春一番的

春が一気にやってきたぞっ!そんな日曜日。

クッチーナというブランドでキッチンを製造販売するモーリーショップの大阪支店長のフナモトさんのお誘いがあって、今年最後のスキーに行く。長男のタカノリ専務も一緒に行くわっ!となって、今年初めて1人でなく3人で滑る。春霞のエエ天気。暖かい。岐阜は雪もいっぱい。車も2人が運転してくれて楽ちん。ま、でも、この歳になると、シャバシャバの雪の春スキーは体に堪える。

3人一緒に、8時から11時30分まで、リフト乗車以外は、ほぼノンストップで、ぶっ続けに滑ったら、もう充分。汗かいた下着を着替えてから、駐車場のキッチンカーのジビエのタコスを食べた。青空。春の陽気。雪景色の山並み。心地良い身体の疲労感。ちょっとフェス感あった。大阪に帰り着いて、午後5時から、春休みでエネルギー有り余る magos も一緒に、近くで焼き肉を食べて、なんとなく春感満載の一日になった。

そうそう、振り返れば、今週はスポーツ的な週だったようにおもう。大谷くんのホームランを観て、サッカー日本代表の久保くんのエエプレーを観て、そのちょっとした興奮が、体を動かすエネルギー源になっていたのかもしれない。

毎月19日に開催されている「空き家カフェ」は、この3月19日にもあって、「居住支援事業」とか「住宅確保要配慮者に対する賃貸住宅供給の促進に関する法律」なんていうテーマを学びながらの開催だったが、おもいのほか多くの参加者があって、驚いた。

生活困窮者を中心にした居住支援の話題もあるが、それだけでなく、話題の中心のひとつは、65歳を過ぎた後期高齢者的ひとり住まいで健常の方が、老人ホームとか、サービス付き介護住宅でなく、一緒に助け合いながら住めるシェアーハウス的な場所を求める需要があるという。老人だけで住むのではなく、シングルマザーや、海外からの働くひとたち、などなど、さまざまな理由で住宅確保要配慮者のひとたちが、一緒に住みながら、お互いに助け合いシエアーしたい…..なんていう要望もあって、そういうコトをコーディネートできるひとが、求められているように感じた「空き家カフェ」だった。

半年ほど前から、15時30分開催の「空き家カフェ」になって、終了後には懇親会を催すことになった。今回も6人の参加者と一緒に飲んで食べてあーだこーだ。不動産業界の参加者の方々がいて、「バイローカル」の話題もあったが、マンション購入費用のとんでもない高騰に関する話題で盛りあがった。そういえば、うちの東京住まいの次男も、マンションの賃貸や購入問題で悩んでいたっけ。「まちの問題」をアテに、あれやこれやに相槌を打ち続けているうちに、気付いたら深夜になっていた。

いろいろなところで、春一番的な風が吹いたように感じた今週だった。

「sound」

梅が咲いて、桜を意識しはじめた、3月15日土曜日。

そして、しとしと雨降る今日の日曜日。こういうしっとりした日曜日も悪くない。朝風呂いって、小路駅近くにできた、とっても美味しいハンバーガーをテイクアウトして、ドジャース対阪神戦を視聴する。阪神の才木投手の気合いが伝わってきてエエね。こういう時に頑張る阪神がオモロイ。かなりの阪神ファンだった木村工務店創業者で祖父の喜んでいる姿が目に浮かぶ。ちなみに木村工務店二代目の父は、かなりの南海ホークスファンだった。その反動か、三代目ワタシ、野球をめったにみない。ナイターのテレビ視聴がほとんどない。

なのに、昨日土曜日。昼から阪神対カブス戦を視聴して、夜はドジャース対巨人戦を視聴する。ドジャースの協力打線の打撃オーダーや特徴ある投手陣の情報を何気に知っている事にあらためて気付く。たぶん、ワタシは、日本球団の選手よりドジャースの選手の方が知っているようにおもう。ドジャース球団の日本人ファン戦略にはまっている典型的日本人だな。大谷くんのホームランを期待して、期待通りのホームランを視聴して、気分良くなっている日本国民のひとりだな。あらたな喜びを創造する、大谷くんとドジャース球団の「マーケティングとイノベーション」が、フィットしているようにおもう。

それにしても、大谷くんの、あのホームランの「音」がエエ。これフェースブックに表示されたリール動画の画面キャプチャーだが、昔から漫画に「カキーン」と書いてあって、その音を想像するのだけれど、金属製バットのカキーンという金属音とは、全く違う、木製バットと鋭い振りから発する、独特の乾いたサウンド。大観客がいて、なのに大谷くんがバッターボックスに立つと、シーンとした緊張感のある球場の雰囲気になって、そのなかに響く、あのホームランのオリジナルサウンド。そのあとに暫く続く球場内の響めき。この一音を聴きたいために集まるコンサート会場みたいだな。自分だけのsoundとかVoiceを持っているミュージシャンに魅力を感じるように、いつか是非、生音体験したい…..。

