サードウェーブ的
心準備が曖昧なうちに唐突に桜が咲いたような感じ。いつもより1~2週間、開花が早くなぃ?!。今朝は、自転車で、葡萄坂から、のどか村と朝護孫子寺を経由し、フラワーロードを走り、奈良側から裏十三峠を登って、十三峠を大阪側に下る。その途中のサンシュウの黄色の群落の上に、ちょっとだけ見える桜の上品なピンクが、最近の私の桜の定点観測所。その花々を背景に谷間に木霊するウグイスが鳴く詩をしばし聴いた日曜日の朝。
午後からは、喫茶ルプラの西峯さんによる珈琲ワークショップが開催された日曜日で、22組で40人近い参加者にお越し頂き、ここ最近では、大変多くの参加者に恵まれたワークショップだった。それぞれが手作業で、真鍮の棒を金魚すくいの輪っかのように曲げて、その輪にネルを入れ込んで、それぞれで珈琲を煎れる。その珈琲をお互いにシェアーしあうのがとっても楽しい。
ネルドリップで、同じ珈琲豆でも、抽出する時間によって、味が変わるといわれているが、ほんとうなのかどうか、それぞれの珈琲を、少しずつシェアーしてもらって、体験すると、なるほどっ!本当だ!と舌でハッキリ体感できる。なによりも印象的だったのは、同じ珈琲豆で、同じ抽出時間でも、珈琲豆へのお湯の注ぎ方が、ドバドバっと注ぐ煎れ方と、チョロチョロチョロチョロと細く煎れる方法とでは、味に違いが出るのが面白い。チョロチョロの方がコクがあるような気がした。確かにポットの注ぎ口の形状が重要になってくるのも理解出来たりする。
最近、いわゆる、珈琲ブームなのだろう。サードウェーブ珈琲なんていう、呼び方が、なんとなくカッコエエとおもえてくる昨今。サードウエーブコーヒーをウィキペディアで調べてみると。
19世紀後半から1960年代における、インスタントコーヒーなどの普及により急速に家庭に広まったファーストウェーブ、1960年代から2000年頃にかけてのスターバックスなどのシアトル系コーヒーに代表されるコーヒーの風味を重視するセカンドウェーブに次ぐ、コーヒー本来の価値を重視する第3のコーヒーの流行を指す[1]。コーヒーを単なる生活必需品として捉えるのではなく、ワインのような芸術性を兼ね備えた高品質な食品として提供することを特徴とし、コーヒーの栽培管理、収穫、生産処理、選別そして品質管理に至る全ての工程において品質管理が適正に行われており、欠点豆の混入が非常に少ない。個性を持った商品に人気が集まるといった点で、地ビールと類似した特色を持つ。
サードウェーブ工務店。なんていう呼び方もオモシロそう。大工さんと左官屋さんが、施工の中心となり、木や土を産地から管理し、手間暇を掛けて仕事をする。施主と設計と現場監督と職人さんが高品質な家を提供するために、生産地から気遣う努力を惜しまない。そんなイメージなのだろうか。
そうそう、今週の19日月曜日にあった「空き家カフェ」で、面白い考え方を聴いた。生野区の一条通商店街にある空き家を買った女性のAさんは、定年退職のお金を使って空き家を買い取り、そこをコミュニティースペースとしてリフォームしている。第二の人生を楽しみながら社会貢献をする予定なのだが、その、「お金」を、どのように考えるかが、とってもサードウェーブ的。
ここ数年は、お金を銀行に預けたままでは、利息も良くなく、そんなのを資産価値と呼ぶのかどうか。そのお金を、例えば、空き家に「預ける」。それが、「投資」というコトバでなく、「預ける」というコトバの使い方と、その感覚が、とってもユニークで、コミュニティーなスペースとして再生利用する空き家に「預ける」と、いろいろな繋がりと楽しみと苦労が生まれて、それが、面白いし、エエねん!と。利息もほとんど生まない、繋がりなど全く生まない、銀行にあるお金。さまざまな社会貢献と楽しみと苦労を生む、空き家に預けたお金。この話を奥方にすると、私もそうおもう!その方と同じ性格やわ!という。預金から投資へ投資からシェアーへ。なのか?
いまさらながら、ようやく私の中で、「サードウェーブ的」というコトバが開花した週だった。