「十五夜お月さん」と「門前Ⅱ」

久しぶりに、じっくり、「十五夜お月さん」を見たような気がする。お月見団子を食べ、庭に出て、マゴ達と一緒に椅子に座って眺める満月の夜。

 

先週の「門前」の続き…..

東大寺から、正倉院の砂利敷きの門前に佇み、校倉造りに思いを馳せてから、転害門の門前を通過する。この門をみると不思議な気分になる。「てがいもん」という漢字と読みと「しめ縄」と門前の芝生が、独特の呪力を感じさせる。今回は門前の記念写真は撮らなかった。ちょっと先を急いでいる感覚で、ソワソワしていたからだろう。そうそう、カッコエエ二月堂に立ち寄るのも、ソワソワしだしたのでやめた。旧奈良監獄の門前から東大寺を見返したのが、先週「門前」の最後の写真。

 

その旧奈良監獄すぐ近くの植村牧場で、牛乳でも飲んで休憩しようとおもったら、コロナ禍で休んでいた。なので、ひたすら木津川を北上し、「流れ橋」まで走りきることに決める。ようやくロードバイクで快走している気分。流れ橋すぐ近くの「やわた流れ橋交流プラザ四季彩館」で昼食を食べながら、思案する。このまま自宅に戻るか。流れ橋を渡って京都に行くか。120kmか170kmか。天気が快晴だし。明日も休みだし。帰宅が遅くなっても、ま、エエか。なんていう葛藤。

 

流れ橋を渡ると時代劇的気分になれるのが嬉しい。それに流れ橋から宇治川を渡る観月橋までの区間が、突然視界が開けて、常に伏見城から監視されて騎乗している戦国武将の気分になって、ひとりでニヤニヤしたりして。北東方向を見れば伏見城だが、西を向けば、高速道路の久我山ジャンクションがあり、この立体的高速道路の土木工事が好きだ。自転車を駐め、田んぼ越しのジャンクションを眺めて、ほんとはここで、珈琲でも飲みたい気分。

 

宇治川を渡り、そのまま走ればエエものの、寺田屋前を通過する。寄り道するほどの場所でもないが、坂本龍馬を殺害した犯人は誰か。という歴史上の推理はオモシロイ。観光客の何人かが記念写真を撮っていたので、ワタシも、パチリ。商店街をゆっくり抜けようかとおもったら、想像以上の人出。迂回し、伏見城横の住宅街を抜け、一方通行で大渋滞中の伏見稲荷の鳥居の前で、記念写真。外国人観光客がいない日本人観光客だけでいっぱいの雰囲気が珍しく、赤い鳥居と外国人観光客の記念撮影が、懐かしさすら感じさせるこのコロナ禍。

北上して、三十三間堂に向かう。この南大門を自転車でくぐるのが、なんとなく好きだ。門前で記念撮影。南大門と三十三間堂と京都国立博物館平成知新館と道との関係性がオモシロイ。っておもえるようになったのは、前々回の京都ライドの時、三十三間堂前の交差点で、谷口吉生設計の京都国立博物館のシュッとした端正な門を信号待ちで眺めて、その後のある夏の日に訪問し、この南大門との設計的関係性を知ってからのコト。

 

そうそう、この南大門を正面から潜るために、自転車を降りて陸橋を渡るところがあって、そこから眺める鉄道と山と京都タワーと京都駅と街の関係性もなんとなく好きで、ほんとは新幹線が通過するまで待ちたかったけど、完走できるかどうかソワソワし、取り敢えず雑な写真を撮るだけで精一杯。もはや町を楽しむ余裕がどんどんなくなってきているワタシ。

続く…..。

 

住宅相談会があった日曜日で、二組の方が相談にお越しになり、それぞれなりの、ちょっとしたコダワリのある家造りを、このコロナ自粛期間中に、あれやこれやと考えておられたようだった。そうそう、十五夜お月さんは、秋の収穫に感謝をささげるお祭りで、良いことが起こる前から感謝をして、実際に良いことを引き寄せる、日本的な神事のカタチだとか。コロナ禍も含めて、いろいろなコトが、良い方向に向かいたいものですね。