イギリスと日本人

名古屋のコスモホームさん主催の「欧州建築視察ツアー」に参加し、イギリスとパリを旅する真っ最中。今回のツアールートは建築家の秋山東一さんが企画に参加し、スコットランドのエジンバラからグラスコー、イングランドのダラム、レスター、ロンドンと南下し、TVGでパリに渡り、帰国する計画。

イギリスの橋で、日本人が設計と施工に深く関わった橋があると知ったのは、この旅の企画を聞いてからのことで、スコットランドの紙幣にもなっているエディンバラにあるフォース橋は、日本土木史の父とも称されているらしい渡邊嘉一氏が施工に関わり、以前「風景の中の視覚的効果」というブログで書いた、ダラムにあるキングストーンブリッジは、建築家三上祐三氏が設計に関わったのだという。その2つを見る機会を得た。

このフォース橋の手前には新しく完成した斜張橋と吊り橋があり3つの橋を同時に眺められるのが楽しい。斜張橋も吊り橋も1本ずつ見ればどちらも美しい橋だが、3本並ぶと、最も完成が古いフォース橋が、最も美しく感じるのだが…なぜなんだろう…人って、より手仕事的な建造物により魅力を感じるのでは…と、そんなことを考えさせられたフォース橋見学だった.

今回の旅行では、15人ほどでのバス移動が基本なのだが、鉄道オタクでもある秋山さんの要望で、フォース橋を列車で渡ることになった。この赤い恐竜のような橋を電車の中から眺めると、列車から発せられるディーゼルエンジンの音を聴き、その振動を感じながら、赤い鉄の太い斜材が、ある一定リズムで横切り続けるという、進行方向の左手に見える斜張橋と吊り橋の景色を邪魔する鉄骨の斜材で、決して美しい光景が眺められるのではなかったが、上のネットから取得した写真を見ると、この赤い恐竜のような橋を鉄道で渡ったんだぜぇ!という身体的振動の記憶がともなう視覚的経験値に、自己満足感があって、それがちょっと嬉しい。

それはそれとして、バスガイドさんが、スコットランド在住の日本人の女性の方で、とっても流暢な解説と美しい声のおかげで、イングランドとスコットランドの様々な文化の違いを学ぶ機会になり、彼女に感化されて、すっかりスコットランドloverになってしまった…。

イングランドのダラムという町にあるキングスゲートブリッジを見学する。日本人観光客15人ほどが集まって橋の上で記念写真を撮影すると、通り行く人々は、なんで、こんな橋で日本人が記念撮影をしているのか不思議そうだった。この写真の奥に映る大聖堂が世界遺産でとっても荘厳だったが、この橋はその革新的な設計と建築技術により、イングランドのグレードI指定建造物に登録されているという。その設計に関わった日本人建築家三上祐三氏が秋山さんと同じ大学の先輩だという。通常であれば、この写真の立ち位置から大聖堂に、直線的で、最短距離で、川を横切る橋を作るところを、「風景の中の視覚的効果」を狙って、この写真のように斜めに角度を振ったという。確かに現地で見るとこの橋を横から眺められる場所がなく、この斜めに角度を振る操作がなければ、この橋の美しい構造を見ることは出来なかったとおもう。

ロンドンで自由時間があり、秋山さんのお誘いで、鈴木さんと3人で、ロンドン トランスポーター ミュージアム デポットへ行く。秋山さんお知り合いのロンドン在住の日本人フォントデザイナーの河野英一さんにアテンドして頂いた。なんと、ロンドンの地下鉄の、この写真のフォントは、河野さんのデザインによるというのだ。ダイヤモンド形の点がとってもカッコエエ! イギリスの地下鉄のフォント「New Johnston」は日本人がデザインしていたのだな…。そのあと、日本食レストランで、ラーメンをともに食べながらお話しを聞いて、もっとも驚いたことは、ウィンドウズの「メイリオ」のフォントデザインは、河野英一さんによるというのだ…。

そんなこんなで、旅の途中なので、これぐらにして、日本に帰ってから、あらためて、この旅の印象を書こうとおもう……

菌類がつくりだすネットワーク

毎月19日に「空き家カフェ」を開催している。この5月19日月曜日で100回目を迎えるコトになり、常連参加者で、家主の立ち位置でもあるヤマダさんに、この100回をまとめるプレゼンテーションをして頂いた。おなじく常連参加者で、元生野区副区長でもあったタケザワさんが、その資料の「まとめ」をChatGPTも駆使しながらまとめたコトバが、「空き家カフェ」というものが何であるかをとっても上手く表現してあった。

