「見積」と「施工図」

木村工務店が所在する生野区小路地区で、上棟式があった今週。

30年ほど前は、会社の近くで新築やリフォーム工事をすることが多かったが、ハウスメーカーの台頭により、地域性というその概念が大きく変化し、かつては会社から徒歩圏や車で20分ほどが、圏内のような感覚で、地域の工務店が仕事を受注していたものだが、大手ハウスメーカーが、ショールームを持ち、どんな家を建て、そこにどうやって住まうことができるか、とっても明快で、そのうえ大きな会社組織としての信頼感の圧倒的強さに、私たちのような小さな工務店には、太刀打ちできない状況が続いてきたとおもう。

木村工務店の家づくりに共感を持って頂ける方がいらっしゃれば、車で1時間の圏内であれば、どこにでも建築工事に行きますよ。というスタイルになって30年ほどが経過しているようにおもう。ごく近場で、家を施工することに拘らなくなった、その30年間のなかで、IT革命というデジタル技術の進行によって、小さな組織内の情報共有のレベルが格段に上がってきたし、BIMというデジタル設計の技術が進化し、三次元で空間を共有することが容易になって、ショールームがなくても、どんな家でどんなライフスタイルになるのか、お客さまと共有しやすくなった。

既製品化や標準化も重要な要素だが、ものづくり的な部分を携えた工務店として存続したいとおもうと、ものづくりのチームとしての協力会社との良い関係性を維持していくことが、とっても大切な要素であるとともに、その建築物のものづくり的部分を施工できるようにするための「施工図」と数的にお金的に置き換える「見積」という要素がとっても大切だとおもうが、工務店業界の情報誌には「見積」の話などクローズアップされることが全くないし、建築学科の授業にも「見積」なんて、みたいな感じで、習うことも、教えることもない…..。

「施工図」と「見積」の技術は、工務店にとっては、心臓のように、もっとも大切な要素だと、木村工務店のなかで、脈々と伝わっている技術で、その技術を長年担い、社員にその技術の稚拙さを昭和的厳しさで鍛えてくれて引退した福本さんが、昨夜お亡くなりになったと知らせがあった。あらためて、これからも「施工図」と「見積」という技術を精進していきたいとおもう。

小路地区で、久しぶりに新築の機会に恵まれ、上棟式で、施主さんと職人さんたちと携わっている社員の皆さんと、木組みの下で一緒に飲んで、祝福できるのが、とっても嬉しいコトだった。と、施主への感謝の気持ちとともに単純に書こうとおもったのに…..おもわぬ方向に。「情報の共有化」や「BIM」や「ものづくりの仲間たち」や「施工図」や「見積」の進化を精進して、また、この小路地区でお仕事できれば、嬉しい。

GWにこんな光景に出会った

犬島に行く。

大阪を早朝に車で出発し、朝8時前に岡山県の宇野港に到着した。フェリーに乗って、まず直島に渡る。これまで2度ほど直島で宿泊したことがあるので、そのまま直ぐに直島から豊島と犬島行きのフェリーに乗って、犬島まで渡り、犬島精錬所美術館を初体験。それなりにエエ空間体験ができて良かった…..。

暗闇の中に鏡に写る光に導かれる空間があって、デンマークに長男と次男の3人で旅した時、デンマークの公園の地下に、ここと同じ設計者の三分一さんが造った空間体験があって、北欧のなかの日本的な空間で、それなりの感動をした。その空間と同じテーストのもとが、ここ犬島にあったのだな。それとともに、名古屋のコスモホームの鈴木さん主催のヨーロッパ建築研修旅行に行った時の同室が、今は亡き島根の工務店のリンケンの田村さんで、その田村さんが、デンマークの三分一さん設計の空間をデンマークまで行って施工したっ!とホテルの部屋で聞いた時の、私の驚きと田村さんの苦労話の、その時の光景が唐突に蘇って、その想いとともにこの闇の空間を歩いた。

犬島から豊島にフェリーで戻った。今回の最大の楽しみは豊島美術館だったのに、完全予約制で、そんなの当日まで、全く知らなかった。仕方なくバスの車窓から外観だけを視た。もっと下調べをするべきだったのだが…..。また、あの、万博の、当日予約失敗の、夫婦間の、イヤな、記憶が、再び、襲ってきた。今回の旅は、5月5日に、しまなみ海道の生口島の輪空というペンションに宿泊し、その宿の主人の市村さんと一緒に自転車に乗るのが目的で、そのついでに、一日前に岡山で宿泊し、犬島と豊島を見学することにした。なので、ちょっと「気合い」が足らなかった。いまや、どこでも「予約」が必須で、もはや「気合い」で、綿密な予定をたてないと、旅が出来ない時代だな。

