時間よ止まれ

とっても寒い日曜日。ついに冬がやってきたなぁ…。土曜日の昨晩は、木村工務店の忘年会があって、ここ何年も、がんこ平野郷の蔵を貸し切ってやるのが恒例で、同じ場所で、何年も同じように忘年会をやり続けて、毎年同じように、それぞれにお酒を注ぎ回り、それぞれの、一年の労を労い、お互いをリセットする所作を繰り返していると、その参加メンバーは、毎年毎年変化していて、それゆえに、こういう繰り返しの所作が、会社の「変化」というものを、実感させられる時間と空間でもあるわけで、今までの参加してくれたメンバーを想い出す瞬間もあって、その懐かしさと感謝とともに、新たなステージを目指そうとおもう忘年会でもあった。

忘年会のあとは、マイクロバスで、会社まで送迎してもらい、加工場のBARで、2次会的に、収束していくのが、ここ最近の恒例で、数年前は、スナックを貸し切って、ドンチャン騒ぎをした時もあったが、このスタイルになってからは、皆が、ゆるやかに三々五々家路につく、落ち着いた雰囲気になって、この方がしっくりくる感じ。そういえば、残った数人の社員や大工や手伝いさんと、会社真向かいのうちの家の座敷で、飲む事になって、それはそれで、楽しい時間だった。

11月3日の文化の日に、大工の息子さんとともに、うちの家を訪問して頂いた、そのお母さんの訃報があった週だった。社員と大工と手伝いさん全員で、車に分乗し、高松まで、お通夜に出掛けたが、そうそう、午後3時過ぎに出発する予定だった、その前に、ソフトバンクの携帯が不通になる障害があって、現場から戻ることが遅れた、現場監督のたっちゃんは、もう少し待って欲しいと、携帯を操作し続けたが、全く通じず、同乗予定の車は、待ちきれずに出発してしまい、5分遅れで到着し、仕方なく、軽トラックで、往復6時間、運転することになって、きっと、携帯が不通による、さまざまな、ドラマがあったのだろうなぁ。

次の日の葬儀にも出席する。50代の母の死と喪主を務める20代の大工の姿は、とっても悲しい葬儀だった。出棺後、葬儀会館の駐車場へ歩く、その向こうに、黒い喪服姿の人々と、紅葉の屋島の真っ平らな姿が、妙に印象的で、あの青空の祭日の日に、家族3人が、母を労い、仲良く歩く、後ろ姿が、フラッシュバックした。その日、うちの食卓のテーブルを前にして、左側に大工、真ん中にお母さん、右に看護師の娘さん。一緒に歓談し、一緒にケーキを食べ、一緒に記念写真を撮った。家の外で、お母さんと、お別れの挨拶をし、思わず握手をした。横にいた、奥方も手を握ると、女性どおしが、涙を流し、抱き合い、励まし合う姿にぐっときた。母の乗る車椅子を押す息子の大工と母の荷物を持つ娘さんの3人の後ろ姿が、とっても印象的だった。生と死。生きるという姿勢を考えさせられ、時間よ止まれ!と願う、瞬間だった。

時間というのは無慈悲なヤツだな。とおもう時があって、それでも、新たなステージを目指そうとさせるのも、時間というヤツのお陰で、ま、それはそれとして、大工さんから、シャチョウ、「向上心」が大事ですよ!と促された、忘年会だった。

鍋を囲む3夜

M1選手権があった日曜日。和牛かとおもったら霜降り明星だった。正解がないものを、審査するとか、評価するとか、点数付けるとか、ムツカシイものだなぁ…。どれもが、それなりに面白かったが、好みの問題なんだろう。関西大学の木造設計製図の授業をお手伝いして、10年近くなるが、生徒がプレゼンする作品に講評と点数を付ける日があって、正直、迷う。躊躇だってするし、これで良かったのかとおもう時もある。数学のような「正解」がないのだから、好みとか、目新しさとか、勢いとか、そんな要素も加味されるし、他の審査員の評価も微妙に影響し、あの人はきっと、このグループを評価しているから、ワタシはこちらに….みたいな気分に襲われる時もあって、評価とは少々残酷なゲームだな。