「空き家から広がる人とまちの再生」

空き家カフェは「物件再利用」だけでなく
「人とのつながり」を育む場であり
地域を活性化する原動力です
空き家再生は単なるリフォームではなく
コミュニティー再生の象徴的な試みです

まちの「人とのつながり」とそのコミュニティーといっても、昔のような運動会をしたりする懇親会的なことは面倒だと感じる人が多いと思う。いまは、まちの安心安全を補えるるような、挨拶を交わせる程度の弱わい繋がりで良いのかもしれないが、案外、その挨拶を交わせる程度のコミュニティーがムツカシイのかもしれない。森林の微生物に関するテレビやネット上の資料を垣間見ると、木々の根に共生する菌類が作り出すネットワークが、木々の成長や森林の構成にダイナミックに影響を及ぼしているという。そういう菌類がつくりだすような地下ネットワークが「空き家カフェ」の菌類的コミュニティ−再生のような気がする。

大阪府建築士会発行の業界紙「建築人」という雑誌に掲載されて、弊社が施工を担当した 「クセのあるスタジオ」(設計:Kvalito/施主:マクセル株式会社)が、建築人賞の佳作に選出されて、その表彰式があった28日木曜日。木村工務店代表で専務が賞状を頂戴したそのブログはこちらにあって。それはそれとして、その表彰式では、弊社での施工実績もある建築家の奥和田さんが、同じ表彰台で受賞してお互いの受賞を讃え合って、この同じ舞台で大阪建築コンクールの渡辺節賞を受賞した建築家が北村さんで、彼は「空き家カフェ」に何度も参加してくれているので、懇親会の席で祝福しあったし、竹中工務店の設計施工で受賞し、その設計担当者として表彰されていた、山崎さんも、うちの家で、何度か食事会をした縁もあって、懇親会では久しぶりの親交で楽しい時間を共有した。その席には自邸のマンションリフォームに関わらせて頂いた、竹中工務店のKさんもお見えで、少々驚いたが、関わりのある方々と、とっても良い時間を持てた懇親会だった。

この表彰式では、万博のリングを設計した藤本壮介さんの講演会が1時間ほどあり、それがとっても良い講演だった。あらためて、万博リングの設計意図と建築への想いを知るコトができたが、懇親会の席にも参加されて、とっても多くの建築士会の方々と、終始笑顔で、名刺交換をされ記念撮影をされている姿がとっても印象的だった。懇親会が終了する少し前に、私も名刺交換に行くコトにしたのは、以前に住宅の見積をしたことを伝えたかったことと、講演のプレゼンテーションに、万博リングでの夕焼けの話があり、その写真が、以前のブログの夕焼けの大阪万博の写真に近い角度のプレゼン写真で、開幕前なので、リングで夕焼けを見る人の姿がないのと夕日そのものは写ってなく、是非、万博リングの夕日と夕日を見る人を見てくださいというメッセージだった。ま、大阪人的に、この写真どないでっしゃろか…..というノリで、iPhoneの写真お見せして、ほんの1分ほどの懇親を楽しんだ。

懇親会終了後、竹中工務店さんや日建設計さんや鹿島さんの受賞した若い設計担当の皆さんとミナミのBarで一緒に飲んで、楽しかったのだけれど、それって菌糸的地下ネットワーク的飲み会だったようにおもう。

one world. one planet.

雨降る日曜日の朝。前日のウエザーニュースでは、大阪市内の朝の天気は曇りだったのに…..。

ゴールデンウィークから3週続けて、日曜日に、自転車に乗る気になったのは、台湾を自転車で周回するのを「環島」というらしく、秋にその台湾一周のお誘いを受けて、あまり考えもせず、軽やかに、行きましょかぁ…..と応じると、よくよく聞くと毎日100kmほどをを9日間で走るらしい。サポートカーもついたツアーらしいが、それでも、それは、ちょっと無理かも…..と、今年、全く自転車に乗っていないワタシの現実をようやく直視して、不安というのが、もたげてきた。それで、とりあえず、まず日曜日は自転車に乗ることにした。なので今日の日曜日も乗る気満々だったのに、朝からぐずぐずした天気で、道も濡れてるし、今日はや〜めた。そんな気分の日曜日の朝。