阪神対カブス戦がお昼から始まることになっていた、その土曜日の午前中。4月27日日曜日に清見原神社で開催される「神社マルシェ」に先立って、屋台の点検作業を参加者とする。昨年、木工家賀来さんオリジナル屋台を参加者皆で製作して、白い帆布が立ち並ぶ神社マルシェの屋台として貢献してくれたのだけれど、作業クオリティーの問題等もあって、ちょっとした間違いや不具合を、開催日のその場で修繕対応しながらだった。だいたい「ものづくり」って、いつもそんな感じだな。スノーボードの宅急便の袋に梱包されて、点検作業のために並べられた、屋台の部材たち。それはまるで、築地の市場に並べられている、マグロのようだった。

マグロの解体作業のように、袋から部材を取り出して、仮組みして、点検する作業って、とっても面倒くさい。皆で集まって協働作業するから出来る事だなとおもう。そういう面倒くさいことを面倒くさがらずに、ひとりでコツコツやり続けられるのが、大谷くんのようなプロの職人さんなんだろう。上の写真は神社マルシェのフェースブックから拝借。付き添ってきた子供たちは、周囲で楽しく遊び回り、大人たちは、面倒くささを感じつつ、楽しさに変換する努力して、協働作業をする、そういう時に発せられる「sound」も好きだな。

侘助・雪山・古材

庭の侘助(ワビスケ)のピンクの花が沢山咲いて、ようやく春の訪れの「気配」を感じる今年。例年より遅い気がする。それにしてもその蕾が苔の上に落ちる姿がなんとも侘しい。侘しいというコトバを使ったものの、こんな表現でエエのかどうか。ワビとはもともと「お詫びして引き下がり気味になること」からきていると書いてあった。毎朝この蕾は、チリトリに集められ、ゴミ箱に捨てられる。そのゴミと混じる蕾の姿には、もの悲しさ漂うが、苔の上に落ちる蕾の姿は、なんとなく侘しいね…..っというと、その気分が伝わるような気がするのは、共有されてきた日本的な感性が、日本人のそれぞれに宿っているからなのか…..どうか。

こんな雪の多い年は、近年では珍しいとおもう。今日の日曜日の天気予報が「晴れ」マークだらけだったので、土曜日の夕方から唐突にゴソゴソ準備して、岐阜までひとりスキーに行った。早朝、名神高速道路の関ヶ原を過ぎたところで、朝焼けが始まり、長良川と木曽川を渡る長く続く一直線の高速道路の先端から太陽が昇った。サンバイザーより低い位置からの日の出なのでメチャクチャ眩しい!慌ててサングラスをかけた時、追い越し車線に車がまったくいない数秒間があって、その一直線の道路の先端には、日の丸が燃えていた。写真に撮っておきたかたなぁ…..。

高速道路で目に飛び込んでくる雪景色の伊吹山もカッコ良かったが、スキー場周辺の山々の雪景色がとっても美しい。大阪周辺の生駒山や金剛山の山々に雪の姿をみる機会がほとんどない大阪人だから、余計にそうおもうのだろう。シャーベット気味になりつつある雪だったがそれでもエエ雪で、滑りながら、その雪の大地と雪景色の山々とドピーカンの青空との一体感を味わえて、それは侘しいとは対極をなす感覚だが、こんな気分の良い春スキーは学生の時以来だな。今回もシニア券で昼過ぎに滑り終えて、夕方には家でお風呂とビール。

そうそう「もう今年はこれで、スキー終わりやねぇ!スキー板倉庫に仕舞っておいてっ」と奥方に云われたが、いや、ひょっとして天気が良い日曜日があれば、もう一回行くかも…..とおもえるぐらい良いコンディションの雪で、スキー板と靴とヘルメットをお蔵入りするのはやめた。

加工場では、古材を仮組みして、手加工をしている。こういう期間は、工務店のなかに、ものづくり的感覚がふんわりと漂い、社員もどことなく微笑みがある。今回は古材という古い材料を再利用し現代的に活かすという設計意図があって、ワビやサビもそうなんだろうが、ちょっとネガティブ的なものを愛でて活かしていく。というようなハートを持たないと、造れないような、ものづくりがあるとおもう。そういうものづくりの感覚やコツのようなものを伝承していければとおもう。