豊島美術館を見学できなかったので、時間ができた。それで「心臓音のアーカイブ」で、私の心臓音を録音し、提供することにした…..。

豊島横尾館が、おもいのほか良かった。建築の改修も、きっちりしていた。内部はなぜか便所だけ撮影出来て、使うと案外気分良し。

豊島から宇野港に戻り岡山駅近くで宿泊し、商店街の抜けたところのBarで地元の方々との会話を楽しんだ、その翌朝、吉備津神社に参拝してから、しまなみ海道に向かうことにした。前々から、一度行ってみたい神社だったが、その機会がなかった。エエ神社だな…..。切妻の双塔がカッコエエが、実物視ると、亀腹の上に浮く縁側がとってもカッコ良かった。最近、エエ神社を体験すると「パワーを感じるわっ…..」というのが女子的コトバだなっ。なんておもう。

その日の午前中に輪空に到着し、宿のある生口島から自転車に乗って因島まで渡り、ちょっとした坂を登って、除虫菊をみた。モデルの女子を除虫菊の中に立たせて、撮影しまくるカメラマンさんがいて、なので、ワタシは、モデルさんの服と同じ黒色のクロモリバイクを立たせて、撮影することにした。のどかな景色。エエ漁港と集落と山々が見える海の光景が瀬戸内海の特徴だな…..。それはそれとして、しまなみ海道で自転車を乗る人は、欧米人ばかりが目立ち、日本人のしまなみ海道自転車ブームは下火になってきたような気がする…..。

因島の大出さんで、因島のお好み焼き「因おこ」を食べた。大阪のお好み焼きの粉もんに慣れ親しんでいると、粉少なめでキャベツシャキシャキの食感が新鮮でとっても美味しい。生口島から因島まで、このお好み焼きを楽しみで自転車に乗っている気もする。お好み食べたあと、自転車をフェリーに乗せて弓削島に渡り、ぐるっと海岸沿いを廻ったあと、吊り橋伝いに、佐島、生名島、岩城島と渡る。こぢんまりしたデザインの橋で、どの橋にも特徴があり好きだな。

それにしても、今年最初のロードバイクで、やっぱ習慣的に乗らないと「あっーしんど」ですわ。そんなこんなで、GWに、こんな景色たちに出会った…..。

夕焼けの大阪万博

木村工務店では、暦通りのゴールデンウィーク。

その29日祝日に大阪万博に行く。雲ひとつない晴天。少し寒いぐらい。それなりの観客に、それなりの列ができ、並で待つが、それでも、建築を眺めるだけで、とっても楽しい。入場したパビリオンは少ないので、なんともいえないが、国によるコンテンツの出来不出来は大きい気がする….。コンビニでおにぎりを買って持っていったが、報道より食べられるところもいろいろあるし、予約入場のない、スペイン館でワイン飲んだり、ベルギー館でビール飲んだり、それなりに楽しめる。おそらく3回ぐらいは行くとおもう。

ワタシ的に初回は「リング」を体験するコトが最大の楽しみだったが、大阪のおばちゃん的奥方は、徹底的にパビリオンを攻略するコトだった。8時20分ぐらいに夢洲駅に到着したが、もうすでに凄い列。イヤホンを耳に挿入し、音楽聴きながら、ゲート越しのリングとパビリオンを眺めて待つと、それなりにテンションが上がってきた。これぐらいの待ち時間なら苦痛じゃないなぁ。きっちり9時にゲートがオープンし、空港のような厳重なセキュリティーチェックを通過して、9時15分には入場できた。で、とりあえず、フランス館の列に並んだ。事前予約が取れたのは、いのち動的平衡館とUAE館だった。3日前予約が午前0時に開始されるらしいが、その予約に「失敗」し、とっても悔しがっている奥方。