最初はあんまり頑張らず、とりあえず、45kmほどを午前11頃まで自転車に乗って、汗かいて、シャワー浴びて、小路のハンバーガーを食べるのを楽しみに自転車に乗ることにした。十三峠や葡萄坂を久しぶりに登ってみると、時間のかかることかかること、STRAVAの記録を見ると過去一遅かった。いまや登れるだけでもう充分。これぐらいの距離だけ乗って昼からあれやこれやできるぐらいが、いまのワタシには丁度良い加減だな。それにしても、朝の朝護孫子寺の清々しさと、ゲイジュツとさえおもえる葡萄畑のテント張り越しから眺める大和の景色と、八尾飛行場からの小型機の離発着が、楽しみ。

そうそう、今週は、社員OBの福本さんの葬儀があって、どこからともなく聞きつけた社員OBが、参列してくれたり、献花や弔電までだしてくれたことに、福本さんの社員への貢献度の大きさを実感したし、木村工務店の制服数枚が納棺されたシーンにはグッとくるものがあった。喪主の長男さんの挨拶を聞くと、福本さんが残してくれた、木村工務店の建築技術と建築に対する情熱を、守り育んでいくことが、私たちのミッションであるようにさえおもえた、そんな火曜日の葬儀だった。なので、今週はしっとりした日曜日の朝が丁度良い。

そんな、ぐずぐずした日曜日の朝だったが、昼から徐々に天気も回復し、夕方5時頃から、思い立ったように、奥方と万博に行くことにした。一度行くと通期パスの割引きがあるらしく、それで通期パスに変えた。メインの国々の海外パビリオンは、予約と行列でなかなか入れないので、周辺各国のコモンズ館のパビリオンを見て、食事して、リング周回して、ドローンショーみて、帰ろかっ…..みたいな感じ。ドローンの編隊が描く光のショーは、現代的な感じで良かったが、いま同じドローンが編隊を組んで爆撃をし破壊もしているのだから、空に表示されたこのコトバを見ながら、世界は複雑怪奇だとおもったし、コモンズ館で多くの国々のコトを垣間見ると、そんな国々に一度訪れてみたいな…..なんておもいながら帰路についた、日曜日の夜だった。

「見積」と「施工図」

木村工務店が所在する生野区小路地区で、上棟式があった今週。

30年ほど前は、会社の近くで新築やリフォーム工事をすることが多かったが、ハウスメーカーの台頭により、地域性というその概念が大きく変化し、かつては会社から徒歩圏や車で20分ほどが、圏内のような感覚で、地域の工務店が仕事を受注していたものだが、大手ハウスメーカーが、ショールームを持ち、どんな家を建て、そこにどうやって住まうことができるか、とっても明快で、そのうえ大きな会社組織としての信頼感の圧倒的強さに、私たちのような小さな工務店には、太刀打ちできない状況が続いてきたとおもう。

木村工務店の家づくりに共感を持って頂ける方がいらっしゃれば、車で1時間の圏内であれば、どこにでも建築工事に行きますよ。というスタイルになって30年ほどが経過しているようにおもう。ごく近場で、家を施工することに拘らなくなった、その30年間のなかで、IT革命というデジタル技術の進行によって、小さな組織内の情報共有のレベルが格段に上がってきたし、BIMというデジタル設計の技術が進化し、三次元で空間を共有することが容易になって、ショールームがなくても、どんな家でどんなライフスタイルになるのか、お客さまと共有しやすくなった。

既製品化や標準化も重要な要素だが、ものづくり的な部分を携えた工務店として存続したいとおもうと、ものづくりのチームとしての協力会社との良い関係性を維持していくことが、とっても大切な要素であるとともに、その建築物のものづくり的部分を施工できるようにするための「施工図」と数的にお金的に置き換える「見積」という要素がとっても大切だとおもうが、工務店業界の情報誌には「見積」の話などクローズアップされることが全くないし、建築学科の授業にも「見積」なんて、みたいな感じで、習うことも、教えることもない…..。

「施工図」と「見積」の技術は、工務店にとっては、心臓のように、もっとも大切な要素だと、木村工務店のなかで、脈々と伝わっている技術で、その技術を長年担い、社員にその技術の稚拙さを昭和的厳しさで鍛えてくれて引退した福本さんが、昨夜お亡くなりになったと知らせがあった。あらためて、これからも「施工図」と「見積」という技術を精進していきたいとおもう。

小路地区で、久しぶりに新築の機会に恵まれ、上棟式で、施主さんと職人さんたちと携わっている社員の皆さんと、木組みの下で一緒に飲んで、祝福できるのが、とっても嬉しいコトだった。と、施主への感謝の気持ちとともに単純に書こうとおもったのに…..おもわぬ方向に。「情報の共有化」や「BIM」や「ものづくりの仲間たち」や「施工図」や「見積」の進化を精進して、また、この小路地区でお仕事できれば、嬉しい。

