平成と令和

とっても特異なゴールデンウィークだった。いや、まだ、今晩の5月5日こどもの日の日曜日の夜と、明日6日月曜日の振替休日を残しているのだけれど、東京、高田馬場の、次男が下宿する部屋に、夫婦二人で転がり込んで、このブログを書くワタシ。昼前に東京に到着し、上野の国立西洋美術館のコルビジェ展を見て、次男と3人で、神楽坂で、食事をし、それがぁ、神楽坂など、勿論、行ったコトないが、平成だった昨年に、しまなみ海道の宿、輪空Linkで、自転車トモダチになり、大阪のうちの家まで遊びに来てくれた神楽坂在住の方に、フレンチのお店を紹介してもらって、次男の様子伺い的な食事会をした。

その、しまなみ海道の宿、輪空Linkへは、4月28日宿泊し、29日と、小学校からの同級生5人で、還暦ライドを楽しんだが、4月30日の夜は、偶然にも、その輪空Linkで、知り合った、湘南在住のご夫妻が、大阪観光がてら、うちの家に遊びに来てくれて、鶴橋の一龍で、焼き肉を食べ、生野区の秘密基地ソケットで、スコッチな夜を共にした。それが、平成最後の夜となったが、なんというか、平成最後とか令和最初とか、そんなコトバ使いが、流行な感じすぎて、気恥ずかしいが、とにかく、大阪の自宅の布団のなかで、「平成」という元号が、終わった夜だった。

5月1日の朝、10時すぎ、新潟県長岡市の馬高縄文館で、「火焔土器」たちと遭遇したのが、「令和」最初の出来事だった。その馬高・三十稲場遺跡で、縄文の恵まれた風土を体感し、その駐車場の車の中で、新天皇のお言葉を拝聴した。おそらく、誰もが、なんとなく、潜在意識のどこかで、象徴天皇とは….と、考えさせられた、特異なGWではなかったのだろうか….。

なんの巡り合わせか、火焔土器に逢いに行く旅だったのに、奥方の父方の祖母の出身地で、ことあるごとに、義父は、長岡を慕い、長岡出身の山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」というコトバを慕い、死ぬ前に、孫達に、そのコトバを送っていた。その父を慕う奥方は、義父の好きな長岡の地で、「令和」の時代を始められたコトを、ひっそりと喜んでいた。縁とは不思議。その長岡駅前のビジネスホテルのベットが令和最初の寝床となった。

5月2日は、十日町の大地の芸術祭を車で巡礼し、松之山温泉の熱い薬湯で湯治した。温泉宿として、フツウの畳の和室に泊まりながら、フレンチのフルコースと、その料理に合う日本酒を提供する。そんな、ありそうでない組み合わせを考えて、頑張る、若き4代目の姿が、とっても印象的だった。

5月3日4日と、長男家族と軽井沢で合流し、孫たちと一緒に過ごした。4日の朝、3時間ほど、ひとりで、自転車に乗って、碓氷峠と軽井沢、追分周辺を巡り、別荘地とベンツの組み合わせ率の高さに感嘆しながらライドした。長男に教えてもらった、吉村順三の別荘建築のカフェ、エロイズカフェに立ち寄ったが、超満員で、入るのを諦めた。そんなことを、フェースブック上の話題にしてみると、建築家の秋山東一さんと、こんなやりとりになった。

そんなこんなで、5月5日東京の夜。木村工務店は、5月7日から「令和」としての通常営業が始まります。社員職人共々、新鮮な気分で、建築という、ものづくりに励んでいければとおもいます!

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