それで離婚の危機ぐらいに問題が勃発したのが当日予約だった。ゲート入場10分後に当日予約ができるシステムになっているらしい。で、そのフランス館の列に並ぶと、想定以上にとってもスムーズに流れ、9時25分に入館できてしまった。ところが、その入館時に当日予約が可能な時刻になったのだ。フランス的コンテンツを視たいが、まず日本館の当日予約をするのだぁ!っと指示が飛んできた。後からどんどん押される人並みに恐縮しながら、スマホを操作し、無事午前11時頃の日本館の予約を獲得したので、その報告をするために、すぐ後にいるはずの奥方に伝えようとすると、姿がまったく見えなかった。コンテンツを視聴するより、スマホの操作で下を向いたまま、後から押し寄せる観客に邪魔扱いされながら、当日予約に必至の奥方と、かなり、はぐれてしまったのだ。

電話で連絡まで取り合って、ようやく合流し、当日予約ゲットを報告すると、でかしたぁ!と褒められるとおもったら、私の分はっ!という。そうかっ、二人分を同時予約する必要があったのだな。確かに、あっゴメン。それにしても、そんな同伴者を一緒に登録するところあったっけ。と「コンテンツ半視、スマホ半視」の中途半端な状態で、操作するので、もう混乱状態。あとから同伴者分を追加することが出来ないようなのだ…..しらんけど。もぉ当日予約など、どぉでもエエ状態のワタシ。ふてくされ気味でもあって、フランス的コンテンツをただ視たいだけなのだぁ。と主張すると、その当日予約するスマホの操作も上手くできないオトコとしての不甲斐なさを嘆く奥方。とにかく、まず、その予約を取り消せっ!と、万華鏡の向こうから指示が飛ぶ。この万華鏡空間の全員から中心にいるワタシに指示が飛んできている気分だった。

「モン・サン=ミシェル」と「厳島神社」がしめ縄で結ばれているのは、いかにもフランス的だと想いながら、「モン・サン=ミシェル」に行った日の楽しかった想い出、「厳島神社」に行った楽しかった日の想い出が、走馬灯のように脳内を駆け巡ったが、フランスと日本の2つの文化を結ぶ「しめ縄」をみて、脳内をよぎったのは、唐突に襲ってきた当日予約システムによる、ワタシとオクガタの危機的関係性を回復することだった。

フランス館から出国し、ゲート近くまで戻ってインフォメーションセンターに向かい、当日予約のスマホ操作のレクチャーをうけ、もう一度二人分の日本館を当日予約しようとすると、既にいっぱいだった。とりあえず今日は日本館に行っておきたい!という奥方の希望が消え失せ、当日予約失敗による二人の微妙な関係性は持続されたままの状態だったが、その距離感が少し縮まったのが、昼前から飲んだスペイン館の赤ワインのお陰だったようにおもう。

「リング」はこの万博会場には、とっても相応し木組みのリングにおもえるし、木組みの中を歩くことを楽しみにしていたが、それ以上に、屋上を歩いて、万博会場内を上から俯瞰して建築を見下ろしたり、海を眺め、遙か向こうの淡路島や明石大橋や六甲山や関空を眺め、大阪の都心方面を眺めるのも楽しい。回遊路が2段になっているのが、おもいのほか良かった。動的平衡とは何なのかを学んだあとだったので、夕日のなかで、上の通路を歩く人と下の通路をあるく人の姿が、エネルギーの流れのように見えて、とっても美しく感じられた。

広い会場内で自分がどこにいるか方向性を見失なっても、必ず木組みのリングにぶちあたるので、いまとここを判断できた。この木組みのリングは、万博会場をひとつにまとめ外との関係性もつくれる優れた回答のひとつにおもえた。それよりも、この地球上には、とっても多くの国々があり、それぞれの国と日本とに結びつきがあり、これからの日本との関係性を模索していることに、あらためて気付かされるし、日本人が世界で働き、世界から日本に観光や働きに来るコトが、特別なコトでなく、とってもフツウになる時代のようにも感じた。

また万博を楽しみたい。

心もととのう「神社マルシェ」

地元の清見原神社で第二回神社マルシエを開催した日曜日。神社でマルシェを開催できるのは、清見原神社の宮司さんの理解があってのことだが、このマルシェを取り仕切る、地元民のマツザキ女史の、全体をとりまとめるための貢献がなければ、まったく開催できないし、それに生野区行政マンのタケダさんが、ものづくりセッションで、ものづくり好きな人たちを繋いでくれたお陰で、飲食店だけでなく、ものづくり系の屋台が立ち並ぶのが、神社マルシェの特徴になった。地元民が発案し行政がフォロアップしてくれて、行政と民間がお互いに助け合いながらのマルシェであるのも特徴のひとつ。

