謹賀新年2020

新年あけましておめでとうございます。

木村工務店では、明日1月6日が初出で、お正月休暇が、あっっという間に終わってしまった、その寂しさと、明日から始まる仕事に対する少々の憂鬱な気分が押し寄せて、複雑な心模様になる、初出前日の夜なのだが、不思議に歳を重ねるにつれ、その憂鬱度合いが薄らいできているような気がするわけで、こういうのって、何なのだろうかね。仕事がしたくて待ち遠しい!という心情にはほど遠く、ま、時の流れに身を任す。っていうような感覚が、徐々に心身に染みついて、寂しさや憂鬱さが、ワタシの心に纏わり付かなくなり、さらっと流れていくような、そんな感覚なんだろうかな….。

ここ数年の年末年始は、30日に黒門市場に行き、その帰りにお墓参りをし、その夜は、東京から帰省した次男とともに、工事をさせて頂いた、鶴橋の一龍で、焼き肉を食べ、31日は、テレビの紅白と行く年来る年で、新年を迎える、オーソドックスな年末で、元旦の朝は、家族全員が集合して、座敷でお屠蘇をし、おせちを食べ、お年玉を渡したあと、施工に携わっている清見原神社の拝殿の中で、家族一緒にお祓いをうけて、初詣をするのが、年始のルーティンで、ちょっとお気に入りの一連の作法が、心をリフレッシュさせてくれるのだろう。

そうそう、年末の黒門市場は、ますますガイジンの観光客でいっぱいで、もはや、新鮮な海の幸を買う場所ではなくなってきたが、それでも、あの活気の中で、市場の中を、多くのカイジンと肩を擦れ合いながら歩くのが楽しい。中沢新一の「大阪アースダイバー」の「カマドと市場」に「カマドは敵が味方に変わるところ」とあり…..

カマドはかつて家の中心におかれて、そこで食材も人生も転換をおこしていた。(中略)「都市のカマド」といえば、それは古代から市場ときまっていた。市場はカマドと同じように、さまざまなものの転換がおこる場所である。大地と海がもたらした恵み(贈与物)は、市場でお金に換算されて交換されるが、家庭の台所で調理されて、みんなの健康をささえる恵みに姿を変える。都市を大きな家に例えれば、たしかに市場はそこのカマドにあたる。(中略)黒門市場のようなほんまものの市場が生きている大阪は、やっぱり庶民の町だな、とアースダイバーはうれしくなる。いくら巨大な都市に成長をとげても、人間と自然がいろいろな場所でひとつながりになっている大阪はあいかわらず庶民の町なのだ。そしてそのことは、人間の世界の質がどんどん貧しくなっていこうとしている現代、ますます輝きをもちはじめている。(中略)古いことばでは、市場のことはよく「敵が味方に変わるところ」と呼ばれていた。いままで外の世界のよそ者と見られて、警戒されていた潜在敵が、いったん市場のなかに入ると、身内に変わる。…..

と書かれてあって、もはや、ほんまもんの市場感は薄らいできたが、それでも、人間と自然がつながる場所として、都市のカマドとして、黒門市場の良さをカイジンが気に入っている姿が面白いとおもうし、ワタシも、心の「転換」が起こりそうな、そんな気分を味わいに、年末の黒門市場を歩いているのだとおもう。

正月3日目になると、流石に、体を動かしたくて、うずうずしてきて、丁度、石川県の山代温泉に夫婦で一泊予定だったので、早朝から車で、岐阜の鷲ヶ岳にスキーに行く。雪がなく、人工雪なのに、人が超いっぱいで、いかにコブ斜面をうまく滑るか。なんていうノリではなく、いかに人を避けてスムーズに一気に滑りおりれるか。そんなのを楽しむスキーだった。そうそう奥方は、車と食堂で休憩していた。シニアの5時間券だと2300円なので、3時間で9本ほど滑って、もう充分。午前中でスキーを終えて、道中、永平寺に立ち寄る。うちの家も曹洞宗で、奥方は初体験。ワタシは三度目。修行僧の荘厳な勤行(こんぎょう)が鳴り響く良い巡り合わせの時間帯だった。ここ二年ほど、お正月に訪れて、伊勢神宮で感じた清々しさとはまた違う、ハラに座るような清々しさを感じた永平寺で、道元禅師からのメッセージに、こんなのが書かれてあった。

はきものをそろえる
はきものをそろえると心もそろう
心がそろうと、はきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと
はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと、世界中の人の心もそろうでしょう

こんなコトバで心静かにする永平寺だった。
本年も木村工務店をご愛顧賜りますようよろしくお願い致します。