秋分の日と私

ようやく涼しくなって、嬉しい。というか、この猛暑によって体に負担がかかっていたのだなっ。とあらためて気付く。あるひとと建築の話をしていたら、冬のお風呂で倒れるひとは、ヒートショックというより、冷たい体で熱い湯に急に入って熱中症になっているからだっ。という見解を聞いた。なるほどっ。熱中症になる感覚を皆で共有できる猛暑の夏だったようにおもう。

そうそう通路の陳列のなかに生け花が飾ってあって、歩いて通り過ぎながら、眺めて「秋の気配」を感じた秋分の日の朝。写真撮って、家に帰ってから見たら、ガラスの反射越しに「私の気配」もあった。あれっ、漢字の「秋」と「私」はあらためて似ているねっ…..

「秋」という漢字のへん(左側)は「火」で、その右側が「のぎへん(禾)」に「火」を加えてできた漢字です。秋に穀物を天日干しして乾燥させる様子を表しているため、穀物を示す「禾(のぎ)」と「火」が組み合わさっています。 と書いてあり。

「私」という漢字のへんの部分は「禾(のぎ)」です。この漢字は、禾と音符の「厶(シ)」で構成されており、穀物を囲い、自分のものとした穀物の意味から転じて「わたくし」を意味するようになりました。と書いてあった。そうなのかっ。私という感覚は穀物を自分のものにする感覚なのか…..。

その秋分の日の午後。関西大学の木造設計製図の授業があり、後期の前半だけなので3ヶ月ほどだが、そのお手伝いするようになって10年以上が経過する。ここ数年は、木構造担当の下山さんが授業の最初の日に「木構造設計の基本」という、木造の構造の考え方のレクチャーがあって、それがとっても良く出来ていて、楽しいし私も学べる。学生や工務店や設計者に向けて全国行脚したらどおっ…て、授業後の飲み会で伝えてみた。

授業は意匠担当の米谷さんと構造担当の下山さんと工務店の私の3人チームで担当する。私の役目は「ものづくり」としての建築を伝えるコトで、うちの会社でもそうだが、設計をやっていると、建築が、ものづくりとして、大工さんや職人さんの人の手作業によって造られていくことを忘れがちになってしまう。特に木造は手作業に頼る部分が多い。森林から取れた4mや6mの長さの木材を使ったリアリティーのあるオーソドックスな木造の設計と製図を学ぶ授業でもある…..。

そういえば、私が、木村工務店に入社した当初。今は亡き父、木村正一が木村工務店の専務で、私と二人で住宅の設計のプランを担当していた。その時に、父は、石井修さんと同じ吉野工業の建築学科で学んで、木造の授業が素晴らしかったけれど、お前は、全然、木造のコト学んでないし、解ってないなっ。大学では木造を全く教えへんのやなっ。と何度か言われたものだ。先日亡くなった木村工務店の工事部長だった福本さんの圧倒的な枚数の手書きの「木造の施工図」から木造の設計と木造の現場を学び、その図面を現場で見た、大工さんの立ち居振る舞いと叱咤激励の言葉から木造のリアリティーを理解してきたようにおもう。

「秋と私」そんなメンタリティーな、いまとここ。

地図と社歴

毎月19日に「空き家カフェ」が木村工務店3階会議室で開催されている。もともとは生野区で「空き家リノベーションアイデアコンクール」というのが2015年11月に開催されて、そのアフターコンペとして「空き家を商うあきない話」というトークライブが開催された。そのトークライブの継続性として、毎月19日に空き家をテーマとしたミーティングを開催するコトになり、それが「空き家カフェ」と名付けられるようになった。木村工務店の1階の路面店「まちのえんがわ」が「生野区持続可能なまちづくり活動支援事業」の第一回事業者として2015年に選定されたことが、行政との繋がりになり「空き家カフェ」の開催に繋がったようにおもう。

空き家カフェ」は「生野区のまちの魅力を語る場」として10年間継続開催されている。上の「まちの魅力づくり」は「空き家リノベーションアイデアコンクール」の審査委員長だったgrafの服部さんが、即興的に板書したやつで、それを当時の生野区の課長だった乾さんがグラフィック化した図。それで生野区の元副区長だった竹沢さんが「空き家カフェ」のまとめ役として毎月のテーマを選定してくれているのだけれど、今回は木村工務店の沿革から生野区のまちの変化を考えてみたら…..とお題を頂戴した。確かに、ちょっと面白そうにおもえて、古い地図を調べると「今昔マップon the Web」というのがあると知った。