「価値観」

イタリアの自転車メーカーの「ウィリエール」の日本代理店の営業担当のキタムラくんから連絡があり、いま家に居てますか…..これから自転車持って行きますから…..という。暫くして、家にやってきて、家の前で、ちょっとだけ、この自転車に乗ってください…..という。それで、この写真の自転車に乗って、家の周辺をぐるっと周回した。とってもエエ自転車で、色も独特で、欲しいけど、お幾ら…..と聞くと、いまインストールしてある変速機のシマノのデュラエースとウィリエールのオリジナルホィールといれて、200万円ちょっと…..という。エーっっっ!と驚いたら、興味本位で見に来た奥方が、エルメスのバーキンみたいなもんやねっ!と軽やかに宣う。バーキンは今欲しくても、品物がなく、購入できないけど、これはまだ購入できるやん…..という。世の中の「価値観」はどうなってるのだ…..。

おっさんが買う高級時計とか高級車とか、そんな感覚で高級自転車もあるとおもうが、若者のニーズはまた違うのだろう。日経新聞のWebサイトの記事に「パナソニック」というブランドを若者の半数の人が知らないというアンケート結果があっという。松下幸之助も松下電器も知らないらしい。先週、東京で宿泊した翌日、次男が、新しくできた銀座のソニーパークで待ち合わせしよう!というので、行ってみた。大阪では、心斎橋にあった黒川紀章のソニービルはかなり前に取り壊わされた。ワタシは好きだったけど。銀座ソニーパークに微妙な違和感を感じてしまったのは、もうすでに、若い世代の感覚からズレだしているからだな。

先ほどの日経新聞の記事には、栄養ドリンクのリゲインは苦戦しているが、レッドブルは若者にうけて売り上げが伸びている。日本の栄養ドリンクを参考にして造った海外製品がレッドブルらしい。「中⾼年向けの既存ビジネスは冒険する必要が少ない。若者に挑むことがイノベーション⼒も⾼める」と書かれてあって、なるほどなっとおもう。

銀座ソニーパークより銀座エルメスのほうがエエわっ!という大阪のおばちゃんの奥方に付き添って、真向かえのエルメスに入り、ブラブラ閲覧して、ソトに出た時、エルメスのガラスブロック越しに、ソニーパークを眺めたのがこの写真。ソニーパークでは、催し物やイベントをアクティビティーとよんでいて、全て予約でないと入れなかった。ソニーの機器も予約がないと見れなかった。ふらっと行く時代でなくなっているのは確か。最近、食事するにも予約するのがフツウな感覚になりだしているしね。公園も、ふらっと行く時代じゃなくなっていくのだろう。大阪万博も予約制だしね。そうそう、コンクリート打ち放し仕上げも特徴的で、安藤さんのような研ぎ澄まされたコンクリート打ち放しではない、わざと、荒い均一性のないコンクリート表面。Pコンも、わざと、うえから無造作に補修してある。そういうコスプレのようにもおもえてしまうが…..ソニーもパナソニックも若い世代にコミットするサムシングエルスを模索しているのだろう。

そうそう、先日のトランプゼレンスキー会談の記事が、全文掲載としてあちらこちらに出ているが、とってもオモロイ。大阪のおばちゃんが、無謀で勝ち気な若者に、諭しているみたい。「あんたなぁっ!わかってんのかっ!まずありがとうっていい!それからやっ!」大阪人ならどこかで聞いたようなコトバのやりとりのようにもおもう。横で聞いていた誰かが、「それはちょっと言い過ぎちゃう!」とか、ツッコミもはいったりして。

それにしても「価値観」はどんどん変化するのだな。

ブルース的

地鎮祭があった土曜日。左横には、昨年施工したマクセルさんの「くせがあるスタジオ」があって、右横には、新幹線が猛スピードで通過し、時折パンタグラフからパチン!というスパーク音が響く。カッコエエような。怖いような。で、パンタグラフにちょっとした興味がわいて、調べると、新幹線N700Sは、バッテリー自走システムがあって、パンタグラフを降ろして走行できるという。新幹線からパンタグラフがなくなる日がくるのだろうか…..。そういえば「生野区ものづくり百景」に掲載されている紡織機器バネ工業さんは、そのパンタグラフに集積された電気を車両で使用できる電気に変換するインバータ装置の特殊な部品を作っているらしい…..町工場がそういうパンタグラフの技術を支えているのがカッコエエよね。ちなみに木村工務店はこんな感じで掲載されている。

その地鎮祭があった同じ夕刻に「ものづくりセッション」があった土曜日。左横に積み上げられているのが、その地鎮祭の現場で使う古材で、この古材と新しい木材とを組み合わせた斬新な木組みを造るという。その設計も3つの設計事務所がチームとなって設計している状況で、木村工務店の大工も、かつては二人とか三人とかの組制だったが、最近は一人だけの独立した棟梁として仕事をし、それぞれが、その時々の現場に応じて、チームを組むチーム制に変わった。この現場の複雑な組み合わせの木材を、手加工をするための大工チームが編成される予定。いろいろなモノとコトが複雑多岐に組み合わさり完成を目指す建築は、どんな姿になるのだろうか…..と、楽しみでもあり…..施工がうまくできるかどうか心配でもあり…..ていうのが工務店的ブルースだとおもう。

