平成最後の天皇誕生日
平成最後の天皇誕生日と重なった日曜日。年末の会社大掃除が28日にあり、現場は27日に仕舞いと片付けを終えるのが、木村工務店のルーティンで、そんな慌ただしい時の、23日が、祭日となるのが、有り難いようで、いや、お正月休暇に向けて、ここは、もうひと踏ん張り、働いておきたい…という気持ちにもなり、それにクリスマスが翌日で、毎年毎年、休むことに、微妙な心境で、天皇誕生日の祝日を迎えるのだが、譲位する前の最後の天皇誕生日としての85歳の記者会見を拝聴すると、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。」という印象的なスピーチもあり、ご苦労さま。という気持ちがわいてきて、いままでの、祝日に対する、微妙な気分を反省しながら、休日としてでなく、天皇誕生日を祝福したい、という素直な気持ちになれた日曜日だった。
寒い日が続いたが、今日は、暖かい、穏やかな、祝福するかのような日曜日だったので、朝から、久しぶりに自転車に乗って十三峠を往復する。一ヶ月ぶりに乗ると、坂を上がるのは、とってもキツい。乗らない日曜日が続くと、乗る前は、起きるコトそのものが、面倒くさく、寝ておこうかという気分にもなり、体重とか、血糖値とか、なんだかんだ、考えだして、ようやく、反射神経のように、布団から起き上がり、着替え、その着替えるのが、また、面倒くさく想えてくるときがあって、身支度の準備ができ、自転車の空気を入れて、チェーンに油を注いで、外に出て、漕ぎだしてみると、気分のエエこと、エエこと。
なんで、人間って、こんな、内的な、ブツクサ言う心模様に、アーダコーダと、「考慮」しなければ、さまざまな物事を成し遂げるコトが出来るとおもうのに、人のメンタリティーとは、こんなん感じになるのだろうかね。ハートには従うけど、マインドには従うな。みたいな、ハートとマインドの区別ってねぇ…。あれやこれやの心模様はやり過ごし、無になれ。みたいなコトバってねぇ…。時折、訪れる、そんな思考を、置き去りにしながら、久しぶりに、運動で、汗をかいて、ストレスを解放した。
家で、シャワーを浴びるかわりに、スーパー銭湯にいって、サウナと水風呂で、心身をケアーしたが、休日の午前10時頃のスーパー銭湯は、意外と人が多く、中高年が圧倒的に多いのだが、皆さん、どんな心境で、朝風呂に入りに来るのだろうかね…。帰り道、奥方が、一緒に入浴している、常連のようなおばさんが、隣で会話していて、「ここんところ、週に2回ほどしか、これなくなったら、機嫌悪くなってきたみたいで、ダンナさんが、お風呂屋さんへ行ってきたらどうやぁ!って勧めてくれて、やっぱり、大きなお風呂は、最高やわ!家の狭っまいお風呂には、入ってられへんわ!」って。大きな湯船に入った時の、体に感じる圧力が、小さなお風呂の時の圧力と違って、なんともいえず気持ちエエからかなぁ…て、最近おもう。
帰り道、コメダ珈琲で、たっぷり珈琲と味噌カツサンドを食べる。スタバの「サードプレース」というコンセプトにたいして、コメダは「私たちは”珈琲を大切にする心から”を通してお客様に”くつろぐ、いちばんいいところ”を提供します」という経営理念らしい。スタバの方が、空間的には、お洒落で、エエ感じで好きで、コメダの内装は、微妙な感じがするが、ワタクシ的には、スタバの珈琲の味に馴染めず、コメダの珈琲をチョイスするのだが、ま、それは、スーパー銭湯帰りの時だけの話なんだけど、客層が全く違うのもオモシロイ現象で、なによりも、一年に何度か登校する関西大学の中に、スタバがあり、たしかに、コメダがある姿は想像しがたく、コメダで「くつろぐ」ワタクシたち夫婦は、おっちゃんおばちゃん、なんだろうが、お互いの企業が、持続的に利益をあげていくための、それぞれのポジショニングの違いとか、組織力の違いとか、そんなコトを考えてみた。
夕方、長男家族が誕生日のお祝いで、夫婦二人で出掛けたので、孫二人を預かる。一緒に夕食を共にし、嬉しく、楽しく、カワイイのも、一時間ほどで、徐々に徐々に、長男夫婦の帰りを待ち臨む気持ちが、大きくなってくるわけで、3歳と1歳半の男の子二人が、仲むつまじい姿から、喧嘩でも始まると、お母さんの帰りを待ち望む気持ちは極大化し、いまさらながらに、子育てってタイヘンやなぁっと、既に、経験したコトなど、すっかり忘れて、ようやく、客観的に、子育てを見守れるようになってきた感じ。平成天皇のコトバにあやかると、「子供を預かったこの時が、怪我がない時間として終わろうとしていることに、心から安堵しています。」なんていう心境。それにしても、天皇のスピーチのように、一言一言を、丁寧に、喋ってみたいものだな。
とってもフツウで、穏やかで、エエ日曜日を過ごせたのも、平成最後の天皇誕生日を祝福する波動が満ちていたお陰なんだろう。