「全ての玩具は教材である」
建築家の秋山東一さんが、11月23日24日の二日間、木村工務店の加工場で、メルクリンという鉄道模型を走らせる。ワークショップで使う24mm合板テーブルを並べて、その上に1番ゲージという、鉄道模型としては、巨大な、線路や鉄橋を組んで、大きなブリキの鉄道模型が走る。ワタシ、この1番ゲージなる大きさのメルクリンを観たことがない。
小学生の頃、阪急三番街という、地下に川の流れる地下街が出来た。その中の店舗で、大きな美容室を木村工務店が施工した。その美容室が完成すると、そこに、ワタシの母が、通うようになった。時に、ワタシも、一緒に連れられて、その美容室に行った。長が~い待ち時間の楽しみは、おもちゃ売り場をウロウロするコトだった。おそらく、そこに、メルクリンという鉄道模型が走っていた。いや、それが、とっても記憶が曖昧。ひょっとすれば、心斎橋の大丸百貨店のおもちゃ売り場だったのか。
祖父は、小学生の間だけ、数ヶ月おきに、ワタシを、心斎橋大丸百貨店のおもちゃ売り場に連れていって、祖父はベンチに座って、タバコを吸って、じっと待ち続け、ワタシに、おもちゃ(玩具)を、自分ひとりで見て、自分ひとりで決定させて、ひとつだけ、買ってくれた。いまからおもえば、それは、秋山東一さんのいう、「全ての玩具は教材である」の教えだったようにおもう。
祖父が、そんな感じだったので、父から、おもちゃ(玩具)を買ってもらうということは、ほとんどなかったが、その当時、おそらく阪急三番街の、おもちゃ屋さんで観た、メルクリンを父が買ってくれた。日本のHOゲージより、メルクリンの方が、カコエエ!とおもった記憶だけはあるのだが、強く希望した訳でもなかったので、きっと、親父にとって、大人の玩具として、とっても魅力的だったのだ。日本製のHOゲージでなく、ドイツのメルクリンが、我が家にやってきて、畳の上のオーバルな線路で、汽車と客車がグルグル回っていた。グリーンの外壁にシルバーの屋根の客車だったようにおもう。
ワタシは、小学校高学年になると、鉄道オタクになって、鉄道模型に熱中する。という道を歩むことがなかった。おそらく、メルクリンが、レアな鉄道模型で、特定の場所に出向かないと、売ってなかったからだとおもう。カッコエエという記憶だけは鮮明に残ったが、その代わりに、タミヤの模型を造ることに熱中した。戦車が多かった。ソ連のT34やドイツのタイガー、ロンメル、レオパルド、アメリカのM4とか…..、人形も火で炙って手足を加工したような記憶も蘇る。小学校高学年の時のお正月の楽しみは、お年玉をあてにして、ちょっと大きな模型を布施のプラモデル屋さんで買って、ホンダのF1とか、そんなのを、午前0時とともに造りだす作法だった。おそらく、模型製作を通じて、説明書の読み方を学んだのだ。「全ての玩具は教材である」なんだろう。
きっと皆さんが、よく見ている、日本のNゲージなる鉄道模型は、縮尺は1/150らしいが、メルクリンの1番ゲージは縮尺1/32らしい。鉄道模型としては、巨大なのだ。見た事のない、大きさの、ブリキの玩具が、加工場を、ぐるぐる、回り続けるらしい。ジオラマではなく、合板の上で、ただ回り続けるのが、カッコエエのだとおもう。
建築家の秋山東一さん著の「Be-H@usの本」という本を、ご本人から頂戴した。2004年初版発行で、「セルフビルドする木の家。インターネット時代の自立的住宅」というサブタイトルがあって、建築の話が、ためになる。のだが、「パート2 建築家と道具 秋山東一を理解するために」と「パート3 家造りとデザイン:Be-h@usを理解するために」が、とっても面白い。その [デザイン] 認知工学のページに…
全ての玩具は私にとって教材である。
私にとって、その玩具は原寸のPORSHE356であり、
手のひらにのるSchucoのブリキである。教育学者ペスタロッチは、あらゆる学習の絶対的基礎は、
「ものごとを自分なりの仕方で、しかし、組織的にみることだ」という。私にとって学習は、
1 視覚的なものであり、
2 もう一つは手の感覚に依存するものである。
そのものの重量感、温度、触感、3 そして、そのものを玩具たらしめている諸要因を思考することである。
建築家秋山東一さんによるメルクリンとメカノは、「玩具は教材」「組織的に見る」「学習の絶対的基礎としての3項目」なんていうコトを体験するワークショップなのだとおもう….。ご都合がつくようでしたら、お子さま連れ大歓迎ですので、是非11月23日24日にお越し下さい。23日午後3時からのレクチャー「玩具と建築の間」は、必見だとおもいます。全国から秋山東一さんを師と仰ぐ有名工務店の方々もお越しになるそうです。