そうそう、この日の「ものづくりセッション」は、大林縫製のオオバヤシくんが、プレゼンターで、その発表中に、自分の会社を支えてくれている、技術を持った外注の職人さんの話をしている時、感極まって、涙をこらえながら語るシーンが続いた。会社の栄枯盛衰のようなものを語りながらV字回復しようと、新たなコトに挑戦している姿と、ちょっとした悲しみをどこかに携えながら、それを喜びに変えていこうとする発表者の、その声のトーンが「ブルース」だなっておもった。町工場というのは悲しみと喜びとが交錯するブルース的なのだ。と感じた「ものづくりセッション」だった。

東京の椿山荘(チンザンソウ)に行くコトになった天皇誕生日の日曜日。その日の東京は、とっても穏やかな日和で、何件かの結婚式の祝福ムードに包まれ、それを助長するかのように雲海が演出されて、とってもエエ雰囲気だった。「雲海という自然現象を東京雲海では”ダ・ヴィンチ・ヘッダー”という雲や霧を作り出し噴出する装置で実現している。具体的には、庭園内に配置した複数のノズルから、霧や雲と同じ約10~20ミクロンの細かい水の粒子を均一に噴出させることで創り上げている。“ダ・ヴィンチ・ヘッダー”は”株式会社いけうち”の製品である」と書かれてあった。きっとミストシャワーの凄い版なのだな。いけうちさんは霧の可能性を追求する大阪の企業なのだと初めて知った。写真右上にある3重の塔は、移設して100年経過するらしく、芯持ち柱のない構造だという。きっとその移築過程に携わった大工さん達は、苦しみと喜びを体験したのだろうな…..。

椿山荘にて、次男とフィアンセとそのご両親とうちの夫婦6人で食事を共にした。その会話の中で建築的な話があって。ご自宅を住みながらのリフォーム工事をした時に、その時の大工さんが、職人さんとしてとっても良くて、リフォーム工事が終わると、大工さんロス、職人さんロスで寂しくなりました…..って仰った。きっとその大工さんは、毎日緊張感を保って大工工事に尽力しながらも施主の前では穏やかな職人さんとして接することが出来る人柄だったのだろう…..その工務店さんでイベントがあるそうで、その時にはその大工さんに会いに行こうとおもっているのです…..と。そういうのって大工冥利につきるよね。その大工さん、どこかでこっそりとブルース的に涙するのかも…..。

その天皇誕生日の深夜。偶然、ワタシと次男とフィアンセの3人だけになって、タクシー乗り込んで恵比寿のミュージックバーMarthaとTrackをハシゴする。きっと大阪人はだいたい声が大きいのだろうね。Trackで2回ほど注意されてスミマセンと頭を下げた。きっとその日のバックにはブルースロック的な音楽が掛かっていたからだし、そういうちょっとしたブルース的な気分になる土曜日と日曜日の印象を受けて、ワタシの会話は、しゃがれ声で張りがあったのだろう…..。

「スキー」と「湿度」

ひとりスキーに行った2月11日祝日と16日日曜日。コロナ禍の真っ最中に、ひとりスキーにトライしてみると、とっても快適だった。それで一昨年は5回、昨年は3回ほど行った。今年はとっても雪が良いらしい。なのに1月は全く行けるチャンスがなく、2月の日曜日も予定があって、この2月11日祝日を逃すと、もう行けそうな休日が見当たらなかった。前日の午後10時頃に無理矢理寝て、朝5時過ぎ、ひとり車の運転席に座り、コンビニ寄ってからグランスノー奥伊吹に向かう。名神高速の彦根あたりから雪がチラついていたが、午前7時40分頃到着。コンビニで買ったおにぎり食べて珈琲飲んで、3時間半ほど滑り続けたら、もう十分。シニア券でスキーを滑るようになって、昼から滑る気に全くならないですわ。

昨年、モーリーショップのフナモトくんと一緒にスキーに行って、帰り道に立ち寄って美味しかった蕎麦の里伊吹で、くるみ蕎麦を食べて、大阪まで帰ってからスーパー銭湯で体をケアーして、午後5時過ぎ帰宅。家でビール飲んでゆっくりするのがシニアスタイルのような。で、16日日曜日の夜に、ライブを観に行く予定が、主催者の都合で中止になった。このチャンスを逃したら、今年は春スキーにもう1回行けるかどうか…..それにこんな雪の良い年はめったにないかも…..もう1回だけ滑っとこっ!とモチベーション上げて、午前4時半過ぎ出発で、岐阜の高須スノーパークまで行った。道中は雨で、スキー場も湿潤な雪。パウダーに当たる縁は薄いね。それでもエエとおもえる雪で汗かくほど暖かかった。やっぱり3時間半ほど滑って、昼過ぎにスキー場を出て、午後4時過ぎに家に到着してお風呂とビール。