ホームページの沿革にある写真から、木村工務店の創業は昭和12年、1937年。上の1935年頃の地図の赤い点が木村工務店の場所で、創業の2年前までは、まだ田んぼだったと知る。この地図の2年後には、そこに長屋と事務所と加工場を建築していたようだ。そうそう、そういえば、創業者の祖父と祖母は、どうやって出会ったのだろう…..なんておもった。下の地図はその1935年当時の木村工務店の場所を中心とした大阪と東大阪と八尾で、大阪が大大阪と呼ばれ、船場あたりを中心として大きな町だったと改めて知るし、東大阪も八尾も、いわゆる田舎であったのがよく判る。

1945年の「終戦」という大きな出来事とともに建設請負業を再開し、1949年に株式会社木村工務店を設立したようだ。戦後という時代になって、人口が増え、住まいの必要性が生じ、長屋の建築が増え、学校が増え、銭湯が増えたようにおもう。その需要により工務店が必要とされて、長屋や文化住宅や木造の小学校を多数施工することになった。と記録に残る。下の写真は会社設立の1949年頃の地図で、木村工務店の所在地の赤いマークの周辺が「まち」になっていく様子がよくわかる。

ちなみに黄色い印のところに現在のロート製薬さんの本社がある。1949年当時は田んぼだが、ロートさんの沿革を見ると、この10年後の1959年に、この場所にユートピアのような会社を作ろうと考え「ロートピア」と名付けたそうだ。戦後の人口増加にともない、働く場所が必要となり、長屋で起業したり、大阪の都心から近い田んぼだったこの周辺に工場を建てたりし、ものづくりが増えていく様子がわかる。「ものづくりセッション」の武田さんの資料を借りると、以下のように、大阪では生野区がもっとも事業者数が多く個人事業主や家内工業が多いまちだったようで、いまは平野区に次ぐそうだ。その製造業の事業者数が大幅に減少しているという。

この上の1970年の地図の赤いマークが木村工務店で、密集市街地といわれる「まち」になった様子がよくわかる。黄色い囲みのロート製薬さんあたりに工場も出来ていく様子がよくわかるし、長屋で起業し、商売繁盛すると、大きな工場の必要性が生じ、広くて安い大きな土地を求めて、生野区や平野区や東大阪や八尾に工場が作られ、そういう需要に応えるように、鉄骨ALCの工場を建築したと木村工務店の沿革に残る。下の1970年代後半の大阪と東大阪と八尾の地図を眺めながら、生野と東大阪が、ものづくりの町として、工場が増えていく様子を想像してみた。

古い地図を眺めながら生野区の「ものづくり」を考えていると、松下幸之助さんの起業の地が猪飼野とよばれる地域であったことを想い出して、あらためて調べてみる…..東成区のホームページにこんなふうに書かれてあった。

東成・生野(旧・猪飼野)は、古代から先進的な技術者の集まった土地で、この地の『もの作り文化』は現代にいたるまで、数々の独創的な企業を生み、大阪の経済発展に大きな役割を果たして来ました。幸之助氏がここで業を興したのも、東成・生野の地に、新しい産業を受け入れるだけの多くの先人が耕した、豊かな土壌があったからにほかなりません。

上の1922年頃の地図の黄色いところにあったようだ。
このDNAが生野区の「ものづくり」の「起業性」を育んできたようにおもえてきた…..。

「稲・石・秋刀魚・鮨」

9月連休の日曜日。自転車に乗るのが快適な季節のはずなのに、蒸し暑い。汗湧き出る感じ。こんな暑い夏、初めてだったなっ。で終わらず、秋まで暑さが持続する雰囲気が、凄い。でも、なんか、稲穂は元気な感じがする。調べたら…..

令和7年(2025年)の米の収穫量は、過去最大の増加幅となる見込みで、作付け意欲の高まりから719万トン(前年比40万トン増)が予測されています。九州南部などで7月中旬から早生品種の収穫が始まり、8月上旬から店頭で新米が出回り始めます。 

さて米相場どうなるのだろうか….「実りと祈り」秋祭りの季節だな。

冒頭の写真のミラーの右が金剛山で、今は動いていない金剛ロープウェイの入り口までヒルクライムすると、湧き水を提供している小屋があって、それ目指して登るのが、ちょっとしたモチベーションになっている。人の心理ってオモロイ。湧き水を大きな石のシンクで受けているのが、ちょっとした「好き」。この石どうしたのかっ…..と眺めながら、顔洗って喉を潤す。そうそうたまに自転車で明日香に行きたくなるのも、石を見たくなる衝動がモチベーションになっているからだとおもう。先日見た「江之浦測候所」も石の魅力がたっぷり。石に宿る何か…..。