木村工務店としての役目は、木工家賀来さんデザインによる屋台を国産の杉材で製作し、その屋台に地元の大林縫製さんが製作してくれた、白い帆布をかぶせて、神社の境内での「風景の中の視覚的効果」を演出することで、昨年より2台屋台が増えて23台の屋台が並ぶ神社マルシエとして、そのセッティングに貢献することだった。

そうそう、それはそれとして、その屋台のなかに「金継ぎ」を職業としているコバヤシタカシさんがいて、前回も参加してくれて気にはなっていたのだけれど、今回は、ワタシの所有物で、20年ほど前のゴールデンウィークに、家族と有田の陶器市に行って、陶器をあれやこれやと買ったなかに、作家の一点物の湯飲みがあって、それを木村工務店会社内の湯飲みとして使っていたが、ひょんな事で割れてしまった。割れたら割れたでしゃぁないなっ。とおもいつつも、そこそこの値段がしたコトもあって、残念さも心のどこかに残っていたのだとおもう。10年以上も割れたままの陶器のピースとして本棚に大切に保管していた。それを今回「金継ぎ」をしてもらうことにした。

金継ぎのコバヤシタカシの名刺には「心もととのう金継ぎ」と書かれてあった。確かに、経験してみると、壊れてモノとしての機能が無くなってしまったモノが、再生され、モノとしての機能を取り戻すと同時に、長年欠けたままになっていた心のピースも「ととのった」気分になる。この湯飲みの再生に、それなりのお金をかける価値があるのかと、躊躇があったものの、完成して手に取って眺めてみると、モノとしての再生とともに、心のセラピーに、お金を払ったのだなっとおもう。

沢山の老若男女だけでなく、縫いぐるみのミャクミャクやイクミンや生野区長も参加頂いた神社マルシェは、潜在的に神社が持つ「心がととのう力」のお陰であったようにおもえてきた。晴天の今日という日と、この神社という場所のエネルギーと、出展者の皆さんと、お越し頂いた皆さんに、感謝がわいてきた、2025年4月27日日曜日だった。

「風景の中の視覚的効果」

協力会社との「ものづくりのチーム」である精親会の、第103回ゴルフコンペがあった木曜日。年に2回しかゴルフをしないのを言い訳にするつもりもないが、散々たる成績で、なんか苦行のような感じだった。ま、それでも楽しくなかったのかぁっといわれれば、そんなことはなく、成績結果をあーだこーだと言い合いながらのコンペのあとの会食は和気藹々で楽しい。それより、朝一番のスタートで、こんな美しい風景をみると、どの場所に家を建てようか…..とか、どこでキャンプのテントを張ろうか…..とか、そんなふうに考えてしまう。芝生のなかに、旗一本が立っているだけでエエのかどうか。なんとなく建築物の「風景の中の視覚的効果」というのを意識しているのだなぁ…..と、そういうコトバを使って考えるきっかけが、今週の出来事。

イギリスに「キングスゲートブリッジ」という橋があるらしい。で、それについての資料が、建築家の秋山東一さんからPDFで送られて来たのが、今週の出来事。イギリスのこの地に新しく歩道橋を設計するにあたり、その橋を川と大聖堂に対してどのような位置関係で設計したかの資料で、それを読む…..。

ある著名な都市理論家は、橋は川に対して直角に配置すべきだと主張していたらしい。それに対して、この橋の建築的立ち位置としての日本人設計担当者の「建築家三上祐三氏」は、カテドラルから川に対して直角方向に軸線が伸びているラインがあるなかで『いわば「風景の中での橋の視覚的効果」というべきものを強力に主張して…..可能な限りカテドラルの軸線に対して斜めに切り込むように配置し、カテドラルと河岸の森を望む美しい風景の中に、橋とそのV型サポートの白い造形が重要な視覚的要素として作用しよう、という提案である』と書かれてあった。

また『この視覚的効果を重要視した提案は全く建築的なもので、つまりエンジニアリングとは別次元のことで、architecturel assistantとしての私が当然なすべきことであったと今でも想っている』と「建築家三上祐三氏」の言葉だった。「風景の中の視覚的効果」というものを考えるのが建築的なコトのひとつである…..なんていうのを、あらためて意識する機会になったし、そういえば、秋山東一さんが、プロデューサー的立ち位置であったようにおもう、鹿児島の工務店の「シンケン」さんの住宅は、道路に対して斜めに建てられていたのを想い出した。

