮めて維持管理しやすくしたかったが新築に近い費用が掛かって効率が良かったのかどうか。ただ新築ではできない何かが引き継がれたとおもうが、こういう家の、スケールを大きくしたり小さくしたりする持続的な編集作業のような行為が、持続可能な家として繋がっていくのかどうか。

先週、同じように両親から受け継いだ古民家の改修工事をしようという打ち合わせがあって、初めて現地を観る。お施主さんと設計事務所の松元くんと私の3人で計画段階から打ち合わせを繰り返している変則的スタイルだ。そこそこ大きい庭と土壁の納屋があり、当初は、隣家を購入して道路からのアクセスを良くする計画で、スケールオーバーな感じもしていたが、購入を中止してから打ち合わせがスムーズに動き出した。息子さんの代に引き継げるようなリフォームと運営をしたいと仰っる。持続可能な維持管理をしていくスケールはどれぐらいが最適なのかと一緒に悩む。

工務店の規模もあるクオリティーの建築を造るためにはどれぐらいのスケール=規模がエエのか…とおもうし、生野区の空き家問題に携わっていると、小学校の統廃合が始まって町が更新されていく現状に直面すると、どれくらいのスケールの町が良いのだろうか…とおもう。先週19日久しぶりに空き家カフェを対面で開くことになったら、その廃校になる生野区の御幸森小学校とその地域を題材に卒業設計を製作した大阪大学の建築学科の女生徒が、最優秀賞を受賞したと、報告がてら「みゆきもりくんモノガタリ 小学校の終焉と懐かしい未来」というそのプレゼンをしてくれた。こういう若い人の考え方や気持ちが、古くから住む地元の年長者に勇気を与えることになればとおもう。

先週、生野区の空き家繋がりのハシヅメくんが、嵐山でカフェとゲストハウスをやりたいので、現地を見て欲しいと、タカノリとハヤカワくんの3人で赴く。「ゲストハウスによくあるチープじゃない、洗練されて厚みのある、でもなじみのある空間を創りたいです!」というメッセージ付きだったが、建物のスケールが丁度エエ小ささなので、そういうことが実現出来そうに、なんとなく想えた。あんなふうに、こんなふうに、考える若い世代の人たちと一緒に、仕事を共有していけたらとおもう。