スキーにまた行くようになったのは、スキー板がカービングスキーになって、その滑り方をちょっと体得して、体の負担が大幅に減ったのが大きな要因だとおもうが、スキー場って、風邪が引きにくい環境のようにおもう。気温が低いのでウィルス繁殖しにくいし、湿気が多いのでウィルスが空気中に舞いにくいし、何よりも喉に良さげ。なんで、唐突にこんなこと言いだしたのかっていうのは、昨年の12月初めに喉を痛めて、咳き込んで、耳鼻咽喉科で薬をもらっても、なかなか直らなく、苦しかった。それがお正月に行った軽井沢のスキー場にいてる間は、喉がとっても快適で、それは空気のせいだとおもった。で、やっぱり、大阪に帰るとまた元に戻って、気付いた。

上が2024年12月15日の我が家の寝室とリビングの温度と湿度。下が2025年2月15日の温度と湿度。冬期になると、湿度が20%〜30%という範囲で変位し、その湿度が喉にダメなのだと、ようやく気付いた。湿度が40%を下回るとウィルスの活動が活発になるらしく、60%を超えるとカビとかダニが発生するらしい。それで今年の1月15日頃に寝室用に象印の加湿器を買った。それにしても売り切れ続出で、定価より高いのを買ったのは初めて。居間にはまだ加湿器が置いていないのは、部屋の面積が広いので、どの機種を選べば良いのか…..新潟のダイニチ工業がエエらしいが…..と迷っている状況。加湿器の導入で、寝室の湿度が10%ほど上昇し、ようやく40%ぐらいになってきた。会社のワタシのデスクの横にも加湿器を設置した。それ以降、喉が乾燥して咳き込む度合いが大幅に減少した。

そんなこんなで温熱環境における冬の「湿度」って大切だな…..とおもうし、「スキー」に行って喉をエエ感じにするっていう感覚が芽生えだした今年。

「2025 初午祭」と「換気」

木村工務店には、昔から3階会議室に、お稲荷さんがお祀りしてあり、初午祭といって、現場の安全無事と商売繁盛を祈願して、そのお稲荷さんを、社員と協力会社の職人さんとで、一緒に参拝する神事と直会が、2月初旬のルーティンで、おそらく60年以上は続いているようにおもう。昨日の2月8日土曜日、80人ほどの参加者と一緒に、玉串を奉納し、二礼二拍手一礼で参拝して、加工場に降りて、清見原神社宮司のイヤサカ!の発声とともに御神酒で乾杯したあと直会を催した。

直会として、飲んだり食べたりする前に、私が40分ほどのレクチャーをするようになって十年ほどになる。25年ほど前に加工場から木工機器を撤去し、手加工ができるスペースになって、作業をしない時は、加工場が初午祭の会場として利用できるようになった。またコンピュータとパワポとプロジェクターという新しい道具の発達でレクチャーが出来る環境になって、木村工務店のミッション・ビジョン・バリューを、多くの職人さんたちに、直接伝えることができる唯一の機会になっているようにおもう。この加工場が、良心を持った次世代の社員と職人さん達を育む場になれば、なお嬉しい。

工務店的楽しみのひとつは、会場設営で、すこしずつバージョンアップを繰り返しながら、現在のカタチになってきたが、「換気」というのが稚拙だった。かつては初午祭の直会は、おでんと日本酒と缶ビールだけだったが、加工場で開催できるようになってから、文化祭的に社員が職人さん達をおもてなしすることになって、焼き鳥や焼きそばやフランクフルト、餃子、おにぎり等々、それぞれがアイデアをだして提供するようになった。

昔ながらの木造の加工場ゆえに、かつては、スキマ風があちらこちらから侵入してくる状態で、特に足元が寒く、私の話を聞きながら、ブルブルソワソワしながら話を聞くような状況だった。それで、作業時の近隣の騒音問題もあったので、防音工事も兼ねて、防音シートと断熱材とブラスターボード2重貼りの工事をしたことで、この日の寒波が押し寄せ、手がかじかむほどの寒い土曜日の夜にもかかわらず、ストーブ3台で、快適な温度になる加工場に変身し、「断熱気密」という工法の必要性を、社員と職人さん達とで共有できる場にもなった。

ところが、気密が充実してくると、焼き鳥や焼きそばなどを焼き出すと、煙がモンモンと立ちこめて、目が痛く、とっても煙ったい加工場で、かつての写真を見るとその状況がよくわかる。一応、天井の屋根に工業用の換気扇が一機だけあるが、それでは全く容量が足らなかった。なので、屋根に穴を空けて、もう一機換気扇を増設する方法も考えたが、とっても大変な作業だし費用もかかる。それで、MK電気のカヤくんに相談すると、Amazonで2万円台の中間取り付け型のダクトファンを見つけてくれて、実験的にそれを既存の換気扇の下部に取り付け、上昇気流を誘発して、一部をこのダクトで排煙し、残りを天井換気扇で排煙する計画をたて、開催日の前日に、その作業をすることになった。