そうそう、会社から歩いて10分ほどのところに、片江という場所があって、片江七福橋といって、川に対して斜めに渡る橋がある。昔からの街道で、写真の左斜め上方向の北西に向かうと暗峠街道になって難波の宮と大坂城に至るので、大坂城にふらっと自転車で遊びに行く時は、必ずこの橋を通過する。車でも抜け道としてよく通過している。この橋を渡る感覚がなんだかとっても好きで、また名称が「七福橋」なのもエエ感じ。

この写真をみて、前述のスケッチをみて、あらためておもうのは、この七福橋は意識的に斜めに造られたものではなく、この斜めに通過する街道が昔々からあって、そこに平野川分水路が、この南北方向で造られることになって、否応なく斜めに橋を架ける必要があったのだろう…..しらんけど。その分水路工事の前後に東西に通るシュッとした道路ができて、橋を直交方向にまたぐ橋が2本も架けられたようにおもう。いつも、ここにこれだけ橋が3本密集しているのが、不思議だった。

それで、この資料を読んでから、「風景の中の橋の視覚的効果」は「七福」を与えるのかも…..と考えることにしてみたし、「建築人」として「風景の中の建築物の視覚的効果」というのをあらためて意識して造りたいねっ。と考えるようになった、そんな今週の出来事だった。秋山東一さんThanks!です。

今年3回目お花見と「ものづくりセッション」

木村工務店恒例のお花見を催したのが4月9日水曜日。この日は天気も良く枝垂れ桜は満開だった。一時期は、ほんの少ししか開花しなくなっていたうちの桜は、なんとかそこそこ開花するようになって、海平造園さんが手入れをしてくれたお陰だなっとおもう。バーベキュー台のセッティング、照明のセッティング、焼肉の買い出し、肉の仕訳、炭火の付け方、後片付け、などなど、工務店にとっては、一連の段取りが、学びの場である…..ていうのが、先代から続く教えのようなもので、午後3時過ぎにはそれぞれが仕事を済ませて、庭に集まってきて、セッティングを始める。

皆がそろって乾杯!っていうのが、日本的儀式なんだけど、最近は、セッティングが出来次第、近くの酒屋さんからレンタルしているビールサーバーから、生ビールを注いで、ちょっとずつ飲み始めている。小さな乾杯が何度かあって、いつもより少しだけ早く現場から切り上げる大工さんが加わって、揃って乾杯!できるのは午後6時ぐらい。大きな炊飯器にお米をたっぷり用意して、若い現場監督や大工さんのご飯の食べっぷりが凄くて、みてても気持ちがエエ。焼肉を食べて、焼きおにぎり食べて、お腹も満腹になって、炭火もなくなってきたら、小割にした薪を燃やして、小さな焚き火をする。工務店なので端材はいっぱいある。2時間ほどして、中締めの一本締めをして、帰宅するものもいてるし、そのまま飲み続けるメンバーもあって…..

ワークマンのこの靴下がエエねん!という大工さん。なんだかんだいいながらも、職人さんたちとは、仕事にかかわる話になって、大真面目に仕事や会社のコト考えてくれているのだなっとおもう。先代先々代の時代から、お互いに「過ぎたるは及ばざるがごとし」になるコミュニケーションの失敗も繰り返しながらも、木村工務店のお花見は社員や職人さんとの繋がりを模索する場であるのだろう。

お花見の翌日4月10日の午後からは雨になって、一気に桜が散った。こんなことは珍しい。夜桜を楽しめる期間の短じかさに残念!っともおもったが、翌日の朝の庭は、桜吹雪の庭となって、それはそれでとっても美しかった。さまざまなシチュエーションで、桜もコミュニケーションも、何度も何度もリセットを繰り返して、新たな今を迎えていくのだな…..。

「ものづくりセッション」があった土曜日。2人のプレゼンターが、自分の仕事のコト、自分自身のコトを語る。素直に、等身大の、今の自分を、観客の前で、笑顔と涙目を混在させながら語る姿は、とっても素敵なコトだなっとおもった。ワタシにもそんなふうに語ることができるのかっと自問自答が襲ってきたぐらい、2人のプレゼンターが皆の心を捉えたようにおもう。タケダさんとワタシが主催者であるのだけれど、お互いに無言の協力で、コミュニケーションの土壌を造る役目を担っているのだなぁ….なんていう認識を強くした、そんな今回のセッションだった。

