雨降りだから北斎展
台風が、二週間続けて、日曜日にやってきて、先週の日曜日の開催を延期した写真家多田ユウコさんによる日光写真ワークショップが、今日の日曜日に開催する予定だったのに、またも延期になってしまったという、まるで、神様より、雨女の称号を与えられたのではないのかとおもうほどの、不運な巡り合わせの日曜日だった。リベンジ開催として、11月12日の日曜日を開催日に決定し、木村工務店の住宅相談会の日と重なるのだけれど、なによりも、「日光」あっての「日光写真」ワークショップとして、秋晴れの太陽のもとで開催されることを、心底、祈りたい気分になった、雨の日曜日の夕刻だった。
そんなこんなで、「雨降りだから」シリーズが、この日曜日も続くことになり、リフォームした寝室にあるウォークインクローゼットの衣替えと整理整頓と断捨離を「雨・だ・か・ら」やるように!という、奥方からのマンツーマンによる強制的指導が発令され、流石に二週も雨が連続すると、素直に「はい」というコトバが出てくるカワイらしい「私」も存在し、ズボンを履いたり、シャツを来たり、背広を着たりして、「はい!これは捨てるねぇ!」「まだ、置いててもエエのとちゃう」「なに、男らしないこと言うてんのぉ、捨てるよぉ!」「はい、わかりました」と、台風が私の精神に与える影響は絶大で、どんどん断捨離され、淘汰されていき、奥方の、「あ~っ、スッキリした!」という、締めのコトバを頂戴して、ようやく解放されることに至ったという、台風の日曜日の昼下がりだった。
大阪市内では、夕方前に雨が止んできて、それで、私なりに、衣類の断捨離に頑張ったコトをわざとらしくアピールしながら、アベノハルカスの北斎展でも如何ですか!と丁重にお誘いしてみると、スッキリして機嫌良さげな奥方の姿を目撃し、気分転換も兼ねて、北斎展に行ってみることになったが、この悪天候にも関わらず、予想以上に沢山の人出で、チケットを買うのに20分ほど並んだ。
最近は、美術館で、音声案内がある時は、ちょっとお金がもったいないような気がするのだけれど、なるべく、音声案内を付けて、美術鑑賞をすることにしていて、お盆に訪れたベルリンのバウハウス資料館では、日本語の音声案内があって、その内容がとっても良く出来ていて、バウハウスのコト、デザインのコトを、あらためて学ぶ機会となって、とっても印象に残る美術鑑賞の時間を過ごした。そんなわけで、北斎展での音声案内を聴きながら、ベルリンのバウハウスでの想い出がフラッシュバックした。
沢山の人が、列をなしながら途切れる事なく、北斎を鑑賞していて、なぜ、これだけ、北斎人気なのか、不思議に思えてきたが、音声案内を聴きながら、その北斎画の前で、対峙して、ゆっくり鑑賞する、ゆったりとした状況では、全くなかったので、多くの鑑賞者越しの人と人との隙間越しに見える北斎の作品を音声案内と共に楽しむコトになって、有名な神奈川沖浪裏では、もっとも人が渋滞していて、人と人の肩越しの隙間に垣間見る、独特の青と襲いかかるような大きな白波の、その波越しの、そのまだ遠くに見える、静かに人を見守るかのような富士山に、多くの鑑賞者と共に、見守られながら、音声案内に、なるほど、そうなのか…..なんて頷いたりしている「私」が、北斎美術を鑑賞をしているという構図だった。
ちなみに、2009年と2010年のゴールデンウィークには、富嶽三十六景の描かれた場所に旅をするという家族旅行を楽しんだ経験があり、ちょっとした親しみを北斎に感じるのだけれど、音声案内で、「漫画」は、「気の向くままに描く」という意味の言葉で、北斎漫画の戯画風の描画によって「漫画」というコトバが広まっていった。という説明があり、そんなのが、北斎の人気のバックボーンになっているのだなぁ…..と考えてみたりした。
大阪弁で会話する若いカップルが、「それにしても、え・らい、おじーちゃんやな」と女性が呟く光景があって、この「えらい」は、「凄い」とか「えげつなく凄い」という意味で。絵画の横には、描いたときの年齢が書かれた札があり、60歳代、70歳代、80歳代、90歳代と、歳を重ねてからの描画が凄く。おそらく、多くの鑑賞者が、歳をいってから、極めていくコトや、頑張って生きていけるコトが、いっぱいあるのやなぁ…..私も歳いっても、まだまだ頑張らなあかんなぁ…..。という刺激をうけたのだとおもう。
そうそう、北斎が、孫の放蕩ぶりに、手を焼いていたという、音声案内があり、孫を持つ身になてみると、いったい、どんな孫やたんやろ。見てみたいわ!という、電車の中での奥方のコトバが、北斎おじいちゃんの妙な親しみの残像となって残った、台風の雨降りだからの北斎展だった。
投稿者 木村貴一 23:53分