先日、うちの家で催した檜の宴で、Yさんが建築家ヨーン・ウッツォンの建築ネタをプレゼンしてくれて、そのなかに、同じデザインを繰り返して使う。というくだりがあって、ジャルジャルの漫才を見ながら、そのコトを想い出して、笑いやデザインに「繰り返し」を上手に使うのは大切だなぁ…なんておもいながら笑った。

本日は、住宅相談会があった日曜日でもあった。3組みの予定だったが、キャンセルが二組でて、一組だけの打ち合わせとなり、午前中のAさんは、女性お二人でリフォーム工事のご相談にお見えになり、1階が医院で、2階が住居の、その2階をどのようにリフォームするかをお悩みで、新築するには営業を休まなければならず、それは無理で、終の棲家とするためには、1階を住居としたいところだが、それも無理で、今の2階の住居のままでは、終の棲家としての、予算のかけ具合にも躊躇し、でも、今までの増改築の連続で、使いにくく、雨漏りや、夏の暑さにも耐えられず、インテリアデザインにもコダワリたいが、どんなのが良いか迷いも多く….と。うちの減築リフォーム工事をした家を見学してもらいながら、悩みをお聞きした。「仕事と老後と住まい」の関係性は確かにムツカシイ。

土曜日。協力会社の精親会のメンバーと恒例の忘年会を、布施の若葉で、鍋の宴で催す。忘年会の前に、会社の会議室で、1年間の活動報告と受注状況を1時間30分ほど、協力会社の皆さんに、報告するのが習わしで、今年は、台風被害の見積と工事状況や、人材不足に伴う現場監督と大工さんの募集状況など、今までと少々違う、「変化」をあらためて確認しあう会合だったが、人材不足や力量不足を問われる昨今、長年のお付き合いの精親会という「ものづくり」の職人集団のお陰で、なんとか維持できているのだと、意見とアドバイスが飛び交う鍋を囲みながら、あらためて確認と感謝をする夜だった。

そういえば、今週は、3回の鍋の宴があって、うちの家の冷暖房として、ピーエスという輻射冷暖房機を導入し、そのピーエスの営業の方と、導入のきっかけを作ってくれた北海道キムラの営業の方の4人とワタシで、輻射暖房機の効き具合を体感しながら、うちの食卓で、ふぐ鍋を囲んだ。それぞれが東京と北海道に本社を置く企業だが、共通の悩みは、人材確保と人材育成で、そんな話題が尽きず、5時間ほど、建築業界にまつわるあれやこれやの鍋の夜を過ごした。

もうひとつの鍋は、「まちのえんがわ」の本をコーディネイトしてくれている、施主でもある、コトバノイエのカトウさん夫妻と、東大阪寿町の海老蔵の具材を買ってきて鍋を囲む。人材不足や技術力不足の建築業界を、どのように粘り強く生き抜くかが印象に残る話題のひとつだったが、何よりも「おもろいこと」をやろう!というのが、遊びのテーマとしての共通の話題でもあった。2010年にカトウさんと始めた木村家本舗は、うちの家にカトウさんの本を持ち込んで本屋をやろう!というのが、他にない遊びとして「おもろいこと」だったが、さて、いまの時代、何が、「おもろいこと」なんだろう…っていうのが、その日の夜の鍋の具材のひとつだった。

そうそう、「笑い」と「おもろいこと」に一生懸命な姿に、癒やされた、日曜日のM1な夜だった。

勤労感謝の3連休

世間では、勤労感謝の日から、3連休だった今週。その今日の日曜日は、台風接近で中止となったタイル貼りトレーを製作するワークショップが開催されて、先週のランドセルワゴン製作のワークショップに引き続いて2週連続のワークショップとなり、しかも、通常は13時30分開催だが、貼ったタイルが乾くまでに時間が掛かるために、午前10時開催の、朝から、ちょっとバタバタする日曜日の朝だった。

今年は、「まちのえんがわ」すぐ近くのマンションに住むデザイナーのサッチーが、スリムなトレイに、デザインをし直してくれたお陰で、随分とスタイリッシュなトレイになり、あらためて、デザインの重要性を実感するのだけれど、それにしても、そんなデザイン的な魅力もあったのだろうが、お子さんを、おんぶしてまで、参加する女性の姿を見ていると、凄いなぁ…。素敵だなぁ…。とおもうわけで、「ものづくり」には、ある種の「瞑想的」な魅力が、潜んでいるからだと、眺めた。