「お花見」とか「ものづくりセッション」とか「コミュニケーションの土壌」のようなものを、ほそぼそと維持できれば…とおもう。

今年2回目お花見と「アメリカ音楽文化」

家のすぐ近くに、日本人の奥さんと家族をもつアメリカ人のキップさんが住んでいて、うちの長男家族と親しくしているのだけれど、彼のお父さんがアメリカから2週間ほど来日し、帰国前の今日の日曜日の夕刻を一緒に食事を共にして過ごそうよっ!ということになって、お互いの magos も交えて、うちの家で、お花見をした。これが今年、2回目のお花見だった。

午前中は雨が降るという天気予報だったのに、早朝には降ったようだが、想定外の晴れ。お花見で皆さんから綺麗ねぇっ!綺麗ねぇっ!と褒められて晴れ舞台の桜ちゃんたちにとっては、雨で散らなくて良かったようにおもう。うちの遅咲きの枝垂れ桜ちゃんは、ようやく9分咲きぐらいか。いつもは家でGameしてYouTubeばかり視聴しているmagos達は、桜の妖気なパワーに誘われて庭を走り回っている。やっぱりアウトドアーで元気な姿の子供達が発する「sound」は心地良いねぇっ。

そのキップさん父が、手土産としてレコードを1枚持参してくれた。そのレコードを聴こうと、庭の向こうの長男の家に向かう。最初の写真の桜の向こうに外壁がシルバーの建物があって、かつては、私たち家族の住まいで、戦前の長屋を改装したのが、25年ほど前のこと。8年ほど前に長男家族がここに住まうことになり、私たちはかつて祖父母と両親が住んでいた庭を隔てた向こうに建つ2階建て住宅を平屋に減築して、いまの住まいとしている。その長男家族が住む長屋をリフォームした2階が、古い梁を現し新しい補強柱を設置した上記写真のようなリビングになっているのだけれど、長男なりの住まい方として、その障子のある正面にJBLのスピーカーとDJブースを設置して、マレンコの椅子に座って聴く、音楽スタイルとして使っている。そこで、そのレコード「sound」を一緒に聴いて楽しもうということになった。

ワタシ、3分の1程度の会話が聴きとれる程度で、ほんの片言の英語しか話せない。時おり翻訳ソフトをお互いに駆使しながら、会話をするが、とってももどかしい音楽談議だった。キップスさんが日本語がとっても達者で、DJをしていることもあり、この2人の間を流暢につないでくれた。というか、あらためて感じたコトは、コトバが通じなくても、お互いが好きな音楽は、ヒトとヒトを繋いでくれるものだなっとおもう。全く違う環境と文化に育った、この空間に存在する4人が、共感し合う音楽を通じて「いまとここ」を居心地良く過ごせるというのは、「ヒトとヒトにつながりをつくる」という音楽が持つひとつの力だなっとおもった。

そのレコードを記念写真として2人で自撮り。日本人は、というか、ワタシは、アメリカの音楽文化に大きな影響を受けて、それを、ワタシなりに楽しみながら、ワタシなりのジャパニーズフィルターを通して、さまざまに解釈し、それが、ワタシのどこかに定着して、というか「記憶のこぶ」として、ワタシの文化のひとつになっていたのだなっ…..とあらためて感じさせられた、お花見だった。

今年初お花見と「現地調査」

一気に桜の季節になってしまった今年の春。庭の遅咲きの枝垂れ桜は、ちらほら開花する花びらがあるものの、まだまだ蕾。4月2日は会社創立記念日で、花見をするのが、会社行事だが、今年は一週間ずらすことになった。

今週。建築の若手設計者の方々3名と木村工務店メンバー3名とで、あるプロジェクトの構造的可能性を、法善寺の居酒屋で食事を共にしながら、あーだこーだ。2時間ちょっとの間、建築以外の話にほとんどならなかったのが、楽しいのかといえば、それがとっても楽しかった。で、終了後、4人で、すぐ近くの法善寺の路地奥にあるBarに立ち寄ると、カウンターのテーブルに、桜の生け花が鮮やかに飾ってあった。ワタシ的に、これが今年最初の花見だったなぁ…..。

