家を楽しむあれやこれや。

緊急事態宣言が再び発令され。にもかかわらず、正直、前回ほどの危機感が薄らいでいて、それではいけないよ。と政府やメディアが伝えるものの、いまいちピンとこない部分があって、確かに、コロナウィルスに感染したくないのに、この感覚なんなのかね……。交通事故が日常的に様々な形で伝えられているにも関わらず車に乗り続けている私。のような感覚に近づいてきたようにも思う。

そんな2度目の緊急事態宣言下の最初の日曜日。朝から、今年初自転車でも。サウナでも。なんていう気分もあったが、躊躇した。前回のブログに書いた「スキーと恐竜とカニ」の行動に対する罪悪感のようなものも忍び寄ってくる同調圧力的昨今。医療関係者に配慮した自粛という感覚も現実味がどんどん大きくなってきたし、スティホームを楽しむのが、最適な、いまなんだろう。

朝、ゆっくり起きて、珈琲をドリップで淹れることにする。そうするためには道具が必要だし、その道具の置き場所も必要になってくる。道具はインターネットで買えるようになって、外に買い求めに行かなくても、家に届くのが、あらためて凄いコトだとおもう。その道具の置き場所が機能的でちょっとカッコ良く収納できているのが、楽しいし、そういうのに工夫することが「家を楽しむ」コトのひとつなんだろう。

そうやって淹れた珈琲を飲む居場所が、椅子なのか、ソファーなのか、腰掛けるのか、座るのか、食卓のテーブルなのか、カウンターなのか、リビングテーブルなのか、ソト空間なのか、明るい場所なのか、ほの暗い場所なのか、あれやこれや。そんなのを工夫したり、DIYしたり、リフォームしたり、新築したりして、家での居心地の良さを楽しむのが、面白いし、そういうのが好きなゆえに、住宅設計に携わっているのだとおもう。

庭と縁側に繋がる木製建具の開口部があるダイニングテーブルに、奥方の珈琲も置いて、テレビをつけると、松本人志のワイドナショーがやっていた。なんとなく見入ってしまう。窓越しのソトの天気を見ると、晴れていて、そんなに寒くもなく、冬の穏やかな日曜日の日差しを眺める。テレビを見ながら、ワタシの正面よりちょっとズレて座る奥方。コロナ禍的座り方でもあって、お互いに、あれやこれやとツッコミいれあって、珈琲を飲む。なんでもない朝。なんていうのは、このステイホーム的日曜日がなければ、楽しめていなかったかもしれない。

昼から、iPadで、動画を編集する。お正月の家族の様子をiPhoneで動画撮影した。最近、YouTubeを見る時間が圧倒的に増えて、ユーチューバーが、簡単そうに動画編集をしている姿を見ると、写真だけでなく、動画を短く沢山撮影して、動画編集すれば良さそうだと気付かされて、この年末年始に試してみた。iPadの動画編集ソフトで、編集作業をしだす。ダイニングテーブルでの居場所をあちこち変えながら、ソトむいたり、ウチむいたり、そういういろいろ居場所を変える楽しさもある。

そうそう、先週、新築の計画で来社された若いご夫妻が、建築家・阿部勤さんの「中心のある家」が好きだという。ワタシも若い頃、何度も写真と平面図をみたので、打ち合わせ室のモニターで、ホームページ上にある写真や記事や動画をお客さまと一緒に視聴する。あらためて、いろいろな居心地良さそうな居場所があって、素敵だなぁ…とおもった。「リミックス」というのが音楽にあるように、建築にも、名建築のリミックス版があっても良さそうだ…。

午後3時過ぎ、「まちのえんがわ」に、木工家のヤグラさんが、電動ママチャリを1時間ほど漕いで、お見えになって、次回3月のワークショップに向けた打ち合わせをした。今日初めて外に出てみると、道路には、わりと多くの人が、自転車で往来していた。そんなのが、いまの市民感覚なのだな。

夕方、動画の編集にも疲れたので、アウトドアー薪ストーブで焚き火をすることにした。年末に剪定した楠木の枝が、薪としてまだ残っていた。家に残っている冷凍のピザとナンをオーブンで焼いた。長男の奥方のサヤカレーを少しお裾分けしてもらった。残っていた冷凍のタンを3切れだけ鉄板で焼いた。ビールとワイン。薪の炎は和む。漆黒の暗闇の焚き火も良いが、夕方、まだ少し明るいうちから、暗闇になっていく時間帯の焚き火も良い。気がついたら真っ暗で、焚き火の炎の色合いと、夜の冷えてきた身体に炎の暖かさを感じ、あらためて「火の力 」に気づく感覚。

こうなったら、家(スティホーム)を楽しむ、あれやこれやを、あらためて、発見したいものだな…。