今年は秋刀魚が大量らしい。鶴橋の「鮨屋」で、大将に、お勧めありますか….て聞いたら、秋刀魚どうですか….今年大量やからねっという。鮨で秋刀魚を食べることほとんどないけど、食べたら脂ものってとっても美味しかった。回転寿司の発祥が布施の元禄寿司で、うちの家から近くなので、できた当時、おじいちゃんが、鮨廻るのってそれっあかんでぇやっぱり目の前で大将が握って手で渡してもらわんとなっ。と言ってたが、いまや回転寿司はインバウンドの人達も惹きつける日本文化になった。

ごくごくたまに、その布施の元禄寿司に行くが「回転寿司」の反動で「鮨屋」のマーケティングとイノベーションがムツカシイ時代になっているとおもう。カウンターで握ってもらう鮨が高級になりすぎて…..。確かに金沢の「小松弥助」は感動したけど….。ちょうどエエバランスの「鮨屋」を継続経営する持続可能性がムツカシイ時代なのだろう。

そうそう「ものづくりセッション」があった土曜日。4組のプレゼンがあって、木原産業の木原さんによる商談の話と係数。オークマ工塗さんのファミリービジネスの話。紙芝居屋ガンちゃんによる電研の紙芝居仕立ての社歴プレゼン。最後が桃谷のピザ屋さんカサディエッロの塚本さんで、懇親会ではうちの加工場のピザ窯を使ってピザを焼いてくれた。同じピザ窯使っても、プロはひと味違うねっ。それで、飲食店業界のことを聞いてちょっと驚いた。起業後10年後には94%が倒産しているという。その要因が、味ばかりを追求するからだ…..という話だった。

これを「持続可能な工務店」に置き換えたらどうなるのだろうか…..社員と一緒に考えてみよっ…..とそんなコトを考えた連休前夜の「ものづくりセッション」だった。「稲・石・秋刀魚・鮨」そして「持続可能性」

「伝統と現代、継承と革新のせめぎ合い」

日曜日の早朝。自転車で金剛ロープウェイまで往復することにして、途中、石川の玉手橋で自転車を止めて撮影。映画「国宝」の映像シーンの記憶が残っているのだな。この反対が校舎の見える向きで、ここをわざわざチョイスして、あの映画のワンシーンを作りあげるのかぁ…なんておもった。「風景の中の視覚的効果」という課題を学んだみたらっ!と私にわざわざ本の切り抜きを送って頂いたのが故秋山東一さんで、それ以降、「橋」の見方や「ランドスケープ」に新しい視点が加わったようにおもう。下の写真のイングランドのダラムにあるキングスゲートブリッジが、「風景の中の視覚的効果」の教材だった。その橋で、ひとり佇む秋山さんと撮影する私。秋山さんのピース姿は珍しい気がする…..。

あらためて玉手橋のデザインをみると、橋の入り口付近の両側のコンクリートの塊の頭頂部に、中世ヨーロッパ風というかフランクロイドライト風というか独特の「装飾」があり、吊り橋を吊る主塔の装飾デザインとして使われている。主塔のアーチのデザインもレトロモダン風で、赤い欄干も含めて、全体的に昭和レトロモダンといえるのかも。この橋が、玉手遊園地へのゲートの役目を果たす「非日常への入り口」としての「橋」であったことも考慮すると、映画国宝のテーマにある「伝統と現代、継承と革新のせめぎ合い」の導入部として、二人が学生時代を過ごすシーンを、この橋を使って撮影することで、映画としての「風景の中の視覚的効果と心理的効果」を生み出そうとしていたのか….なんて想像してみた。

ワイン会を催した金曜日の夜。戸田木材店の戸田さんとはMOKスクールで知り合いになり、会社に無垢のフローリングの営業に来てくれて、それがとってもマニアックな人だった。同じMOKスクールで知り合いになった八尾の高津木材の若林さんと一緒に食事する機会があって、あれやこれやと「木」のマニアックな話で盛りあがっていると、実はワイン通なのだという。じゃぁ、うちの家で、フレンチのシェフよんでワイン会しましょ!と、トントン拍子に話が進んで、8名の建築関係で「木好き」のひとが集まるワイン会になった。