GWにこんな光景に出会った

犬島に行く。

大阪を早朝に車で出発し、朝8時前に岡山県の宇野港に到着した。フェリーに乗って、まず直島に渡る。これまで2度ほど直島で宿泊したことがあるので、そのまま直ぐに直島から豊島と犬島行きのフェリーに乗って、犬島まで渡り、犬島精錬所美術館を初体験。それなりにエエ空間体験ができて良かった…..。

暗闇の中に鏡に写る光に導かれる空間があって、デンマークに長男と次男の3人で旅した時、デンマークの公園の地下に、ここと同じ設計者の三分一さんが造った空間体験があって、北欧のなかの日本的な空間で、それなりの感動をした。その空間と同じテーストのもとが、ここ犬島にあったのだな。それとともに、名古屋のコスモホームの鈴木さん主催のヨーロッパ建築研修旅行に行った時の同室が、今は亡き島根の工務店のリンケンの田村さんで、その田村さんが、デンマークの三分一さん設計の空間をデンマークまで行って施工したっ!とホテルの部屋で聞いた時の、私の驚きと田村さんの苦労話の、その時の光景が唐突に蘇って、その想いとともにこの闇の空間を歩いた。

犬島から豊島にフェリーで戻った。今回の最大の楽しみは豊島美術館だったのに、完全予約制で、そんなの当日まで、全く知らなかった。仕方なくバスの車窓から外観だけを視た。もっと下調べをするべきだったのだが…..。また、あの、万博の、当日予約失敗の、夫婦間の、イヤな、記憶が、再び、襲ってきた。今回の旅は、5月5日に、しまなみ海道の生口島の輪空というペンションに宿泊し、その宿の主人の市村さんと一緒に自転車に乗るのが目的で、そのついでに、一日前に岡山で宿泊し、犬島と豊島を見学することにした。なので、ちょっと「気合い」が足らなかった。いまや、どこでも「予約」が必須で、もはや「気合い」で、綿密な予定をたてないと、旅が出来ない時代だな。

豊島美術館を見学できなかったので、時間ができた。それで「心臓音のアーカイブ」で、私の心臓音を録音し、提供することにした…..。

豊島横尾館が、おもいのほか良かった。建築の改修も、きっちりしていた。内部はなぜか便所だけ撮影出来て、使うと案外気分良し。

豊島から宇野港に戻り岡山駅近くで宿泊し、商店街の抜けたところのBarで地元の方々との会話を楽しんだ、その翌朝、吉備津神社に参拝してから、しまなみ海道に向かうことにした。前々から、一度行ってみたい神社だったが、その機会がなかった。エエ神社だな…..。切妻の双塔がカッコエエが、実物視ると、亀腹の上に浮く縁側がとってもカッコ良かった。最近、エエ神社を体験すると「パワーを感じるわっ…..」というのが女子的コトバだなっ。なんておもう。

その日の午前中に輪空に到着し、宿のある生口島から自転車に乗って因島まで渡り、ちょっとした坂を登って、除虫菊をみた。モデルの女子を除虫菊の中に立たせて、撮影しまくるカメラマンさんがいて、なので、ワタシは、モデルさんの服と同じ黒色のクロモリバイクを立たせて、撮影することにした。のどかな景色。エエ漁港と集落と山々が見える海の光景が瀬戸内海の特徴だな…..。それはそれとして、しまなみ海道で自転車を乗る人は、欧米人ばかりが目立ち、日本人のしまなみ海道自転車ブームは下火になってきたような気がする…..。

因島の大出さんで、因島のお好み焼き「因おこ」を食べた。大阪のお好み焼きの粉もんに慣れ親しんでいると、粉少なめでキャベツシャキシャキの食感が新鮮でとっても美味しい。生口島から因島まで、このお好み焼きを楽しみで自転車に乗っている気もする。お好み食べたあと、自転車をフェリーに乗せて弓削島に渡り、ぐるっと海岸沿いを廻ったあと、吊り橋伝いに、佐島、生名島、岩城島と渡る。こぢんまりしたデザインの橋で、どの橋にも特徴があり好きだな。

