「笑い」

「年末」が忍び寄っているが、なんだか、ヘン。コロナ禍では、もはや当然のコトのように、木村工務店の忘年会は中止になった。その他の忘年会も全くないので、「年末」の感覚がワタシに纏わり付いてこない。ジングルベルの音も聞こえてこない。そうか、それは繁華街に出歩かないからだな。こんな時期だからこそのZOOMによる忘年会が、12月23日の夜に、二つも重なってしまうという偶然の不思議。それでも、毎年欠かさず届く丹沢の堀山の家からのリースが扉に掲げられ、家にはクリスマスツリーが飾られて、なんとなくのクリスマス感が、少し寂しげに点滅している。

 

今週、大阪市では、全区で、夜の飲食店の時短営業になった。先週末に伺った生野区のBarソケットさんも、午後5時から午後9時までの営業にするそうだ。うちの会社は、大阪市の東の端っこに位置する生野区小路東にあって、東大阪市の布施に近く、さきほどのソケットさんに行くより布施の飲食店に行く方が歩いて近い。その東大阪市は飲食店の時短営業がない。だから、東大阪の飲食店の人は喜んでいるのかとおもっていたら、木村工務店のホームページを長年手伝ってくれているアシダさんが曰く、彼は、かなりの「飲んべい」で、そういう筋の情報通でもあって、曰く、このコロナ禍、忘年会もクリスマスムードもないし、お客さんは、メチャクチャ減っているので、時短営業して75万円の助成金が出る大阪市が羨ましい。って、ひとりで営業している飲食店の人が語っているらしい。

なんていう微妙な年末感だが、先ほど「M1決勝」を見終わって、ようやくちょっとした年末感を感じるようになった。今年の「笑い」は微妙だ。なんだかちょっとしたストレスが残る。まるでこのコロナ禍の微妙なストレス感を象徴しているかのようだ。「意外性」というのか「違和感」があって笑うのだが、ワタシにとっての「共感性」に乏しいネタが多かったからだろうか。昨年の「M1」の日曜日はこんなふうに感じていたようだ。

今年は、想像もしてみなかったコロナ禍で、全ての人の感情と感覚と思考のありようが「変化」しはじめているからだろう。こんな時期の年末だからこその共感性のある「笑い」のネタの編集力が必要とされているように思えたが、そうそう、BSテレビの養老孟司さんが出ているドキュメンタリーな番組を見ていたら、サンドイッチマンが好きで、その漫才の録画を見ているシーンがとっても印象的だった。なんだかんだ、それでも、やっぱり、「笑い」は楽しいし、必要とされているよね。