ベルリン と 自由
一ヶ月ほど前に、突然、ベルリンに、行こう!ということになった。そもそも、ベルリンに、さほどの興味を持っていたわけでもないが、長男タカノリの友人のユウトが、政府関係の仕事を、ベルリンでしていて、大阪に一時帰国した時に、ベルリンの話を聴いて、興味が湧いてきたのは確かだが、現実感がないまま、それはそれで、通りすぎていった。
それが、このお盆休暇の一ヶ月ほど前に、奥方が、唐突に、ベルリンに行けば!という。それも、長男タカノリ、次男タカヒロ、「私」の親子3人で行っておいでぇ!!!、と強く進めるのだった。そもそも、長男タカノリの第二子の出産予定日が8月10日で、私にとっては、二人目の孫になるわけで、おそらく、その日より早く出産するのだろうし、お盆に、子供の出産と二歳にならない孫の第一子イッケイと、それに、あんたたち、3人の面倒まで、見るのは、辛いわ!という。なので、「その3人」が旅に出てくれれば、わたしの負担は少なくなるのよねぇ! それに、ユウトがベルリンに暫く居てる、この時が、チャンスだし、その3人で、建築のお勉強でもしておいでぇ!と男前なことを言うわけだった。
それにしても、飛行機は?、お金は?、どうするのぉ!という問いには、それは、自分で、段取りしたらエエのよぉ!と、そこは、素早く、女性に戻る奥方だった。タカノリが、関空から、ドイツ、ハンブルク行きの便を、満席になる、なんとか、ぎりぎり前に、手配し、ベルリンまでは、電車で行くことになったのが、1ヶ月前の、ちょっと慌ただしい、出来事だった。ただ、出発時の、大きな誤算は、出発日までには、誕生しているはずの、第二子が、予定日になっても誕生していない。という、予想外の展開のまま、10日の夜に、その3人で、関空を出発することになった。
ベルリンの面白さは、ヨーロッパの古い街並みが、繰り返し続く、伝統的な街の良さ。ではなく、第二次世界大戦による建物の破壊と、ベルリンの壁による経済的発展の遅れで、1989年11月9日の、ベルリンの壁崩壊後に、新しい建築が、どんどん作られ始めた、ちょっと新しい街並で、現代的な建築としての、集合住宅や、オフィスビルや、ショッピングセンターや美術館が、世界の有名な建築家の設計で、建てられている街で…..。なんていうことを、「私」も、ほんの数日前に、知るようになった程度で、そんな知識と興味で、ベルリンの街に到着した。
ブランデンブルク門やイーストサイドギャラリーでの観光的記念写真は定番としても、「建築」として、楽しかったのは、「バウハウスアーカイブ」で、日本語の解説付きイヤホンで、作品を見ながら、バウハウスによるデザインの勉強が出来たこと。それに、なんと言っても、ダニエル・リベスキンドによるユダヤ博物館が、建築として素晴らしかったコト。
なんていう、そんな建築のコトよりも、一番のベルリンの面白さは、さまざまな建築を通じて、「自由」というコトバとカンカクに、あらためて気付かされるコトで、「自由」って、大切だなぁ…..と。ベルリンのホテルにておもう。
投稿者 木村貴一 :23:59