地下鉄小路駅近く、内環状線に面して戦前に造られた2軒長屋があって、その長らく住んでおられた一軒が空き家となり、今後どうしようかと相談があったので、現地まで、てくてく歩いて向かう。大きな道路に面した家が、2軒だけの長屋で、それに道路側に面して、なんでこんな「ヘタ地」が残っているのかが不思議そうに、一緒に同行した社員のササオさんが眺めていた。

1980年頃は、この写真の左の大きな道路はなく、4mほどの狭い道路が新深江から小路駅まであって、この写真の道路の先の方、小路駅から北に向かっては、長屋が立ち並び道路が全くなかった。それで、内環状線の開通にともなって、この辺りの道路が大幅に拡張されることになって、この写真の2軒長屋は、かつては4軒か6軒長屋で、それが道路拡張の幅まで切り取られることになって、2軒だけが完全に残り、この右から3軒目にあたる真ん中あたりで道路となって、仕方なく、3軒目は切り取られヘタ地として残った。暫くして、この幅で2階建ての鉄骨造が建って、飲食店がオープンしていたが、数年前、それも取り壊され、こんなヘタ地として残っている。コロナ禍の影響があったのかもしれない。

この辺りの内環状線の建築が、殺風景なのは、道路拡張と新設のために、いきなり長屋が切り取られることによって、広い道路に面して,、ファサードがない家の側面が建ち並んでいた。当時まだ、建築学科に通う学生のワタシは、ファサードというのは意識的に創られるものだなっと、印象として残る体験をしたのだけれど、唐突に切り取られて、それが大きな道路に面する偶然のファサードになってしまった、アバンギャルド的建築としての面白さも体験した。

そうそう、もうひとつ付け加えると、このあたりの長屋は、土地は大地主さんが所有し、上物の建築は別のオーナーが所有し、それを賃貸する形式が多い。もしくは、土地は賃貸だけど、上物の建築だけけは自己所有したひともいる。そういう複雑な要件が絡み合うので、都市開発的なシュッとして、大きく建て替えられる新築が建ち並ぶことが少ない。そしていま、そういう建物たちが、過渡期を迎えている。

この周辺は、ビジネス的採算性も含めて、どんな建築的活用方法と新たなまち並を造るコトに貢献できるのか、そんなふうに問われているように感じた現地調査だった。

春一番的

春が一気にやってきたぞっ!そんな日曜日。

クッチーナというブランドでキッチンを製造販売するモーリーショップの大阪支店長のフナモトさんのお誘いがあって、今年最後のスキーに行く。長男のタカノリ専務も一緒に行くわっ!となって、今年初めて1人でなく3人で滑る。春霞のエエ天気。暖かい。岐阜は雪もいっぱい。車も2人が運転してくれて楽ちん。ま、でも、この歳になると、シャバシャバの雪の春スキーは体に堪える。

3人一緒に、8時から11時30分まで、リフト乗車以外は、ほぼノンストップで、ぶっ続けに滑ったら、もう充分。汗かいた下着を着替えてから、駐車場のキッチンカーのジビエのタコスを食べた。青空。春の陽気。雪景色の山並み。心地良い身体の疲労感。ちょっとフェス感あった。大阪に帰り着いて、午後5時から、春休みでエネルギー有り余る magos も一緒に、近くで焼き肉を食べて、なんとなく春感満載の一日になった。

そうそう、振り返れば、今週はスポーツ的な週だったようにおもう。大谷くんのホームランを観て、サッカー日本代表の久保くんのエエプレーを観て、そのちょっとした興奮が、体を動かすエネルギー源になっていたのかもしれない。

毎月19日に開催されている「空き家カフェ」は、この3月19日にもあって、「居住支援事業」とか「住宅確保要配慮者に対する賃貸住宅供給の促進に関する法律」なんていうテーマを学びながらの開催だったが、おもいのほか多くの参加者があって、驚いた。

生活困窮者を中心にした居住支援の話題もあるが、それだけでなく、話題の中心のひとつは、65歳を過ぎた後期高齢者的ひとり住まいで健常の方が、老人ホームとか、サービス付き介護住宅でなく、一緒に助け合いながら住めるシェアーハウス的な場所を求める需要があるという。老人だけで住むのではなく、シングルマザーや、海外からの働くひとたち、などなど、さまざまな理由で住宅確保要配慮者のひとたちが、一緒に住みながら、お互いに助け合いシエアーしたい…..なんていう要望があって、そういうコトをコーディネートできるひとが、求められているように感じた「空き家カフェ」だった。

