自転車と町の関係

台風が接近する土曜日。ある縁で、石川県鯖江市にある、白崎サイクルさんを訪問する。3代100年続く自転車屋さんだそうだ。大阪にもそんな自転車屋さんってあるのかね。たしかに町と自転車屋さんの繋がりって古いよね。って改めて考えてみるきっかけになった。

門前)(門前Ⅱ)の続き…

(門前Ⅲ)

三十三間堂交差点から北東の清水寺の裏山の峠を越えることにした。三条や四条の街のど真ん中を通過するのも街的でエエが、京都市内の外周部を回りヒルクライム的な要素がちょっとある方がなんとなくロードバイク的な気がするからだ。あ〜しんどと思うぐらいで峠に着いて、左の道路を進んで将軍塚から京都のを眺めてみたい気持ちもあったが、ここで30分ほど費やす余裕がなくなっていて、先を急いで、右の道を選択し、南禅寺方面へ下る。

煉瓦造りの隧道を潜ると京都的な景色感がグッと増し、南禅寺の門前で記念撮影。コロナ禍の影響で、着物姿の外人でなく、着物姿の日本人が、日本を楽しむ姿が、世の中の流れの変化の不思議を感じさせる。このあたりを走ると奈良ではない京都感というのをあらためて感じるし、それは一体何がそうさせるのだろうか。

哲学の道をゆっくり散策的に走るには、時間的余裕がなく、鹿が谷通りを北上し、銀閣寺門前に着く。金閣寺にしても龍安寺にしても、「門なき門」感が強いとおもう。奈良のようにデーンとして、さぁ心して入れ!みたいな門ではなく、一見柔らかそうだが、実は、心整えて繊細に入らせる雰囲気。みたいな感じが京都的なのか、なんていう考えがハイスピードで脳をかすめていった。

今出川通りを走り鴨川を北上する。家族連れやカップルが陽気に誘われてエエ感じで寛いでいる。こんな雰囲気って、日本でも京都の鴨川のこのあたりにしかないような気がするが、立ち止まって、写真を撮影するのも面倒くさくなって、もはやソワソワしながら完走を願うだけのワタシ。

北大路通りを西に進みながら、大徳寺やちょっと好きな高桐院の門前まで行く余裕もなく、気分だけそこに置いて通過する。金閣寺前は多くの人出で驚いたが、只今、足場があって、改装中です。と大きな声のアナウンスを聞きながら通過した。龍安寺前も通過しながら、禅と門なき門を想起してみた。仁和寺の門前で記念写真。いつもなんとなく立ち止まってしまう。南禅寺のドシッとした門とはまったく違う様式美で軒がビヨォーンとした感じ。コンビニで休憩したあと、ちょっとした登りから下り基調の道を走りながら広沢池が見えてくると、とっても気持ちのエエ雰囲気で、毎回笑顔になる、日本的のどかさ….。

大覚寺門跡という門がなくなった門前を通過し、嵐山のメインストリートを人混みを避けながら走る。日本人観光客が日本を楽しんでいる感じ。ストリートに面した天龍寺の門前は、ほんとに門がないのがカッコエエが、大本山天龍寺というデーンとした石碑だけあって、そこにある種の威厳を感じとって、奈良と京都の「門前巡り」が終わった。嵐山から大阪までの淀川沿いを45kmほど辛抱強く走り続けて帰宅すると、左膝がちょと痛い。お尻もちょっと。なんて疲れたが、ちょっとした達成感。

(終わり)

 

コロナ禍になって、ヨーロッパでは自転車が売れているそうだ。補助金もでるらしい。それで、自転車の供給が滞っているとか。そうそう、幕末に自転車が日本に入って、明治から昭和初期にかけて日本人の生活の中に自転車が入ってきたそうだ。大正時代に一般大衆でも手に入るようになったが、自転車を持っていることがステータスであったらしい。そんな時代から100年経過する。10kmほど走る町乗りの電動ママチャリも好きだが、旅するための自転車とか競輪とかスポーツ競技とかの自転車とはまったく縁がないワタシ。ロードバイクをやってみると100kmぐらいそれなりに移動できて、人と町と移動の関係性が変化する。町と自転車屋さんの関係も変化しているようだ。