フレンチの出張シェフの上地くんとは、かれこれ7、8回、家で食事会を開いている。30代後半でお店を持たず出張シェフと料理コンサルタントとして仕事をしている姿をここ4、5年見てきて、その食事のクオリティーがどんどん進化している姿を垣間見ると、あらゆるところで「伝統と現代、継承と革新のせめぎ合い」が起こっているようにおもう。このメインのジビエ鴨肉も、いままで食べた事のない焼き加減と食感とソースの組み合わせだった。

戸田さんは用意した11本のワインに自分で試飲した感覚を自分のコトバで書いたワイン紹介のパンフレットまで用意してあって、そのマニアックぶりが伝わるが、本職の木材に関してはホームページで、そのコダワリぶりをより感じさせられる。今回の食事会では、そうゆうオーラのもとでワインを飲みながらフレンチを食べながら話をするので、自ずと「木」に関する「伝統と現代、継承と革新のせめぎ合い」の話で盛りあがったようにおもう。

食事会の翌日の朝。うちのキッチンに並んだワインの空き瓶を見て、よー飲んで、よー話したなぁ…..とおもった。

「大屋根リング」という「単位」

どこでも大屋根リング」というのがあると知って、ミナミの御堂筋と周防町筋との交差点、アップルの店舗のあるあたりを中心に置いたら、南北は道頓堀川と長堀通りの間で、東西は四つ橋筋と玉屋町筋の間に挟まれた範囲だった。万博の感覚をミナミに当てはめたら案外狭いなぁ。というか丁度ウロチョロできる良い範囲だな。心斎橋筋商店街を中心にして、ヨーロッパ村と呼ばれていた周辺と、アメリカ村周辺と、道頓堀周辺をウロチョロしている感覚。ちなみにリングの大きさを調べたら…..

  • 全周:約2km
  • 建築面積:約6万平方メートル
  • 高さ:約12メートル(外側は20メートル)
  • 内径:約615メートル
  • :約30メート

ミナミがこんなリングで囲われてたら面白いけどねぇ。 まぁでも、ほとんどの建物がこのリングの高さより飛び出るので、ちょっとアカンかぁ…..。日本のどこかの町に設置したら、どうなるのだろう…..と想像力湧いてくる。こういうソフト作ったひと、なんか好きだな。

ちなみに木村工務店を中心にあてはめてみたら、ちょうど歩いてウロチョロしている「町」の感覚だと知る。この範囲を超えてきたら自転車でウロチョロだな。生野区の東端に木村工務店はあって、だいたいこの円形リングの右=東側に行くと東大阪市になる。なので布施に行くときはママチャリ使う。大屋根リングの半径超えたらチャリンコね。みたいに大屋根リングが「単位」になったらオモロイかも…..。

工務店では、今でも「寸」や「尺」を使う。1尺=0.303mと定められていて、1辺が6尺=1間の正方形を1坪と定めている。なので面積も「㎡」より「坪」の方が感覚的にフィットしやすいので、約10㎡といわれると、坪に換算して、9.9㎡≒3坪で、1坪=2畳なので、約6畳の大きさやねぇっ。と感覚の共有がしやすい。畳が感覚的共有をする単位になっているようにおもう。で、大屋根リング1週ぐらい歩くわっ!といわれたら2kmで、ちょっと距離あるなぁ。とか。半周ぐらいにしとこかぁ。みたいな感覚。直線的に歩いたら615mだそうだ。

そういえば、万博行って、帰る時に、パビリオンの間を抜けて帰るか、大屋根リングでぐるっと回りながら帰るか、選択する時があって、今日は早く帰りたいから直線選ぶけど。とか。距離ちょっと増えてもリング廻ったほうが気分エエし。とか。直線と半周の距離感の違いを経験して体で覚えて夫婦間で共有しチョイスしているのだな。大屋根リング半周。大屋根リング直線。大屋根リング内。そんな「単位」使うかな…..。

ちなみに白川郷は、ほぼ大屋根リング内の集落だった。

万博あれやこれや。

お盆休暇後半。奥方によって万博の予約が2回されてあって、この暑さのなかで行列に並んで待つのは、ほとんど「修行」だな。それで気が付いたことがあって、多くのひとが、長時間並んで入館するのを楽しんでる感じがしたのだ。午後4時すぎ、イタリア館の待ち時間は3時間以上だったので、レストランの列に行ってみると、テラス席なら30分ほどで入れた。夕方で日差しも入らず風吹いて丁度エエ感じ。横の席から聞こえてくる会話は、5時間並んでイタリア館に入った話だった。

