清見原神社境内の昔の様子

大正5年頃の境内1

大正5年頃の境内2

画像が不鮮明ですが、これは当社本殿を、向かって左側(小路小学校側)から撮影したものです。玉垣の位置等が現在とは大きく異なります。 これも画像が不鮮明ですが、これは当社本殿を、正面参道から撮影されたものです。手前の注連柱(石柱2柱)は、現在当社向かって右側の入口に設置されています。

被合祀神社の石標1
(旧腹見村字大瀬(大瀬村)の八劔(八釼)神社)

被合祀神社の石標2
(旧中川村の松尾神社)

この石標は、生野区小路東3丁目9−8東小路モータープール(現分譲宅地)の宮跡に設けていたものだが、建売住宅地となったため、同神社の遥拝所に氏子の方々のご協力により移設したもの。 この石標は、生野区中川東2丁目8−16の宮跡に設けられているもの。現在宮跡は、駐車場となっている。

被合祀神社の石標3
(旧片江村の素盞鳴尊神社・春高稲荷社)

被合祀神社の石標4
(旧腹見村の木守勝手神社)

No picture.

石標のうち、最大のものは大阪市小路耕地整理組合の竣功記念碑で、左手前が春高稲荷社跡、右奥が宮跡の石標である。現在宮跡地は弥栄モータープールと地車の納屋(片江)となっている。 宮跡は生野区小路東5丁目21−15の浄恩寺庫裡中庭内にある。「宮跡」の刻印がある。また、裏面には「明治四十二年七月三十日以敕令合祀於小路神社乃以其社地二

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