半年ほど前から、15時30分開催の「空き家カフェ」になって、終了後には懇親会を催すことになった。今回も6人の参加者と一緒に飲んで食べてあーだこーだ。不動産業界の参加者の方々がいて、「バイローカル」の話題もあったが、マンション購入費用のとんでもない高騰に関する話題で盛りあがった。そういえば、うちの東京住まいの次男も、マンションの賃貸や購入問題で悩んでいたっけ。「まちの問題」をアテに、あれやこれやに相槌を打ち続けているうちに、気付いたら深夜になっていた。

いろいろなところで、春一番的な風が吹いたように感じた今週だった。

「sound」

梅が咲いて、桜を意識しはじめた、3月15日土曜日。

そして、しとしと雨降る今日の日曜日。こういうしっとりした日曜日も悪くない。朝風呂いって、小路駅近くにできた、とっても美味しいハンバーガーをテイクアウトして、ドジャース対阪神戦を視聴する。阪神の才木投手の気合いが伝わってきてエエね。こういう時に頑張る阪神がオモロイ。かなりの阪神ファンだった木村工務店創業者で祖父の喜んでいる姿が目に浮かぶ。ちなみに木村工務店二代目の父は、かなりの南海ホークスファンだった。その反動か、三代目ワタシ、野球をめったにみない。ナイターのテレビ視聴がほとんどない。

なのに、昨日土曜日。昼から阪神対カブス戦を視聴して、夜はドジャース対巨人戦を視聴する。ドジャースの協力打線の打撃オーダーや特徴ある投手陣の情報を何気に知っている事にあらためて気付く。たぶん、ワタシは、日本球団の選手よりドジャースの選手の方が知っているようにおもう。ドジャース球団の日本人ファン戦略にはまっている典型的日本人だな。大谷くんのホームランを期待して、期待通りのホームランを視聴して、気分良くなっている日本国民のひとりだな。あらたな喜びを創造する、大谷くんとドジャース球団の「マーケティングとイノベーション」が、フィットしているようにおもう。

それにしても、大谷くんの、あのホームランの「音」がエエ。これフェースブックに表示されたリール動画の画面キャプチャーだが、昔から漫画に「カキーン」と書いてあって、その音を想像するのだけれど、金属製バットのカキーンという金属音とは、全く違う、木製バットと鋭い振りから発する、独特の乾いたサウンド。大観客がいて、なのに大谷くんがバッターボックスに立つと、シーンとした緊張感のある球場の雰囲気になって、そのなかに響く、あのホームランのオリジナルサウンド。そのあとに暫く続く球場内の響めき。この一音を聴きたいために集まるコンサート会場みたいだな。自分だけのsoundとかVoiceを持っているミュージシャンに魅力を感じるように、いつか是非、生音体験したい…..。

阪神対カブス戦がお昼から始まることになっていた、その土曜日の午前中。4月27日日曜日に清見原神社で開催される「神社マルシェ」に先立って、屋台の点検作業を参加者とする。昨年、木工家賀来さんオリジナル屋台を参加者皆で製作して、白い帆布が立ち並ぶ神社マルシェの屋台として貢献してくれたのだけれど、作業クオリティーの問題等もあって、ちょっとした間違いや不具合を、開催日のその場で修繕対応しながらだった。だいたい「ものづくり」って、いつもそんな感じだな。スノーボードの宅急便の袋に梱包されて、点検作業のために並べられた、屋台の部材たち。それはまるで、築地の市場に並べられている、マグロのようだった。

マグロの解体作業のように、袋から部材を取り出して、仮組みして、点検する作業って、とっても面倒くさい。皆で集まって協働作業するから出来る事だなとおもう。そういう面倒くさいことを面倒くさがらずに、ひとりでコツコツやり続けられるのが、大谷くんのようなプロの職人さんなんだろう。上の写真は神社マルシェのフェースブックから拝借。付き添ってきた子供たちは、周囲で楽しく遊び回り、大人たちは、面倒くささを感じつつ、楽しさに変換する努力して、協働作業をする、そういう時に発せられる「sound」も好きだな。

1 2 3 41