ワークショップ開催中の午前中に、昨年の丁度今頃、木村工務店を退社した、トクちゃんが、彼女を連れだって、結婚の挨拶に来てくれた。新婦となる女性は、うちで、新築工事をさせて頂いた、お施主さんの娘さんで、ご縁というのは、不思議なものだなぁと、つくづく想う。「まちのえんがわ」のワークショップとして開催している、「お餅つき」が、二人の距離感を縮めるきっかけになったようで。なによりも、おめでとう! 在籍中は、木村家のリフォーム工事を手伝ってくれたこともあり、そのお礼も兼ねて、木村家のテーブルで、祝福のコトバを伝えた。この檜の天井を貼っている頃に辞めたんですわ….というトクちゃんのコトバが、吉野檜の天井板に吸い込まれていく感じがした。

勤労感謝の日と日曜日に挟まれた土曜日は、木村工務店では、通常どおりの仕事の日だった。職人不足が続く昨今、職人さんたちは、日祝以外は、一生懸命働く必要性に迫られる状況で、それを会社もサポートするのが大切なコトなのだろうし、それに、土曜日は、施主との、設計案件の打ち合わせや、現場打ち合わせが集中するのが昨今で、土日の連休をスムーズに取得できないのが、工務店の今の現状でもあるのだろう。

土曜日の夕方から、木村家で、「吉野檜の宴」があった。吉野檜の坂本林業のサカモトさんとの出合いによって、木村家のリフォーム工事で、吉野檜を貼るコトになって、床には、150mm幅の檜の板目を貼り、天井には、柾目の檜板を納材してくれて、その縁が、繋がって、サカモトさんが、いろいろな設計者や工務店の方々を連れだって、木村家の天井の檜の柾目板を案内してくれているのだけれど、サカモトさんもワタシも、吉野檜の艶やかで上品な良さを、フツウのLDKに活かしたいという共通の想いで取り組んだ内装で、それが、ひいては、吉野の檜の森の活性化に繋がればという想いでもあった。

その「吉野檜の縁」で、タケナカコウムテン関係の若い設計の方々と繋がりが出来て、先月は、お昼にカレーを一緒に食べたのだけれど、一ヶ月後のこの土曜日の夜は、「吉野檜な宴」を鍋で催すことになり、10人ほどで、夜遅くまで、歓談した。ヤマザキさんが、IPADでプレゼンしてくれた、オーストラリアのオペラハウスを設計した建築家ヨーン・ウッツォンの建築ネタを、食卓のテーブルのテレビに投影しながら、建築オタクな若い人達と、あれやこれやと談義するのが楽しい宴だった。それにしても、こういうプレゼンを、遊びとして、コミュニケーションのきっかけとして、楽しめるところに、建築オタクな若い人達の面白さがあるのだとおもう。

勤労感謝の祝日。毎年恒例となっている、関西大学の建築学科の学生を連れ立って、石井修さんの遺作となった、目神山22の見学会を催した。お施主さんが、別荘のように使われていることもあり、学生さんたちの勉強のためにという特別なご厚意で、見学させて頂けるのは、ほんとうに有り難いことで、アプローチの外部階段のデザインとか、石井修さん流の木組みとか、毎年毎年見て、ようやく少しずつ理解が深まる感じがする。

社員のハヤカワくんは、この目神山22の見学会に参加した関大の生徒でもあったが、今年からうちの社員となり、見学会の助っ人として参加してくれて、見学会終了後は、元町のジャズ喫茶jamjamに行くのです!と言う。20代30代の頃は、予定がない日祝に、ミナミや天王寺のジャズ喫茶によく行ったものだが、なんとなく、その感覚が蘇って、オレも一緒に行くわ!と会話しながら、目神山の急な坂を下って、甲陽園から三宮に向かった。

三宮の高架下を歩いて、元町駅からすぐの脇道の地下にあるジャズ喫茶jamjamに入ると、想像以上に大きなスペースで、しっかりした音量と音質で、ジャズがかかっていて、ちょっと嬉しくなった。ここから先の席は、会話出来ませんが、よろしいでしょうか。という女性店員のコトバに、頷きながら、左スピーカ前の横向きの席に二人並んで座って、珈琲を注文したが、左に、より過ぎて、音が聴きづらかったので、真っ正面の最前列の席に二人で横並びに座り直した。

