1月6日日曜日の本日が、木村工務店の初出で、会社3階の会議室に集まって、社員と、年末年始の体験を分かち合い、一年の抱負のようなものを語ることが、新年の始まりで、その後、氏神様の清見原神社で、協力会社の人達を交えて、参拝するのも慣わし。それから、近くの木曽路で、新年会をする。そこで、協力会社の集まりである精親会の会長、岡房商店の岡本さんと、木村工務店のシャチョウとしてのワタシが、年頭所感を述べ、乾杯と共に、新年会が始まるのだけれど、食べて飲んで、酒を酌み交わしたあと、万歳三唱で締めることで、一連の木村工務店初出の「ルーティン」を終える。
1月1日元旦の朝は、座敷でお屠蘇をするのが木村家の「ルーティン」で、リフォーム工事が長引いたために、ようやく、数寄屋風の座敷に仏間を設置しての、初めてのお屠蘇となって、仏壇に鎮座する祖父母や父母と共に迎えるお正月ムードなお屠蘇であり、若い頃は、先祖との繋がりなど、全く意識することもなく、両親や祖父母に反抗的な青春時代だったが、それでも、2回の海外旅行の時以外は、このお屠蘇だけは、なぜか、守ってきて、また、守らせるようなオーラのようなものがあるルーティンで、それゆえにリフォーム工事中も欠かさず受け継いできだが、考えてみれば、この座敷に見守られて、成長してきたともいえるわけで、仏壇に鎮座する、先祖の魂のようなものも加わり、なおいっそう、「見守る」という、行為と存在を、意識するための、儀式のようにもおもえてきて、孫二人が加わったこともあって、家族の絆のようなものを育む、お正月のルーティンなのだろう。
元日の初詣は、氏神さまの清見原神社で参拝するのがルーティンで、父が亡くなってからは、拝殿の中で、家族一緒に参拝することが、バージョンアップしたルーティンのようになってきて、昨年までは、拝殿の中で参拝する方は少なく、余裕の参拝だったが、今年から、沢山の予約があったらしく、12月の初め頃には、参拝お伺いが郵送されてくるほど、予約が必要な人気だったようで、宮司さんの話では、朝の9時から夕方の5時まで、ビッシリと参拝の予約が詰まっているという、肉体的にはタイヘンだけど有り難い悲鳴のような感謝のようなため息で、氏子総代会の一員としても、嬉しい気分になった元旦の朝だった。
昨年、初めて、お正月に、伊勢神宮を参拝し、それが、なかなか清清しい気分だったことと、志摩のホテルが良かったので、今年ももう一度行こうよっ!と奥方が所望し、昨年とは別の志摩のホテルに宿泊することにして、外宮と内宮を参拝した。2年続けてみると、参拝の順序もようやく理解してきたが、それよりも、今まで、建築的に、全く理解していなかったことに気付いて、それは…..
上が、外宮にある風宮で、梁(赤い部分)の上に、桁(白い部分)が乗っかる折置組という木組みだった。正宮は撮影出来ないので、この木組みと同じらしいが…
上の写真は内宮にある、風日祈宮で、桁(白い部分)の上に、梁(赤い部分)が乗る、京呂組という木組みで、正宮も同じらしい。もちろん、千木のカットされる向きや、鰹木の本数や、棟持柱の存在などは、知っていたが、木組みの構造が、外宮が折置組に対して内宮の京呂組になっていたことは、恥ずかしながら、理解しておらず、続けたり、繰り返したりするコトによって、理解出来ることが、多いよなとおもう。
最近読んだ本のなかに、『組織に定着している「ルーティン」が、他社がそう簡単に真似出来ない、経営資源であり、さまざまな日常業務の背景にある、その会社固有のやり方が、組織力の正体であることが多い』とあって、そんな意味では、初出なんていうのも、大切なシゴト。と捉える必要があるのだろうし、なによりも、そんなのを、惰性でなく、毎回、新鮮な気分でやることが、求められているのだろう。