それにしても、今年最初のロードバイクで、やっぱ習慣的に乗らないと「あっーしんど」ですわ。そんなこんなで、GWに、こんな景色たちに出会った…..。

夕焼けの大阪万博

木村工務店では、暦通りのゴールデンウィーク。

その29日祝日に大阪万博に行く。雲ひとつない晴天。少し寒いぐらい。それなりの観客に、それなりの列ができ、並で待つが、それでも、建築を眺めるだけで、とっても楽しい。入場したパビリオンは少ないので、なんともいえないが、国によるコンテンツの出来不出来は大きい気がする….。コンビニでおにぎりを買って持っていったが、報道より食べられるところもいろいろあるし、予約入場のない、スペイン館でワイン飲んだり、ベルギー館でビール飲んだり、それなりに楽しめる。おそらく3回ぐらいは行くとおもう。

ワタシ的に初回は「リング」を体験するコトが最大の楽しみだったが、大阪のおばちゃん的奥方は、徹底的にパビリオンを攻略するコトだった。8時20分ぐらいに夢洲駅に到着したが、もうすでに凄い列。イヤホンを耳に挿入し、音楽聴きながら、ゲート越しのリングとパビリオンを眺めて待つと、それなりにテンションが上がってきた。これぐらいの待ち時間なら苦痛じゃないなぁ。きっちり9時にゲートがオープンし、空港のような厳重なセキュリティーチェックを通過して、9時15分には入場できた。で、とりあえず、フランス館の列に並んだ。事前予約が取れたのは、いのち動的平衡館とUAE館だった。3日前予約が午前0時に開始されるらしいが、その予約に「失敗」し、とっても悔しがっている奥方。

それで離婚の危機ぐらいに問題が勃発したのが当日予約だった。ゲート入場10分後に当日予約ができるシステムになっているらしい。で、そのフランス館の列に並ぶと、想定以上にとってもスムーズに流れ、9時25分に入館できてしまった。ところが、その入館時に当日予約が可能な時刻になったのだ。フランス的コンテンツを視たいが、まず日本館の当日予約をするのだぁ!っと指示が飛んできた。後からどんどん押される人並みに恐縮しながら、スマホを操作し、無事午前11時頃の日本館の予約を獲得したので、その報告をするために、すぐ後にいるはずの奥方に伝えようとすると、姿がまったく見えなかった。コンテンツを視聴するより、スマホの操作で下を向いたまま、後から押し寄せる観客に邪魔扱いされながら、当日予約に必至の奥方と、かなり、はぐれてしまったのだ。

電話で連絡まで取り合って、ようやく合流し、当日予約ゲットを報告すると、でかしたぁ!と褒められるとおもったら、私の分はっ!という。そうかっ、二人分を同時予約する必要があったのだな。確かに、あっゴメン。それにしても、そんな同伴者を一緒に登録するところあったっけ。と「コンテンツ半視、スマホ半視」の中途半端な状態で、操作するので、もう混乱状態。あとから同伴者分を追加することが出来ないようなのだ…..しらんけど。もぉ当日予約など、どぉでもエエ状態のワタシ。ふてくされ気味でもあって、フランス的コンテンツをただ視たいだけなのだぁ。と主張すると、その当日予約するスマホの操作も上手くできないオトコとしての不甲斐なさを嘆く奥方。とにかく、まず、その予約を取り消せっ!と、万華鏡の向こうから指示が飛ぶ。この万華鏡空間の全員から中心にいるワタシに指示が飛んできている気分だった。

「モン・サン=ミシェル」と「厳島神社」がしめ縄で結ばれているのは、いかにもフランス的だと想いながら、「モン・サン=ミシェル」に行った日の楽しかった想い出、「厳島神社」に行った楽しかった日の想い出が、走馬灯のように脳内を駆け巡ったが、フランスと日本の2つの文化を結ぶ「しめ縄」をみて、脳内をよぎったのは、唐突に襲ってきた当日予約システムによる、ワタシとオクガタの危機的関係性を回復することだった。

フランス館から出国し、ゲート近くまで戻ってインフォメーションセンターに向かい、当日予約のスマホ操作のレクチャーをうけ、もう一度二人分の日本館を当日予約しようとすると、既にいっぱいだった。とりあえず今日は日本館に行っておきたい!という奥方の希望が消え失せ、当日予約失敗による二人の微妙な関係性は持続されたままの状態だったが、その距離感が少し縮まったのが、昼前から飲んだスペイン館の赤ワインのお陰だったようにおもう。

「リング」はこの万博会場には、とっても相応し木組みのリングにおもえるし、木組みの中を歩くことを楽しみにしていたが、それ以上に、屋上を歩いて、万博会場内を上から俯瞰して建築を見下ろしたり、海を眺め、遙か向こうの淡路島や明石大橋や六甲山や関空を眺め、大阪の都心方面を眺めるのも楽しい。回遊路が2段になっているのが、おもいのほか良かった。動的平衡とは何なのかを学んだあとだったので、夕日のなかで、上の通路を歩く人と下の通路をあるく人の姿が、エネルギーの流れのように見えて、とっても美しく感じられた。