東京のジャズ喫茶の新宿のDIGや木馬を案内してもらった何回かは、その方と二人で並んで、黙って音楽を聴き、その後に、歩いたり電車の中や家で、あれやこれやとジャズ談義を楽しんだものだが、SNSの時代になり、ハヤカワくんとは、LINEで繋がっているという、唐突な思い付きがあって、音楽を聴いて、時折、今掛かっているジャズを、建築や建築家に例えてみる、お遊びのメッセージをLINEで送りながら、二人で音楽を楽しんだ。そんな勤労感謝の元町での夕刻だった。

モノ語り。

久しぶりに「まちのえんがわ」で、ワークショップがあった、心地良い秋の日曜日。台風の影響により、10月のタイルワークショップは中止となり、来週の11月25日に延期で開催する予定なのだが、今日は、ランドセルを製作販売する「ランドセル工房 生田」さんとのコラボ企画で、昨年に引き続き2回目の開催となる、ランドセルスツールを製作するワークショップがあって、生田さんで、ランドセルを注文した親子だけが、参加出来る、スペシャルなワークショップだった。

午前中に生田さんの工房で、革の取っ手とポーチを製作し、昼から木村工務店の加工場で、ランドセルを掛けるスツールを製作するのだけれど、親子で一緒に製作する姿を見ていると、確かに、親子の共有体験が出来る、記念日的な時間のひとつに、小学校に入学する前の、この一生に一度の、ランドセルを購入する時期があるわけで、親子で、ランドセルを掛けるためのスツールを造る体験は、子供達にどんな記憶として残るのだろうか….。これからの将来の夢と希望を持つ子供さんのために、プレゼントするランドセルと、それを掛けるスツールを、一生懸命製作するお父さんやお母さんの姿が、独特の空気感に包まれるワークショップへと昇華させているのだとおもう。

「モノ造り」に対して、「モノ語り」があって、「ブランド」となるそうで、手作りの革のランドセルに、ある、ひとつの、モノ語りが付与される、そんなお手伝いが出来ることが、とっても嬉しいワークショップだった。

そうそう、ここ1ヶ月ほど、土曜日の夜に、遅くまで飲む機会が続いて、日曜日の朝に、自転車に乗る気力を全く失っていて、それに、なんとなく、夜の食事で、食べ過ぎたりしていると、数日前に、体重計に、2ヶ月ぶりに乗ってみると、あっっと2㎏も体重が増えていて、「見守る」っていう行為が、日々必要だなぁ…と、切迫感を伴って感じるわけで、昨日の夜遅く、テレビの、お笑い向上委員会や、テニスや、ラグビーを見入ってしまう土曜日の夜だったが、早朝、突き上げるような気持ちで、起き上がって、自転車に乗った。葡萄坂からのどか村、朝護孫子寺にお参りし、竜田古道里山公園手前のお気に入りの葡萄畑のビューポイントで休憩する。朝の霞立つこの時期の大和盆地は美しい。冬に移り変わろうとする手前の、気持ちの良い秋の朝だった。

あいまいな紅葉のまま、先週から、庭に、落ち葉が大量に落ち始めている木村家の庭だが、家の引き戸を開け広げで、気持ち良く過ごせる、紅葉前の11月初めに、写真家の多田ユウコさんに、リフォームした家を撮影してもらった。その写真が今週出来てきて、カメラマンの目線で撮影された家を、あらためて眺めてみると、もはや、建築的に修正することが出来ないのが、どうしようもないコトで、ここなぁ…なんていう気持ちも湧いてくるが、せめて、インテリア的なモノは、まだ、なんとかできて、こうしといた方が良かったか…なんて、ちょっと後悔したりして。

そうそう、ロードバイクの置き場所に意外と悩むわけで、玄関に置こうとすると、奥方の猛烈な反対にあい、そこで、ダイニングの南側に、縁側のように残されていた、外部空間があったので、雨が掛からないようにして、目立たないようで、ちょっと気にかかるような置き方にし、奥方の合意を得たが、当たり前のコトながら、モノが、その家の空気感のようなものをつくる一部でもあるわけで、モノ語りになれるようなモノと、モノの置き方。モノへの光の差し込み具合。そんなのを、な~んとなく考えてみた、秋の日曜日だった。