その話を小耳に挟んだ奥方は、今度はイタリア館だけ目当てに3時間以上は並ぼうっと宣うのだ。うちのベッショ大工は4時間並んでイタリア館に入場したという。今回から折りたたみ椅子を用意した。椅子に座ってスマホ見ながら音楽聴きながら円形リングの木組みの下なら、なんとか我慢できるかな…もはや「行列メディテーション」になっているとおもう。

そうそう何回か行くと、その木組みの円形リングの貫構造のめり込み抵抗の仕口の違いに興味がわく。建築雑誌にはリングの施工は3工区に分かれ、それぞれの工法の違いが書いてあったが、木村工務店でこの施工に携わったなら、どんな仕口の金物を考えて施工するか、木と木がきしみ合ってめり込み抵抗する方法が他にもありそうな気がするが、構造の下山さん交えて現場監督と大工とでワイワイガヤガヤやったら楽しかっただろうなぁ…..なんておもう。今度、構造の下山さんと飲むときには、そんなのアテにして飲もっ!

竹中工務店の設計部の知り合いのヤマザキさんがプロジェクトリーダーとして担当した「森になる建築」を見る。メチャクチャ暑いなか、中に入ると、クールチューブと氷の椅子で、外部よりずっとましだった。植物由来の樹脂を材料とした、3Dプリンターでつくる建築だそうだ。外観はティピーテントのようで、内部に座るとパンテオンのように丸穴が空いていて、小さくてカワイイ。行列もできずストリートの中に小さく佇んでいるのが、現代的万博らしくて、とってもエエとおもう。

そうそうクールチューブでおもいだしたが、しまなみ海道の宿、輪空のお二人が、万博に行くためにうちの家に立ち寄ってくれた。その時こんなクールチューブが巻かれたザックを頂戴した。凍らせたペットボトルを背中のバックの中に入れて、150ccの水を入れると、胸ポケットに入ったバッテリーとポンプで、その凍ったペットボトルによって冷やされた水が、クールチューブの中を循環するのだ。万博で使ってみると、背中が冷えてとっても心地良いのだ。このお陰で、アメリカ館の行列を待てたが、ペットボトルの氷が、3〜4時間ほどすると溶けて、急にエネルギーが枯渇したアトムのようになって、死にそうな気分になってしまうのだった。

予約で当選したパソナでみたIPS細胞の心臓とかアトムとかも万博的で良かったが、行列もなく、すっと入れた「量子力学」をテーマにした館が、おたくの集まった雰囲気も含めてとっても楽しかった。「量子もつれ」なんていうのが実用化されている姿を垣間見れて、万博っ!て感じ。暑くて我慢できなくなるとコモンズ館を目指した。何回か入館しているが、とってもプリミティブな展示で見る価値はとっても薄いが、行く価値はあるねぇっ!世界にある多くの国々を知れるし旅したい気分にさせられる。その国々の民族の人がその場に存在しているのがエエし。

イギリス館のジョニーウォーカーバーが並ばずに入れること知って、喉渇いたら、IPAビール飲みに2回行った。アメリカ館のレストランも行列の横から入って並ばずにビール飲んだ。スペイン館もレストランの横から入ったら出口にある立ち飲みでワイン飲めると知って2回飲んだ。たぶん、もっと、知らない、いろいろな楽しみ方があるのだろうなっ。ま、どこも高いけど、それはそれで割り切って、お祭りとして楽しむことにした。そんな万博あれやこれや。

大雨でこんな予期せぬ旅に。

雨が降り続いたお盆休暇前半。前回のブログで、長男家族4人と次男と私の6人で、丹沢のバカ尾根を登り、堀山の家に泊まっているはずだ…..と書いたが、大雨の影響で結果は全く違って予期せぬ道中になった。8月10日の大阪は朝から雨。新名神と新東名を走るあいだもずっと雨が降り続いた。丹沢へのアプローチの渋沢駅で次男をピックアップした時はどしゃ降りの雨だった。

駅からどしゃ降りの雨のなかを駆けて車に飛び込んできた次男は、ビームスゴルフのTシャツを着て雨具もコンビニで買うわっという、まったく山に登る雰囲気じゃぁなかった。もちろん小学校低学年の頃から何十回も登っている勝手知ったる山だというものの、ちょっと山なめてるんちゃうっ…..ていうと、靴だけは登山靴やでぇっと大阪弁で返す。東京に住んで10年近くになるのに、いまもかなりの大阪訛りで喋っているらしい。