広い会場内で自分がどこにいるか方向性を見失なっても、必ず木組みのリングにぶちあたるので、いまとここを判断できた。この木組みのリングは、万博会場をひとつにまとめ外との関係性もつくれる優れた回答のひとつにおもえた。それよりも、この地球上には、とっても多くの国々があり、それぞれの国と日本とに結びつきがあり、これからの日本との関係性を模索していることに、あらためて気付かされるし、日本人が世界で働き、世界から日本に観光や働きに来るコトが、特別なコトでなく、とってもフツウになる時代のようにも感じた。

また万博を楽しみたい。

心もととのう「神社マルシェ」

地元の清見原神社で第二回神社マルシエを開催した日曜日。神社でマルシェを開催できるのは、清見原神社の宮司さんの理解があってのことだが、このマルシェを取り仕切る、地元民のマツザキ女史の、全体をとりまとめるための貢献がなければ、まったく開催できないし、それに生野区行政マンのタケダさんが、ものづくりセッションで、ものづくり好きな人たちを繋いでくれたお陰で、飲食店だけでなく、ものづくり系の屋台が立ち並ぶのが、神社マルシェの特徴になった。地元民が発案し行政がフォロアップしてくれて、行政と民間がお互いに助け合いながらのマルシェであるのも特徴のひとつ。

木村工務店としての役目は、木工家賀来さんデザインによる屋台を国産の杉材で製作し、その屋台に地元の大林縫製さんが製作してくれた、白い帆布をかぶせて、神社の境内での「風景の中の視覚的効果」を演出することで、昨年より2台屋台が増えて23台の屋台が並ぶ神社マルシエとして、そのセッティングに貢献することだった。

そうそう、それはそれとして、その屋台のなかに「金継ぎ」を職業としているコバヤシタカシさんがいて、前回も参加してくれて気にはなっていたのだけれど、今回は、ワタシの所有物で、20年ほど前のゴールデンウィークに、家族と有田の陶器市に行って、陶器をあれやこれやと買ったなかに、作家の一点物の湯飲みがあって、それを木村工務店会社内の湯飲みとして使っていたが、ひょんな事で割れてしまった。割れたら割れたでしゃぁないなっ。とおもいつつも、そこそこの値段がしたコトもあって、残念さも心のどこかに残っていたのだとおもう。10年以上も割れたままの陶器のピースとして本棚に大切に保管していた。それを今回「金継ぎ」をしてもらうことにした。

金継ぎのコバヤシタカシの名刺には「心もととのう金継ぎ」と書かれてあった。確かに、経験してみると、壊れてモノとしての機能が無くなってしまったモノが、再生され、モノとしての機能を取り戻すと同時に、長年欠けたままになっていた心のピースも「ととのった」気分になる。この湯飲みの再生に、それなりのお金をかける価値があるのかと、躊躇があったものの、完成して手に取って眺めてみると、モノとしての再生とともに、心のセラピーに、お金を払ったのだなっとおもう。

沢山の老若男女だけでなく、縫いぐるみのミャクミャクやイクミンや生野区長も参加頂いた神社マルシェは、潜在的に神社が持つ「心がととのう力」のお陰であったようにおもえてきた。晴天の今日という日と、この神社という場所のエネルギーと、出展者の皆さんと、お越し頂いた皆さんに、感謝がわいてきた、2025年4月27日日曜日だった。

「風景の中の視覚的効果」

協力会社との「ものづくりのチーム」である精親会の、第103回ゴルフコンペがあった木曜日。年に2回しかゴルフをしないのを言い訳にするつもりもないが、散々たる成績で、なんか苦行のような感じだった。ま、それでも楽しくなかったのかぁっといわれれば、そんなことはなく、成績結果をあーだこーだと言い合いながらのコンペのあとの会食は和気藹々で楽しい。それより、朝一番のスタートで、こんな美しい風景をみると、どの場所に家を建てようか…..とか、どこでキャンプのテントを張ろうか…..とか、そんなふうに考えてしまう。芝生のなかに、旗一本が立っているだけでエエのかどうか。なんとなく建築物の「風景の中の視覚的効果」というのを意識しているのだなぁ…..と、そういうコトバを使って考えるきっかけが、今週の出来事。

