梅と集落
春かも。雨降る土曜日。昼過ぎに奥方と奈良公園近くに行く所要があり、大阪から直接行くのを躊躇って、梅を見るために月ヶ瀬経由で大回りして行く事にした。梅を見るためにドライブしたことがない。梅の花見なんて、なんとなく年寄りくさいって思っていたら、もうすっかりそういう年齢になってしまった。奥方の友達の勧めに従って、雨の中をドライブして目的地の駐車場へ。
公園みたいな所で、梅を観るぐらいの気分でいたら、集落沿いの道を歩いて登りながら、梅が咲き乱れ、その下に月ヶ瀬の川が見えて、絶景。こんなにエエとは知らなかった。丁度雨が止んで、傘をささずにすんで、お客さんも少なく、なんか得した気分。桜のウキウキ感とは違う梅のしっとり感。春間近だなぁ…っていうしみじみ感の梅と、春を皆で祝いたい祝祭的な桜。梅と集落と周辺の景色と季節感と生活感が混在する雰囲気に魅力を感じたのだろう。
ワタシ、梅を観ると、なぜか、必ず想い出す映像があって、特に段々畑のような所に咲く梅を観ると、黒澤明の映画「夢」の、桃畑でのワンシーンがフラッシュバックする。不思議だ。ただ、ずーっとその映像の花を梅だと思っていたが桃らしい。桃と梅と桜は近づくとなんとなく判別するが、遠目には、時々、これ、梅?それとも桜?なんて、何度が奥方と呟きあったりする。そういえば、杉と檜の違いを知るために、親父との車の中で、何度か、この木、杉?それとも檜?なんて聞いて、それは檜。葉っぱの先よく見てみぃ!なんていう車の中の会話を、杉と檜が混在する道沿いをドライブした時々に想い出す。
午後2時から関西大学でお世話になっている江川教授の最終講義があって、現地とズームの二刀流だったので、所用の都合でズームを選択し、猿沢池前のスタバでスマホにイヤホンをして視聴する。その間奥方は目の前で珈琲飲みながらスマホで時間を付き合ってくれた。徒歩移動中もイヤホンで聴き続けた。コロナ禍があったからこそ、成立した、オンライン視聴というスタイルなんだろうが、こういうのは凄く有り難いし、これからもいろんなところで継続してほしいスタイルだな。
江川教授の講義と教え子たち3人の発表があって、そういうバランス感覚が良かったが、「集落」というキーワードが頻繁に登場した。月ヶ瀬の集落を歩いた直後だったので、思い返しながら聞いていたが、確かに、日本のこれからの集落が、観光地的であっても生活感を失わない集落として存続していけるがどうか。若い人たちのエネルギーとともに環境やデザインに対する文化度にも委ねられていくのだろう。そうそう、夜BSで養老孟司さんのテレビを見たら、文化は解毒剤と言っていた。人が、都市が、バランスを取るために、文化が、アートが、解毒剤の役目として必要だそうだ。