近くのコメダでモーニング食べながら作戦会議することにした。堀山の家の女主人のなっちゃんにLINEで連絡取ると、小屋は森林限界の手前なので、まだましだが、予報では午後3時までは降り続くという。明日も一日雨予報だった。小学生の子供連れなので、無理しなくても…..。雨で山嫌いになられても…..。なんていうアドバイスもあり、ウエザーニュースの山の天気予報も1mmから5mm以上の雨に、どんどん悪化の方向に向かっていった。駐車場もどしゃ降りだった。

そんなこんなで、オトコ3人だけなら絶対登るけど…..magosとその母連れなので…..なんていうちょっと言い訳がましく、急遽、ここから車で30分ほどの大磯ロングビーチに連泊することになった。もともと山小屋に泊まった翌日は、昼からオトコ3人で「江之浦測候所」を予約してあり、夜は新幹線でやってくる奥方と合流し、山を登ったあとのmagosをプール遊びさせて、7人で宿泊する予定だった。それにしても雨のなかでも多くの子供たちがプールに入っているのには驚くが、とりあえずプールも付属するサウナで、ゆったり過ごす二日間になった。

翌日。写真家で現代美術作家で建築家ともよべるような杉本博司と建築家の榊田倫之が主宰する新素材研究所による「江之浦測候所」を見学する。ホテルから車での移動中は大雨だったが、到着した途端、ピタッと雨が止んだ。それにしても、お金と創造力とセンスとコレクターの全てが備わると、こんな創造的な遊びができるのか…..凄いなぁ…..なんておもった。また機会があれば、是非もう一度行ってみたい。

大磯からの帰り道は、若いサウナーであふれかえる静岡のサウナ「しきじ」に立ち寄り、唐突に名古屋で宿泊することにした。翌朝、行列ができるほどの人気で驚いた名古屋市科学博物館の特別展「古代DNA・日本人のきた道」を見学して、熱田神宮に参拝し、流石に3時間は待てない蓬莱軒で、ひつまぶし弁当を買って、大阪に帰り着いた。大雨が、こんなまったく予期せぬお盆休暇前半の旅へと誘ってくれた。木村工務店では8月18日月曜日から通常営業です

「霊を迎えて供養する」お盆

「お盆」になると、それはほとんど「夏休み」と同義語で、若い頃はどこに遊びに行こうかと楽しみでしかたなかった。子供の頃は、どこかに連れていってもらえるのが楽しみだったし、大学生の頃になると、「旅」なんていう感覚が理解できるようになって、お盆に実家にいる機会がなかった。祖父母と両親が亡くなってようやく「お盆」の「先祖の霊を迎えて供養する」感覚に、現実感を伴えるようになった。

結婚し、長男が生まれ、いくつになった時か記憶が曖昧だが、お盆休暇に北海道を旅することになって、ひとまわり歳上のセツを中心とした東京在住の友人たちと、屈斜路湖コタン温泉露天風呂の芝生広場で、待ち合わせをし、 ベースキャンプを張って、ゆったり過ごしながら、車であちらこちら観光しようということになった。

その旅の計画の時に、武田泰淳の「森と湖の祭り」を読んでから屈斜路湖畔に集合しようとセツからの提案があって読んだ。共有する心のようなものが芽生え、旅に多次元的な楽しみと面白さを創造できるコトを知った。その後、武田泰淳の著作もいろいろ読んで、その旅の余韻と影響が持続的に続くコトになった。

そのセツが、丹沢の小屋番をしている堀山の家で亡くなって10年以上がたち、今日は、長男からの提案で、その小屋に、magosを伴った長男家族と次男も交えた6人で登山して、小屋に泊まり、お盆的な供養もしようということになった。このブログをアップした8月10日日曜日は、そこに泊まっているはずだ…..。というわけで、前日の土曜日に書いて予約投稿した。ちなみに長男と次男が高校生になるまでは、毎年連れだってその山小屋に泊まりに行ったものだ。

先日の欧州建築視察旅行で一緒だった秋山東一さんは、17歳ほど歳上の師匠でもあるが、その秋山さんが、若い時に衝撃を受けた建築を皆と一緒に共有したいということで、このブログの「機転が利く」という題で書いた、イングランドのレスターという都市にあるジェームズスターリングのレスター工科大学工学部棟に訪問した。

