シニアな感覚

ラクビーワールドカップが始まって「行けぇ!」と思わず叫んでしまう興奮の夜。

そうそう、マゴの幼稚園の敬老の日の参観があって、夫婦で参加し、もちろん、マゴの振る舞いが気になるわけだが、それにしても、この、おじいちゃん、おばあちゃん、と呼ばれるなかに、ワタシたち夫婦がいて、周囲のおじいちゃんとワタシも同じ立ち位置にあるコトに、なんとなく、ショックをうけ、ワタシの息子達が通った幼稚園にマゴも通い、あの時どうだったのかと、運動会や学芸会の時のコトを想い出しながら、自分の息子たちの時より、マゴたちの時の方が、親の立ち位置の時とは全く違う心境で、マゴのコトが気になっているワタシが居て、同じように、ワタシの両親も祖父母もそんな心境で、ワタシや息子たちを見守っていたのだな…と、今さらに感謝する感情も湧いてきて、ワタシが親の立ち位置の時には、見守るというより、より直接的な心情だったが、マゴの立ち位置になると、見守り感がより強いよな…とおもうわけで、誰もが見守られて成長するのだな。なんて、全く予期せぬ感情と遭遇した敬老の日だった。

連休の日曜日。台風接近で、雨予報だったが、前日には曇り予報に変わっていたので、同級生を誘って、シニアな健康意識を衝動的エナジーにして、午前中だけ、自転車に乗る。八尾の葡萄坂を登って、のどか村で休憩し、朝護孫子寺を参拝する。聖徳太子とか物部守屋とか毘沙門天王とか、そんな名前が連なるところに、不思議さと力強さを感じるが、寅の置物と本堂からの大和盆地の眺めが、気分を爽快にしてくれるのが、「超いいね」でもある。

 

そうそう、何度も通っているうちに気付いたが、廊下に、ケースに入った生け花があり、信貴山真華流というらしいが、それが美しくカッコエエので、それを見るのも最近の楽しみになった。門前町の集落を抜けながら、空き家が売りに出ている話しを聞いて、十三峠に向かう。展望台を下り、水呑み地蔵で、大阪平野を眺めて休憩した。ハルカスが真っ正面に見えて、時として大阪平野も美しい。坂を下り、外環沿いのカフェで、モーニングランチを食べたが、休日の朝なので、子供連れの親子、おじいちゃんおばあちゃんとの子供連れ親子、母と娘カップル、おばあちゃんカップルなどなどで、満員。日曜日の朝に、マゴと親子とでモーニング。なんていうのが、最近のひとつのシニアな文化だな。

午後から、ゴロゴロとしていたら、急に、奥方が、映画を見にいこうと誘ってきた。布施のラインシネマで、三谷幸喜の「記憶にございません」を見るという。上映まで、あと20分。夕立の雨の中、リゲッタのサンダル履いて、ママチャリの「さすべえ」に傘をさして、映画館に向かって、5分ほど、席予約して、コーラとポップコーン買って、満員になることのない映画館で、リラックスして、観る。みたいな感覚が、下町映画館の良さで、小さい頃から布施の映画館で育っているので、大阪のおばちゃんやおっちゃんの独特のトーンの笑い声が響く館内が、とっても庶民的で、落ち着いて、好き。

上映時刻まで待合のベンチに座っていると、ひとりで映画を見に来た、そこそこ年配のおばちゃんが、隣に座っている、おなじくひとりで映画を見に来ている、やっぱりそこそこ年配のおばちゃんに、この映画館も来年の2月に閉館するらしいで、これでまたひとつの文化がなくなるわ。っていう話から、政治の話に移って、延々、いまの政治状況を語ってくれて、その情景が、まるで、これから始まる三谷映画の前説のようで、いとおかし…だった。

映画館代金が、シニア割引や、夫婦割が適用になって、嬉しいが、あらためて、いまの置かれている、年齢と立ち位置を意識してしまう、そんなシニアな感覚になってきたワタシ。

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