結果的には、この仕組みが上手く機能し、開始直後は目が少し痛くなる時もあったが、煙が立ちこめる状況にはならなかった。ただ時間の関係で、吸気口を取り付けることができず、次回は吸気口を最適な場所と高さに取り付ければ、もっと機能するよねっ!と、直会の席でカヤくんと一緒に飲みながら、ものづくり談議を楽しんだ。

そうそう初午祭翌日の今日の日曜日の朝。深夜まで加工Barで呑んでいたらしい、二日酔いの長男夫婦とmagosと私たち夫婦で、一緒に平野に出来た、おおみね湯に行くことになった。自動機械式の熱風オートローリュータイムがあって、赤い照明が点灯し音楽がガンガンかかるモダンなサウナだった。あちらこちらにサウナが沢山出来て、とはいうものの、そんなに、あっちこっちのいろんなサウナに行きたいっ!というワタシでもなく「縁」次第の状況待ちだが、それなりに体験してみると「換気」というのがとっても気になってくる。最近は換気のシステムが良いサウナは快適なのだと感じるようになってきた。

そんなこんなで「断熱気密」には最適な「換気システム」が必要なのだ。と体感した「2025 初午祭」だった。

「キムラ」

花川の家(ほたる食堂)のオープンハウスがあった日曜日。建築家の矢部さん設計で、コロナ前に木村工務店で施工した花川の家は、コロナ禍故に、オープンハウスが出来なかったが、今日の2月2日日曜日、唐突感もありつつオープンハウス開催となった。雨降る日曜日の予定だったが、昼前から時折晴れ間も出る曇り空で、生野区小路から淀川区花川まで自転車で出掛けた。往復24km也。昨年から今年に掛けてロードバイクに乗る回数がめっきり減って、折りたたみ自転車のブロンプトンで出掛けたが、心拍数かなり高めだった。やっぱりコンスタントにペダルを廻す機会がないと、アカンよね。

そうそう、北海道のキムラさんという建材商社の木村社長さんが、木村工務店を表敬訪問してくださった火曜日。キムラと木村工務店と木村社長でややこしいが、14年ほど前に、そのキムラさんが、大阪営業所をだして、その時の所長の佐藤さんが、熱心に断熱気密の布教活動のようなものをやってくれた。当時、最も断熱気密の先進地域は北海道で。北海道の工務店の断熱気密の施工トライがあってこそ、いまの全国的な断熱気密の施工技術が発展しているわけで、一年に一回は社員と一緒に、冬の北海道に行って、断熱気密の施工技術を学んだものだ。そこで北海道キムラさんの幹部社員の方々も懇意にしてくださって、北海道すすきのの冬の夜の楽しさも学んだ。

で、キムラの社長さんから「白い恋人」とこの「SMASH」という本をお土産として頂戴した。案外今まで工務店に関するビジネス書を読んだことがないと気付いたし、なるほど、こういうふうに工務店経営を考えている人がいて…..と共感もしながら一気に読了した。

ものづくりセッションを一緒に運営している行政マンのタケダさんが、今年度、区役所の配置換えなどもあって、そんなことを話題にしながら、ものづくりセッションメンバー十数人と、桃谷のカサディエッロのピザを食べながら、あれやこれやと楽しく新年会を催した木曜日の夜。ちょっとした「生野愛」と「ものづくり愛」みたいなものを共有しながら一緒にワイワイいえる若いメンバーと飲食できるのは楽しい。こういうコミュニケーションの土壌のようなものが、何かしらそれぞれのエネルギー源になれば、なお楽し。

生野納税協会で懇意になった、同年代のメンバー夫婦3組で、生野区の居酒屋の淡路屋さんで新年会をした金曜日の夜。とっても美味しい和洋の食材をアテにして、あのフジテレビの中居くん問題とか、トランプ問題とか、それぞれが旦那として如何にアカンか問題とか、「アテ」になるような同年代に共通する夫婦間の話題があれやこれやとあって、話題が尽きず、最後は3組で、生野区のBarソケットに行って、グタグタ言いながら楽しい夜を過ごした1月31日の夜だった。

生野区行政の委託業務に携わるキムラーさんという方がいて、生野区の木村工務店のキムラさん、それはワタシのことなんですけど、その二人で「キムラーキムラ」の「ゾロ目ミーティング」というのを催して数年になる。今日は、日曜日なんですけど、2月2日で、そのゾロ目ミーティングの日になって、15時30分から「まちのえんがわ」で、生野区のまちづくりを話題にして、あーだこーだ。っといっても、1月1日は元旦なので流石にやらないし、5月5日もGWの旅行にでかけたりして、やらないし、なんだかんだやらない日もあるけど、1年に8回ほどは開催している感じ。