それはそれとして、その旅行から帰って1週間ほどした日に、秋山さんから「これ面白いです」というだけのメッセージが来て、そのリンク先を開けると「ロスト・キング500年越しの運命」というアマゾンプライムのビデオだった。レスターで建築を見学した時に、バスガイドさんが、この近くの教会でリチャード3世の墓が2012年に発見された。というアナウンスがあって、何気に興味を抱いたので旅行から帰ってウィキペディアなどで調べた。秋山さんも同じだったようで、このメッセージが送られて来た。

すぐに視聴した。とっても良い映画だった。500年越しにリチャード3世の墓を発見するその物語の主人公はスコットランド出身の専門家でもない女性で、その映像には、エジンバラのフォース橋も背景に映し出されていたので、旅の想い出とも重なったし、秋山さんがフェースブックに投稿された「リチャード3世の墓発掘のドキュメンタリー映画版」も視聴して、この旅の多元的な楽しみが持続することになった。なによりリチャード3世の物語を一緒に共有している喜びのようなもが楽しかった。

その秋山東一さんが亡くなった。と8月7日朝のフェースブックの投稿で知った。突然の出来事だった。

ロンドンにて。秋山東一さんのお誘いで、コスモホームの鈴木さんと、ロンドン在住のフォントデザイナーの河野英一さんと、4人でロンドン・トランスポート・ミュージアムを見学した。それが良き想い出として残るのだが。その後に、ケンジントンのMarks & Spencer で開かれていた日本展を見学し、ラーメンを食べながら、河野さんが、今度の万博の「リング」は視てみたい….という話題になった。河野さんの帰国とともに秋山さんと3人で万博いきましょう!と誘ったが、秋山さんは、この万博に行くコトに乗り気そうでは全くなかった。それはとっても理解できるコトなのだが、それでも1日だけ「阿呆」になってください!万博をある種のお祭りだとおもえれば踊る阿呆に見る阿呆的に1日だけ3人で楽しめる可能性ありますから、うちの家に二人で宿泊してください…..と皆でラーメンの汁をすすった。 

この物語の結末は、3人での万博リング見学は実現しなかった。で終わる。
秋山東一さんという存在に感謝すると共にご冥福をお祈りします。

木村工務店のお盆休暇は8月10日から8月17日の一週間頂戴します。 
皆さん良きお盆休暇を!

日本的感覚

建築家のウエノくんとミナミで食べて飲んで、バーに移動する途中に、インバウンドで溢れかえる心斎橋商店街を通って、うちで施工した心斎橋岩橋ビルの店舗に立ち寄った。「心斎橋筋商店街の来街者数は年間50百万人を超え本年は過去最高になる勢いです。ですが地価の上昇、それより固定資産税の上昇の勢いがそれを超えており頭が痛いです」なんていうメッセージをオーナーさんからもらった。確かに土地の価格高騰を抑える「政策」があっても良いようにおもう。土地を転がして儲かる時代じゃないほうが良さそうだし。若い世代だって、もはや簡単に土地を買えない時代になってきたし。土地公示価格の上昇が経済指標の時代なのかね。国が土地から税金を取り過ぎないほうが良い時代のような気がする。

大阪人ばかりが心斎橋筋を歩いていた時は、フツウに左側通行だったが、インバウンドで溢れ、もはやその秩序が乱れ、混沌とした状況。ぶつかるぶつかる。それがちょとオモロイ。日本国内からやってきた人が心斎橋商店街を歩いたら、周りの様子に気遣いして左側を歩くのだろうが、インバウンドの方々には、そういう気遣いの習慣が薄いのだろう。

で、それが、最近、DNA分析の技術がとっても進化したらしく、ミトコンドリアDNAの女系の系譜から核DNAの男系の系譜までたどれるようになって、そういう事を分かり易く解説してくれはる国立科学博物館の館長の篠田謙一さんの話や著作が面白い。縄文時代とか弥生時代の人種のありようがDNA分析によって明確になってきているそうだ。縄文から弥生そして古墳時代には多くの人種が日本にやってきて、混ざって、いまの日本人ができているという。心斎橋歩きながら「DNAが解明する多元的構造」をおもいだして、さて、これから、インバウンドの方々との共生がどのように展開していくのだろうか….なんておもった。

「こもれ日」とか「水面の光のゆらぎ」とか、そういうコトバは日本独特の表現らしい。同じような自然現象に同じ美つくしさを世界の多くのひとが感じるのだろうが、それを表す「ことば」や「美意識」に日本の独特の感覚があるらしい。「儚さ」「静けさ」「移ろい」という感情の余韻から「侘び寂び」「物の哀れ」の美意識につながっていくのだろう。で、朝、自転車に乗ると、そういう景色に出くわし、そういう感覚が忍び寄ってくるのが、ちょっとした楽しみ。

