時間よ止まれ
とっても寒い日曜日。ついに冬がやってきたなぁ…。土曜日の昨晩は、木村工務店の忘年会があって、ここ何年も、がんこ平野郷の蔵を貸し切ってやるのが恒例で、同じ場所で、何年も同じように忘年会をやり続けて、毎年同じように、それぞれにお酒を注ぎ回り、それぞれの、一年の労を労い、お互いをリセットする所作を繰り返していると、その参加メンバーは、毎年毎年変化していて、それゆえに、こういう繰り返しの所作が、会社の「変化」というものを、実感させられる時間と空間でもあるわけで、今までの参加してくれたメンバーを想い出す瞬間もあって、その懐かしさと感謝とともに、新たなステージを目指そうとおもう忘年会でもあった。
忘年会のあとは、マイクロバスで、会社まで送迎してもらい、加工場のBARで、2次会的に、収束していくのが、ここ最近の恒例で、数年前は、スナックを貸し切って、ドンチャン騒ぎをした時もあったが、このスタイルになってからは、皆が、ゆるやかに三々五々家路につく、落ち着いた雰囲気になって、この方がしっくりくる感じ。そういえば、残った数人の社員や大工や手伝いさんと、会社真向かいのうちの家の座敷で、飲む事になって、それはそれで、楽しい時間だった。
11月3日の文化の日に、大工の息子さんとともに、うちの家を訪問して頂いた、そのお母さんの訃報があった週だった。社員と大工と手伝いさん全員で、車に分乗し、高松まで、お通夜に出掛けたが、そうそう、午後3時過ぎに出発する予定だった、その前に、ソフトバンクの携帯が不通になる障害があって、現場から戻ることが遅れた、現場監督のたっちゃんは、もう少し待って欲しいと、携帯を操作し続けたが、全く通じず、同乗予定の車は、待ちきれずに出発してしまい、5分遅れで到着し、仕方なく、軽トラックで、往復6時間、運転することになって、きっと、携帯が不通による、さまざまな、ドラマがあったのだろうなぁ。
次の日の葬儀にも出席する。50代の母の死と喪主を務める20代の大工の姿は、とっても悲しい葬儀だった。出棺後、葬儀会館の駐車場へ歩く、その向こうに、黒い喪服姿の人々と、紅葉の屋島の真っ平らな姿が、妙に印象的で、あの青空の祭日の日に、家族3人が、母を労い、仲良く歩く、後ろ姿が、フラッシュバックした。その日、うちの食卓のテーブルを前にして、左側に大工、真ん中にお母さん、右に看護師の娘さん。一緒に歓談し、一緒にケーキを食べ、一緒に記念写真を撮った。家の外で、お母さんと、お別れの挨拶をし、思わず握手をした。横にいた、奥方も手を握ると、女性どおしが、涙を流し、抱き合い、励まし合う姿にぐっときた。母の乗る車椅子を押す息子の大工と母の荷物を持つ娘さんの3人の後ろ姿が、とっても印象的だった。生と死。生きるという姿勢を考えさせられ、時間よ止まれ!と願う、瞬間だった。
時間というのは無慈悲なヤツだな。とおもう時があって、それでも、新たなステージを目指そうとさせるのも、時間というヤツのお陰で、ま、それはそれとして、大工さんから、シャチョウ、「向上心」が大事ですよ!と促された、忘年会だった。