それで、日程を決めるって、案外ムツカシイなっとおもう。日曜日。なんていう日が、どなたか知らんけど、決めてくれて、それがグローバルスタンダードになっているので、助かるよね。建築関係では、大安。なんていう日に上棟をするのが、決め事だったが、なぜか不思議にプレカットの台頭とともにその習慣が薄れてきた。きっと上棟の夜に直会をするのが慣わしで、それぐらい家を建てるという行為は、祝宴であり祝祭であったのだとおもう。生野の日=19日だと、生野区のどなたかが決めて、それに乗っかって「空き家カフェ」の開催日は、毎月19日と決まった。そんな感じで、名前がキムラキムラのぞろ目的で、ゾロ目の日をミーティングにしたらっ!とキムラーさんが提案してくれた。確かに毎月第一金曜日なんていう決め方よりも、曜日がいろいろ変化し、それによって話す内容も影響を受けたりして、オモロイ。

ここ数回はヒライさんも参加してくれて、今日は2月2日日曜日だし、どっかで飲みながら話をしましょっ!ということになって、近くの角打ちの西口商店に行くと、偶然、休みだった。それで、ぼちぼち歩いて布施までいって、角打ちの小西商店にいったら満員で断られて…..なんて、15時代に空いている酒場は案外少ない。酒場難民になっているうちに午後4時になって、偶然隣の居酒屋が空いて、ようやくちょい飲み。アテは、行政の委託活動もタイヘンだなっ。ていう話だったようにおもう。そうそう、家族以外と初めて、恵方巻きを西南西を向いて、一緒に食べた2月2日の夜でした。

「太陽の塔」と「大阪女子マラソン」

豊中で上棟式があって、社員4人で車に乗って移動中に「太陽の塔」を見た。相変わらず独特の存在感があるよねぇ。製作者の岡本太郎の存在感が凄いなぁっとおもうし、これを許容した当時の万博関係者も凄いよね。さて今年の大阪関西万博はどんな雰囲気になるのだろうか…..とおもう。

近年、上棟式という神事とともに、直会(なおらい)をする機会がどんどん少なくなって、それは、コロナ禍による影響も大きいとおもうが、なによりも、家を造っている「人」の存在感が気薄になっているのが、最大の原因のようにおもう。木造建築では「刻み」といわれる、手加工をする機会はめっきり減って、プレカットという機械による加工がほとんどの時代になったが、それでも、上棟をするためには、なんだかんだ言っても「人」の力がないとできない。その上棟というか建前をする職人さんたちを「フレーマー」と呼んでいる工務店もあるようだが、安全無事に上棟できるのは、いまでも「職人さん」の力によるところが大きい。その職人さんたちを労って頂ける直会の機会は、ますます貴重で有り難い機会だとおもうし、私たち工務店関係者も、このことに最大限の感謝の気持ちを持つことが大切な時代だな。と感じた、上棟式の直会だった。

今日の日曜日に奥和田建築設計事務所さん設計で木村工務店で施工した、天王寺の家のオープンハウスがあって、昼過ぎに家から自転車で現地に向かうと「大阪女子マラソン」で道路が横断出来ない時間帯だった。全く忘れていた。それで「どうしたらエエのですか…..」と係員の人に聞くと「ここからコース沿いに戻ったあちらに歩道橋があって、それを渡ってください」という。「えっ!自転車を担ぎ上げて歩道橋を渡るのですか….」と聞くと「係員が担ぎ上げてくれますから」という。

キョトンとしながら、コース沿いの歩道を自転車を押し歩いて歩道橋に近づくと、確かに黄色い服を着たスタッフの方が二人ががりで自転車を担いで歩道橋の階段を上り下りしていた。そこまでするんやぁっ!とおもったが、なんと、自転車で歩道橋を担ぎ上げてもらうための行列が、何十台も続いていた。えっ、この4車線の道路を横断するのに一時間以上もかかるやん…..と心配していたら、丁度ランナーがいなくなって何十分もやってこない時間帯になったらしく「皆さん!いま!横断してください!」と閉鎖が解かれ、一斉に自転車が横断する、渋谷の交差点的オモロイ状況だった。

そのオープンハウスの帰りがけに、四天王寺さんの東門前にある奥和田建築設計事務所さんに立ち寄って、30分ほどあれやこれやとお話しして、それでもまだ大阪女子マラソンのために道路が横断できない状況だったので、そうそう大回りして寺田町経由で、うちで設計施工した「Milestone」さんの前を寄り道して帰ろうとしたら、偶然、1ヶ月に1度の日曜日のお店オープン日だった。チーズケーキの販売イベントもしながら多くのお客さんで賑わっていた。

