イエで。

10月のとっても気候の良い日曜日。建築家文ちゃんが、遊びに来ているよ!と「まちのえんがわ」のアオキさんから電話があって、縁側に赴くと、「シャチョウ自転車に乗っているかとおもってましたけど、イエに居てたんですね」といわれて、あれやこれや、それらしく、イエに居る事になった、言い訳のようなコトを語ってみたけれど、こんなエエ気候の日曜日、窓を開け放って、イエでダラダラ過ごしたい!というのが、本音なのだった。

体育の日の月曜日は、同級生のニシノくんと、柏原リビエールホールで待ち合わせをし、石川沿いから金剛山ロープウェーまでライドし、マス釣り場の手前にあるウッディーハートのパスタランチを食べて帰宅したこともあって、運動量とともに、それなりの満足感に満たされていたが、木曜日の夜、NHK BSプレミアムの「英雄達の選択」が「日本を生んだ戦い新視点 壬申の乱」で、それを見ていると、明日香に行きたいなぁ…..とおもえてきた。

日本の歴史の中でも、大化の改新や壬申の乱や藤原不比等の時代に興味がそそられるところがあって、それが、中大兄皇子が天智天皇で、大友皇子が弘文天皇で、大海人皇子が天武天皇で、その后が鵜野皇女の持統天皇で。中臣鎌足が藤原鎌足になりその子、藤原不比等が比ぶ者なき人物らしく、その娘宮子が、軽王子から文武天皇となった人と結婚し…..。それに難波の宮、飛鳥板蓋宮、近江大津京、吉野宮、飛鳥浄御原宮、藤原京、平城京とそれぞれが都を造り、伊勢神宮も出来て、もう面倒くさくなる構図で、昔からよく理解出来ず、そのまえに、物部守屋や蘇我馬子や聖徳太子や乙巳の変があり、そこに、唐、百済、高句麗、新羅の戦いと白村江が絡んできて、倭国から日本国として誕生する歴史なのだが、いつも頭の中が混乱している状況で、それゆえにそんなのが面白いのだろう。

ちなみに、うちで施工に携わっている、小路にある清見原神社は、天武天皇が、飛鳥浄御原宮から難波の宮に行幸する際に、清見原神社の場所に立ち寄って休憩し、吉野はどのあたりになるのだろうかと眺めたらしく、近くには、吉野見通りという地名も残っていて、天武天皇が崩御したあと天武天皇宮と称していたらしいが、そんな縁も、興味の素となっているのかもしれない。

前回のブログに書いた磯崎新の「資源のもどき」の「イセー始原のもどき」では…..『イセは強力なデザインする意志によって、あらたに創出された虚構というべきであった。決して自然な生成にまかして生まれたといった進化論的な視点で説明出来るものではない。背後に日本独自のものを組み立てねばならぬという政治的要請があったためである。』と建築的な視点を交えてのオモシロイ考察があり、『何年も繰り返される式年遷宮とは、すなはち始原のたび重なる反復である。』などなど、日本を形作るあの時代の歴史を垣間見るにあたり、歴史全体に煙幕のようなものが立ちこめていて、それゆえに興味がそそられるのだろう。

何回か明日香まで自転車で行っているが、できれば、今度は、下ツ道を通って、明日香、藤原京、平城京まで辿ってみたい、グーグルマップで眺めているだけの稗田と番条の環濠集落も自転車で抜けてみたい。そんな気分が週末にかけて沸々ともたげてきた。そうそう、自転車に乗ってみて最も気付くことは、難波の宮があった大阪から、明日香や平城京に行くのには、そこそこの峠を越えなければならず、それがとってもタイヘンで、大陸から難波津に着いて侵攻するコトを考慮すると、明日香に都を築く気持ちも、遠く大津の宮まで移転したいという気持ちもなんとなくわかる。

土曜日のお昼。吉野の坂本林業のサカモトさんのコーディネートで、タケナカコウムテンの若い設計の方々が、数名でお越しになって、皆で、カレーを食べながら、建築談義で盛りあがった。気候も良かったので、窓を開け放ち、10人で、テーブルを囲んで過ごす、心地良いひとときで、その余韻が暫く「空間」と「私」に残っていた。それが、日曜日の朝、明日香に向けて自転車に乗る気分以上に、イエでダラダラ過ごす心地良い日曜日を味わいたい…..という気分となった理由なんだろうな…..。

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