イギリスに「キングスゲートブリッジ」という橋があるらしい。で、それについての資料が、建築家の秋山東一さんからPDFで送られて来たのが、今週の出来事。イギリスのこの地に新しく歩道橋を設計するにあたり、その橋を川と大聖堂に対してどのような位置関係で設計したかの資料で、それを読む…..。

ある著名な都市理論家は、橋は川に対して直角に配置すべきだと主張していたらしい。それに対して、この橋の建築的立ち位置としての日本人設計担当者の「建築家三上祐三氏」は、カテドラルから川に対して直角方向に軸線が伸びているラインがあるなかで『いわば「風景の中での橋の視覚的効果」というべきものを強力に主張して…..可能な限りカテドラルの軸線に対して斜めに切り込むように配置し、カテドラルと河岸の森を望む美しい風景の中に、橋とそのV型サポートの白い造形が重要な視覚的要素として作用しよう、という提案である』と書かれてあった。

また『この視覚的効果を重要視した提案は全く建築的なもので、つまりエンジニアリングとは別次元のことで、architecturel assistantとしての私が当然なすべきことであったと今でも想っている』と「建築家三上祐三氏」の言葉だった。「風景の中の視覚的効果」というものを考えるのが建築的なコトのひとつである…..なんていうのを、あらためて意識する機会になったし、そういえば、秋山東一さんが、プロデューサー的立ち位置であったようにおもう、鹿児島の工務店の「シンケン」さんの住宅は、道路に対して斜めに建てられていたのを想い出した。

そうそう、会社から歩いて10分ほどのところに、片江という場所があって、片江七福橋といって、川に対して斜めに渡る橋がある。昔からの街道で、写真の左斜め上方向の北西に向かうと暗峠街道になって難波の宮と大坂城に至るので、大坂城にふらっと自転車で遊びに行く時は、必ずこの橋を通過する。車でも抜け道としてよく通過している。この橋を渡る感覚がなんだかとっても好きで、また名称が「七福橋」なのもエエ感じ。

この写真をみて、前述のスケッチをみて、あらためておもうのは、この七福橋は意識的に斜めに造られたものではなく、この斜めに通過する街道が昔々からあって、そこに平野川分水路が、この南北方向で造られることになって、否応なく斜めに橋を架ける必要があったのだろう…..しらんけど。その分水路工事の前後に東西に通るシュッとした道路ができて、橋を直交方向にまたぐ橋が2本も架けられたようにおもう。いつも、ここにこれだけ橋が3本密集しているのが、不思議だった。

それで、この資料を読んでから、「風景の中の橋の視覚的効果」は「七福」を与えるのかも…..と考えることにしてみたし、「建築人」として「風景の中の建築物の視覚的効果」というのをあらためて意識して造りたいねっ。と考えるようになった、そんな今週の出来事だった。秋山東一さんThanks!です。

今年3回目お花見と「ものづくりセッション」

木村工務店恒例のお花見を催したのが4月9日水曜日。この日は天気も良く枝垂れ桜は満開だった。一時期は、ほんの少ししか開花しなくなっていたうちの桜は、なんとかそこそこ開花するようになって、海平造園さんが手入れをしてくれたお陰だなっとおもう。バーベキュー台のセッティング、照明のセッティング、焼肉の買い出し、肉の仕訳、炭火の付け方、後片付け、などなど、工務店にとっては、一連の段取りが、学びの場である…..ていうのが、先代から続く教えのようなもので、午後3時過ぎにはそれぞれが仕事を済ませて、庭に集まってきて、セッティングを始める。

皆がそろって乾杯!っていうのが、日本的儀式なんだけど、最近は、セッティングが出来次第、近くの酒屋さんからレンタルしているビールサーバーから、生ビールを注いで、ちょっとずつ飲み始めている。小さな乾杯が何度かあって、いつもより少しだけ早く現場から切り上げる大工さんが加わって、揃って乾杯!できるのは午後6時ぐらい。大きな炊飯器にお米をたっぷり用意して、若い現場監督や大工さんのご飯の食べっぷりが凄くて、みてても気持ちがエエ。焼肉を食べて、焼きおにぎり食べて、お腹も満腹になって、炭火もなくなってきたら、小割にした薪を燃やして、小さな焚き火をする。工務店なので端材はいっぱいある。2時間ほどして、中締めの一本締めをして、帰宅するものもいてるし、そのまま飲み続けるメンバーもあって…..