美味しい濃厚なチーズケーキと珈琲を飲みながら、オーナーの冨士灯器の専務さんにお話しを聞くと、主力のヘッドライトの売れ行きもあるが、アパレル製品の売れ行きも好調だという。「大阪のトレランの聖地化」している雰囲気があって「ブランディング」というものの大切さを改めて感じたし、商売繁盛の活気ある姿をみると、こちらもエネルギーをもらえて嬉しかった。これって「大阪女子マラソン」のお陰さまですよね。

「お餅つきフェス」

「お餅つきワークショップ」を催した土曜日。

コロナ禍によって中断していたお餅つきを、昨年から細々と復活して、社員のポジティブな意向を含めて、今年もやろう!ということになった。ここ数年に建築で関わった、お子さんがある家庭を中心に少しだけ招待し、あとはホームページ上だけで宣伝することにしたのは、木村工務店の今のキャパでは、午後1時から午後5時までで、25臼のお餅をつくことが限界で、それでも1時間に5臼で、12分に一臼突くことになって、もちろん、うちの社員だけでは、十分にそのお餅をつき切る能力はあるのだけれど、やっぱり子供さん達にお餅をつく経験をしてもらいたいという気持ちがあって、時間が掛かっても、この日本の伝統的な、一緒に力を合わせてお餅をつくる「ものづくり」体験を共有したいという想いが強い。なので、「ワークショップ」というコトバを付加していた。

延べで200人以上の参加者があった今回のお餅つきなんだけど、何人かの知り合いから、これはもはや「フェス」やな!というコトバを頂戴した。確かに、昨年から「ワークショップ」というコトバに違和感を感じていたし、かつては、「木村家本舗」として、木村家をオープンホームするイベントがあって、「コトバノイエのカトウさん」や「建築家のヤベさん」や「植栽のイエタニさん」の協力を得て開いたイベントなんだけど、ちまたでは「キムフェス」とも呼ばれていた。その「木村家をオープンホームする」というスタイルから「木村工務店をオープンカンパニーする」というスタイルに変えて「まちのえんがわ」が誕生した。

「木村工務店のお餅つき」の特徴のひとつに、お餅をつきながら一緒に食べたり飲んだりしよう!というのがあって、それはうちの親父、2代目の木村正一が、とっても大切にした意向であった。それゆえに、木村正一の妻というのは、ワタシの母親なんだけど、そういう木村工務店的イベント時には「おでん」を作る、というか、うちの家では「関東炊き」と親しまれていて、それを大量に作るのが伝統行事であった。関西風の甘みの強いおでんなんだけど、それをうちの奥方が受け継いでくれて、「お餅つきとおでん」という組み合わせは、木村工務店的に大切な組み合わせであり、それらをエネルギー源として、一緒に飲み食いし、なによりも「一緒にコミュニケーションをしよう!」というのが、木村工務店2代目木村正一の楽しみで、最も大切にしていたコトであったようにおもう。

それゆえ、本音を言えば、子供達をとっても大切に考えながらも、その子供達を連れてきた、両親や祖父母や子供達がいない夫婦や個人も含めて、お餅つきというものづくりのエネルギーを共有しながら、オトナ達に、なによりも楽しんでもらいたい!という想いも強い。そういう意味では「フェス的(お祭り的)」雰囲気を享受して「皆さんに喜んで欲しい!」というのは、先代と先々代から共有されている大切な「コト」だとおもう。ということで、これからは「お餅つきワークショップ」を改め「お餅つきフェス」として、多くのオトナとも共有できればもおもう。

とはいうものの、木村工務店的キャパシティーの限界があり、広く遍く招待をすることは出来ないし、子供達を優先にしたい!のだけれど、ホームページ上を通じて、この「お餅つきフェス」に参加したいというオトナの方々がいらっしゃれば、一緒に楽しめればとおもう。参加人数と社員数と会場の大きさの加減で「おもてなし」はいき届かないとはおもいますが…..。

そうそう「お餅つき」に関して、ひとつ付け加えるなら「お餅をつくひと」というのがメインになりがちですが、おもいのほか「お餅をまるめるひと」の作業が、タイヘンで、古い言い方では、お餅付きには、男性的なお餅をつくエネルギーと女性的なお餅を丸めるエネルギーが融合する「ものづくり的」面白さがあって、そういう文化も楽しんで欲しい.なぁ….といいながらも、たまたま上の写真は男性がお餅を丸めて、実際は多くの女性の手助けによってお餅が丸められていたのだけれど、それぞれの適正にしたがって、お餅をつこうかつくまいか、お餅を丸めようか丸めまいか、それを眺めて飲もうか飲むまいか、それぞれなりに参加者として、お餅つきを楽しむフェス感が、最近の面白さだと思う。

参加し、一緒にお餅をつき、お餅を丸めて頂いた方々に感謝するとともに、フェス的雰囲気を楽しみながら飲食して頂いたオトナの方々にも感謝して、土曜日の「お餅つきフェス」のお礼としたいとおもう。

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