テラスハウス的ものづくりセッション

「ものづくりセッション」があった土曜日。おもに生野区で工場を持ち、ものづくりをする若い世代が、2ヶ月に一度、午後4時頃から、木村工務店の加工場に集まって、その参会者の4人ほどで、自分たちの会社の技術や商品やプロセスをプレゼンし、それを見聞きして、そのテーマに対して、その場の参加者それぞれが、アーダコーダと、共感や違和感や提案をコメントしながら、2時間ほどの時間を共有するワークショップで、その後の懇親会によって、お互いの距離感を縮めつつ、コミュニケーションを保つことで、持続可能なものづくり企業としての存続を、それぞれが模索しているのが、このセッションとしての面白さなのだろう。

Netflixの「テラスハウス」を視聴すると、 毎回、「番組が用意したのは素敵な家と素敵な車だけです。台本は一切ございません」というナレーションが流れて、シェアハウスに住む男女6人のドラマが起こるのだけれど、そのシーンに対して、YOUや徳井や山里など男女6人の芸能人がコメントを入れるシーンがあって、そんなのが、視聴者の共感や違和感や反感を助長させて、もちろん出演者にもエエ緊張感を与えているのだろうし、あんなファシリテーターが、いなければ、継続する番組として、視聴者を獲得できないのだろうな…..とおもうわけで。

「ものづくりセッション」も、なんとなく、「テラスハウス」と似通ったところがあって、ものづくりの雰囲気がある、できるだけ素敵な集まる場所と、設えが必要なのだろうし、素敵な車が、気分を盛り上げながら、人が、空間を移動する手段として、必要なのだとしたら、それぞれの企業の、ものづくりの情報が、その、ものづくりの工場から、いまここにいる参加者に届けられるためには、情報が空間を移動する手段として、プロジェクター上で、分かりやすくパワポや動画や写真でプレゼンしたり、整理整頓されたデータベースや、インターネットが、ものづくり情報の空間移動手段として、必要とされるのだろう。

そんな、素敵な家と車に替わるのような、共有できる空間と情報が用意されたうえで、台本のない、ものづくりの、セッションによって、人と人が出合い、技術と技術が出合い、技術とデザインが出合い、新たな、ものを、生み出す可能性を、参加者のそれぞれが、模索していて。それにしても、ナレーションというのか、コメンテーターというのか、ファシリテーターというのか、そういう立ち位置の役割が、そんな出合いの、触媒となって、その反応を引き起こしたり、促進したり、それに、プレゼンテーターや、視聴者に、エエ緊張感とリラックスを与たりする役目としても、その必要性を感じる昨今で。

テラスハウス的に、複数人で、多様な意見を述べるのが、面白そうで、そういう意味では、参加者のそれぞれが、必要に応じて、そういうファシリテーターの役割を認識し、自らが手を挙げて、その役目を演じることを求められているのが、セッションたる由縁なのかもしれない…..。それに、そのまま、その場所で、懇親会に移行できるのも、案外重要なことかもしれず、セッション後の空気感のまま、飲んだり食べたりすることで、その時、言えなかったコトや、言い過ぎたコトが、消化されていくようなイメージ。

そんなこんなで、今回は、このセッションを通じて、できた、タツミ化成工業の固城さんとシューズミニッシュの高本さんとの製品紹介の話題で盛り上がり、江原製作所の江原さんが、プレゼン用として、レーザーカットした、キャンプ用のネームプレートが共感を呼び、glass tailor 吉田さんが持ち込んだ、見た事も無いオモロイ眼鏡の話題が、これからのプレゼンのための、たたき台になったりし、20歳のデザイナー masisi designの赤松くんが、へら絞りの吉持さんに依頼して造った製品のプレゼンが、その製品に対する、さまざまなコメントやファッシリテートによって、参加者のそれぞれに、これからの、ものづくりのメンタリティーとして、起爆剤のようになりながら、その時のそれぞれの印象が、懇親会で、食物のように、消化されていくさまが、妙に印象的な土曜日の夜だった。