ワークマンのこの靴下がエエねん!という大工さん。なんだかんだいいながらも、職人さんたちとは、仕事にかかわる話になって、大真面目に仕事や会社のコト考えてくれているのだなっとおもう。先代先々代の時代から、お互いに「過ぎたるは及ばざるがごとし」になるコミュニケーションの失敗も繰り返しながらも、木村工務店のお花見は社員や職人さんとの繋がりを模索する場であるのだろう。

お花見の翌日4月10日の午後からは雨になって、一気に桜が散った。こんなことは珍しい。夜桜を楽しめる期間の短じかさに残念!っともおもったが、翌日の朝の庭は、桜吹雪の庭となって、それはそれでとっても美しかった。さまざまなシチュエーションで、桜もコミュニケーションも、何度も何度もリセットを繰り返して、新たな今を迎えていくのだな…..。

「ものづくりセッション」があった土曜日。2人のプレゼンターが、自分の仕事のコト、自分自身のコトを語る。素直に、等身大の、今の自分を、観客の前で、笑顔と涙目を混在させながら語る姿は、とっても素敵なコトだなっとおもった。ワタシにもそんなふうに語ることができるのかっと自問自答が襲ってきたぐらい、2人のプレゼンターが皆の心を捉えたようにおもう。タケダさんとワタシが主催者であるのだけれど、お互いに無言の協力で、コミュニケーションの土壌を造る役目を担っているのだなぁ….なんていう認識を強くした、そんな今回のセッションだった。

「お花見」とか「ものづくりセッション」とか「コミュニケーションの土壌」のようなものを、ほそぼそと維持できれば…とおもう。

今年2回目お花見と「アメリカ音楽文化」

家のすぐ近くに、日本人の奥さんと家族をもつアメリカ人のキップさんが住んでいて、うちの長男家族と親しくしているのだけれど、彼のお父さんがアメリカから2週間ほど来日し、帰国前の今日の日曜日の夕刻を一緒に食事を共にして過ごそうよっ!ということになって、お互いの magos も交えて、うちの家で、お花見をした。これが今年、2回目のお花見だった。

午前中は雨が降るという天気予報だったのに、早朝には降ったようだが、想定外の晴れ。お花見で皆さんから綺麗ねぇっ!綺麗ねぇっ!と褒められて晴れ舞台の桜ちゃんたちにとっては、雨で散らなくて良かったようにおもう。うちの遅咲きの枝垂れ桜ちゃんは、ようやく9分咲きぐらいか。いつもは家でGameしてYouTubeばかり視聴しているmagos達は、桜の妖気なパワーに誘われて庭を走り回っている。やっぱりアウトドアーで元気な姿の子供達が発する「sound」は心地良いねぇっ。

そのキップさん父が、手土産としてレコードを1枚持参してくれた。そのレコードを聴こうと、庭の向こうの長男の家に向かう。最初の写真の桜の向こうに外壁がシルバーの建物があって、かつては、私たち家族の住まいで、戦前の長屋を改装したのが、25年ほど前のこと。8年ほど前に長男家族がここに住まうことになり、私たちはかつて祖父母と両親が住んでいた庭を隔てた向こうに建つ2階建て住宅を平屋に減築して、いまの住まいとしている。その長男家族が住む長屋をリフォームした2階が、古い梁を現し新しい補強柱を設置した上記写真のようなリビングになっているのだけれど、長男なりの住まい方として、その障子のある正面にJBLのスピーカーとDJブースを設置して、マレンコの椅子に座って聴く、音楽スタイルとして使っている。そこで、そのレコード「sound」を一緒に聴いて楽しもうということになった。

ワタシ、3分の1程度の会話が聴きとれる程度で、ほんの片言の英語しか話せない。時おり翻訳ソフトをお互いに駆使しながら、会話をするが、とってももどかしい音楽談議だった。キップスさんが日本語がとっても達者で、DJをしていることもあり、この2人の間を流暢につないでくれた。というか、あらためて感じたコトは、コトバが通じなくても、お互いが好きな音楽は、ヒトとヒトを繋いでくれるものだなっとおもう。全く違う環境と文化に育った、この空間に存在する4人が、共感し合う音楽を通じて「いまとここ」を居心地良く過ごせるというのは、「ヒトとヒトにつながりをつくる」という音楽が持つひとつの力だなっとおもった。

そのレコードを記念写真として2人で自撮り。日本人は、というか、ワタシは、アメリカの音楽文化に大きな影響を受けて、それを、ワタシなりに楽しみながら、ワタシなりのジャパニーズフィルターを通して、さまざまに解釈し、それが、ワタシのどこかに定着して、というか「記憶のこぶ」として、ワタシの文化のひとつになっていたのだなっ…..とあらためて感じさせられた、お花見だった。

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