初勧進帳鑑賞
テレビで観る、なんとなくちょっとチャラい感じ。いや、生で、間近に観ると、存在感があり、おっっ、カッコエエ…と呟いてしまいそうな圧倒的な雰囲気がある。「芸事」って凄いよな。っておもわす何かがあって、ワタシもプロとして精進しよぉ。っとそんな気分にさせてくれる。オトコという立ち位置がそうさせるのか。女性はどんな感性で観ているのだろうか。
最後、幕が降り、海老蔵ひとりが花道に残り、静けさの中で、拍子木の音とともに所作をする瞬間、ワタシの背筋も、すうっと伸びた。飛び六歩とともに、花道から袖に引けていくかっこ良さが残像のように残り、観客全員を、あっっっ良かった!っていう気分にさせて、公演が終わる。江戸時代からの名作を、江戸の人、明治の人、大正の人、昭和の人、平成の人、令和の人、それぞれが、同じように感動しているというのが、伝統芸のなかの代表作としての凄さなんだろう。
それはそれとして、生演奏がとっても良い感じなのだ。こんなに音楽として素晴らしいとは全く知らなかった。緊張感のある最上のコンサートのような雰囲気で、そのアンサンブルをバックミュージックとしながら、語りがあり、舞があり、音楽が演技と一体になりながら、絶妙の間の手として、音が演技の中に入り込んで、気分を盛り上げてくれる。そういや、海老蔵と右團次のコトバによる掛け合いは、今風に言えば、ラップの掛け合いのようであり、いやジャズのトランペットとサックスの掛け合いのようでもあって、そこにドラムやピアノやベースが絡まるように、三味線や鼓や長唄や笛が絡んできて、それが絶妙。舞のカッコ良さはなんとなく映像で見ていたので、なるほど。こんな感じなのか。みたいな印象で、その所作の優雅さと力強さに感心するのだが、舞以上に、生音の、音楽面の豊かさに驚いた。それに、演奏するひとたちの、楽器を扱う所作が、とってもカッコエエのだな…..。
舞台に向かって右側の袖の席に、舞妓さんたちが沢山座って鑑賞している雰囲気が、いかにも京都らしく、休憩時間には、最前列にいた黒い着物姿の女性に、全員が挨拶にきて、その様子が伝統と格式を感じさせ、舞妓さんと歌舞伎と京都南座といベストマッチな雰囲気を見ていると、ワタシは外国人、みたいな気分で眺めていた。そうそう、演目の前に、舞台挨拶があって、フツウの着物姿で、海老蔵や右團次や合計5人が挨拶をし、質問コーナーなどもあって、笑いと和やかなムードの現代的なフツウの人間としてのトーク番組的演出のあとの、あの緊張感のある古典の勧進帳で、そういう「今」と「古典」を違和感なくタイムトラベルさせられてしまうところに、歌舞伎の現代性を垣間見たおもい。
海老蔵と右團次の挨拶でのトークで、昨晩は遅くまで飲んで、今日は朝からサウナに入ってスッキリして、そこでトキオのマツオカくんにも会って….なんていう会話があって、そーだな、ワタシも朝からサウナに行ってから「初勧進帳鑑賞」をしたら、もっとシンクロ的共感を持てて良かったかも….なんて。また観たい気分。