↑ 朝護孫子寺の参道を歩くと、時として、朝の木漏れ日に出会う。

↑ 信貴山に吊り橋があって、誰もいない吊り橋の真ん中に立って、池の水面を眺めると、水のゆらぎが、気持ちエエ。

↑ 柏原の葡萄畑から大和を眺めると、葡萄の養生シートに朝日があたり、風ふいて、その光のきらめきが気持ち良い。

そうそう、7月31日と8月1日に地元の清見原神社の夏祭りがあって、4台の地車が、会社の前を通過する。ご祝儀を渡し一緒に大阪締めをするのが楽しみ。気を使って「木村工務店の商売繁盛を祈願して…..」なんて口上を述べてくれる。にしても、今年は暑すぎて暑すぎて、子供たちが綱を引くのが少ない感じだし、元気な地車ギャルの姿も少ないし。地車が通過しても家から道路に出て邪気を払ってもらう人もほぼいない。そんななかで、地車を運行する皆さん、ほんと、ご苦労さまでした。

そんなこんなで、選挙もあって、なんとなく「日本」を「感覚」してみた週だった。

「国宝」な連休になった。

猛暑が続く。magosたちの夏休みが始まって、日曜日の早朝から枕元に忍び込んできてたヤツがいて、なんだぁっ!と驚くと、プール開きをやって!っと云う。しゃぁないなっ! 朝の涼しいうちにやればエエのだが、日曜日の朝はダラダラして、スパー銭湯の朝風呂にはいってから、ようやく決心ついて、プール設営しだしたら、汗だく汗だく。朝風呂の意味なかったなっ。見かねたmagos母が一緒に手伝ってくれてなんとか完成。水を貯めるのに数時間かかる。これって省エネなのぉ…..。日が傾きだしてから水溜まってプール開き。監視員としてその様子を眺めながらビール飲んで、暫くしたらもう我慢出来ずにプールにドボン。

プールにつかりながら、庭の隅に小さなサウナ小屋作りたいなぁ。プライベートサウナ入ってプールにドボンしたら気持ちエエやろなぁ…..と、以前 ipad で描いた図面を思い浮かべながらジャブジャブした。

そうそう加工場で大工さんが古材と新材のハイブリットな構造材手加工をして3ヶ月ほどになる。ついに猛暑の季節になって、フミノ棟梁の服装が、現代的大工さんでエエ感じ。空調服着て、短パンにレギンスに、コンバースの一つ星。このコンバースは安全靴になっているそうで、つま先押して、ほらぁっ、硬いでしよぉっ!て。カッコエエなっ!

連休21日祭日の早朝。このごろ休日の前日に飲みに誘われる機会が多くなって、日曜日の朝は自転車乗る気力全くなし状態が続く。この連休月曜日の朝を逃したら…..と、朝早くから起きて、十三峠登ったら、日影やけど、あついあつい。しんどいしんどい。おそいおそい。唸るような自転車の音が後から迫ってきて、おはようございます!と爽やかな挨拶とともに電動ロードバイクに乗ったちょっとボリーミーな女子に抜かれた。もうそろそろ電動でもエエかなっ。

午前10時頃、あとの予定なかったので、「国宝」でも見にいけへんっ!と奥方にそれとなく誘うと、評判エエから見にいきたいわっ!という。ソソクサとミナミの東宝シネマの予約状況を調べると、20時35分から23時45分のヤツしか二人分隣席は空いてなかった。さすが人気映画。千日前線難波駅の南巽行き最終便12時1分発でギリギリ帰れそうなので、シニア券2枚で予約。こういう時がワタシタチシニアやなっと実感する瞬間。

映画始まって、つり橋の映像があって、学生時代の主人公二人が戯れるシーンに、あれっこれっ玉手橋ちゃぅ。今日、この石川沿いの橋の下を通るサイクリング道路を使って、富田林でモーニング食べるか、金剛ロープウェイまで行こうかともおもったが、この暑さにしてはスタートがちょっと遅いし、川沿い日陰なく暑いし、長いし、時間かかるし、十三峠往復で時短を選んだ。そのお陰でこの映画を見に行けたんだなっ。そんなこと浮かんで、脚ちょっと張ってるのも感じながら映像を視た。長さを全く感じさせないエエ映画だった。

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