ことだま

秋から冬へ。日差しが暖かく、二組のお客さんと打ち合わせをした住宅相談会の日曜日だったが、もはや冬を感じる日差しだな。

土曜日。唐突に届いた、レターパック便を開けると、奥村まこと「吉村先生に学んで」という冊子だった。ベージュ色の装丁がとってもタイプな色合い。左手にとってページをめくる。建築家吉村順三さんによって設計された愛知芸術大の建て替えに際して、卒業生の篠田望さんが開設されたインターネットサイト「愛知県立芸術大学 建て替えについて」の中に掲載された『奥村まことのブログ 吉村先生に学んで』(2011年1月~2015年9月)をまとめたものです。と書いてあった。

奥村まことさんは、吉村順三設計事務所に勤めておられた女性で、同じく吉村順三事務所の奥村昭雄さんのパートナーで、その奥村昭雄さんはOMソーラーの考案者で、愛知県立芸大の実施設計を担当された方なのだそうだ。建築家として著名な方々なので、知ってはいるが、面識はまったくない。そんなワタシをこの本に繋いで頂いたのが、建築家の秋山東一さんで、東京芸大で吉村順三さんに学んだ方で、OMソーラーのフォルクス1を開発された方で、昨年、木村工務店の加工場で、秋山東一さんの「メルクリン&メカノ」というイベントを催した。ヨーロッパ建築視察旅行にもご一緒したし、今年6月は、八ヶ岳のアイランドプロファイルの工場と社長の石原さんの別荘に秋山さんと一緒に泊まらせていただいた。そんなご縁で、この冊子が、左手に載っかっている。この場をかりてお礼を申し上げておきたい。

土曜日の夜。読み出すと、引き込まれて、一気に読んでしまう。最近、「本を読む」という過ごし方が、めっきり減った。夜はBSのドキュメンタリーを見てダラダラしていることが多い。コロナ禍になって、ますます本屋に行かなくなり「Kindle」で読むようになった。それはそれで、ラインマーカーが引けたりで便利だし、ipadを持っていれば、何時でも何処でも読みたい本が読めるのだ、が、いまいち、ipadを持つ「左手」の重みとその感触になっとくできない。

というより、「吉村先生に学んで」が装丁された本の左手に伝わる感触が、とっても気持ち良いのだ。ipadを左手でKindle読みした時に、左手にちょっとした違和感を持っていたのに気付かされた。昔は、岩波文庫のカバーをとって読むと、色合いと肌触りが良いので、カバーをとっぱらって読んでいたが、それ以上に、この本の装丁の、紙の質感とデザインがとっても良いのだ。左手が心地良かったので、ずっと触っていたくて一気に読み切った。本の装丁の質感も「吉村先生に学んで」になっているのだろう。

「寸法は比率」とか。「余白」とか。「火と水と緑」とか。「景色」「うれしいこと」「見つけとチリ」とか。「やってみる」くんには「なおそう」さんという友達が必要だ。とか。「気持ちが落ち着く」「現場感覚」「君はどう思う」「迫力は邪魔なことが多い」「佇む」「表情を添えるのが見つけとチリです」「形は歴史」「感じる・考える・生きる・意見を述べる」とか。「目の位置」「地球の上に家を建てるのだ」「庭はみんなの庭である」とか。創ると言うことは芸術である。その第一は「良く見る」「良く聞く」第二は「友達」とか。「溶ける」「残すことはつくること」「維持費」「障子」「椅子」「遠い景色」「影を作る」「見積もり」「住み心地」「感覚」「立場」とか。「メンテナンスは研究(=営業)の最前線」とか。「見える山」「庭を見る家」「マージン」「スケール」「空気の重さ」「茶室」「見抜く力」「ファッション」「窓」「風」「小さな空間」とか。基本設計・実施設計・現場監理・保守管理。建物にとってもっとも大切なのは、実はこの「建てた後のめんどう見」であるとか。

反省したり頷いたり。示唆に富む言霊の数々と出会う週末だった。