客人

秋らしい、とっても良い天気の連休。木村家へ、遠方より、二組の客人があった休日で、木村工務店のヒラボシ大工のお母さんと娘さんが、息子の造った家を見たいと、四国から大阪に遊びに来られて、芦屋で、堀賢太さん設計による住宅の新築工事のお引き渡しが、2週間ほど前にあったばかりで、その建物の大工担当がヒラボシくんだったので、自らがお母さんを車で案内したという。丁度、施主の奥さんも在宅だったらしく、家の中を案内頂いたそうで、お母さんは、そのコトに、とっても喜んでおられて、この場をお借りして、お施主さんにお礼を申し上げたい。

その後、うちのリフォームをした家に立ち寄って頂いた。減築リフォーム工事をするにあたって、2階を撤去する作業は、想定以上に、タイヘンな作業で、その作業を真面目にコツコツと、他の大工さんたちと一緒に取り組んでくれたのが、ヒラボシ大工で、特に、庇を1500mm持ち出して浮かすために、片持ちの補強梁を取り付ける墨付けとその作業や、庇の軒桁が8190mm柱なしで浮いていて、その軒桁を追っ掛け大栓という継ぎ手で繋ぐ作業を、ベッショ棟梁から任されていた。その時の写真が残っていたので、ダイニングテーブルのテレビ画面に表示して、アレヤコレヤと歓談した。

四国から高校卒業後、大阪の専門学校の大工技能学科で大工の実技を学んで、2級建築士を取得してから、木村工務店をインターネットで調べて入社した、社員となった大工で、ご両親にとっては、息子さんが、大工さんとしてどんなふうに働いて成長してるのか、特に、社員といっても、大工という職人気質な世界で、どんなシゴトをしているのか、想像できにくいゆえに、見てみたいというのは、当たり前の事なのだろう。

大工という職人さんが減少していく昨今。棟梁が弟子を取るという仕組みが、成立しにくくなっていて、それは、棟梁の賃金が、弟子を取りながら、自分の生活が営めるという、賃金体系でなくなってきたコトが、大きな原因なのだろうが、社員として若い大工さんを雇用し、ひとりの大工の棟梁に預けて、技術と職人としての心構えを教えてもらうと共に、会社の社員として、お客さんへの対応や、社会人としての心構えなど、会社組織のなかから学ぶ必要があるのだろうし、さまざまな心のケアーを含めて、会社の社員が、大工さんのための「ファシリテーター」となる必要性に迫られる昨今で、ちなみにweblioによると…..。

ファシリテーションとは、参加者の主体性を促し、多様な人材から、それぞれの経験や専門分野を尊重しながら、各人の多様な意見やアイデア、動機などを最大限に引き出し、話し合いにおける相互作用のプロセスをより有効・有益にするための、働きかけを意味する。その結果、問題の解決、新たな創造、気づきや学び、相互理解や情報共有などを促進する。

ファシリテーションは、「目的達成」、「時間」、「人の力活用」という、トレードオフにある3要素を最適化しながら、議論や学習、交流などの進行を促す「機能」である。
このような機能を果たす人のことを、ファシリテーターと呼ぶ。ファシリテーター以外にも、その機能を部分的にメンバーで分担したり、(例:議論の可視化を別のメンバーが行う。)、設備・ツール類などで機能を補完したりすることもある。

ここ数年、しまなみ海道で、自転車に乗るために、「LINK輪空」という宿に、毎年宿泊をしていて、そこでオトモダチになった、東京と鳥取からの友人4人が、大阪の、それもど下町の、生野区小路の我が家まで、泊まりがけで遊びにやって来て、偶然にも4人が、外科医や歯科医や大手製薬メーカー役員や医療事務など、医療関係者だったのが、オモシロイシチュエーションで、うちの家を案内したあと、チリトリ鍋の「げんや」とバー「ソケット」で、JAZZ談義や四方山話で盛りあがる連休の夜だった。

そうそう、うちの大阪のおばちゃん代表としての奥方が、東京の癌手術の外科医に、ゴーヤで、膵臓の癌が消滅した、友人の例を紹介し、その話題が、漫才のボケとツッコミのごとく、感覚的感情的人生の大阪おばちゃんと、科学的職人気質的人生な外科医との、オモシロ可笑しい議論として展開し、うちの家の食卓のテーブルで、そんなアーダコーダが、深夜3時頃まで繰り広げられて、あー、とっても印象深い夜だった…..。

58歳と59歳の男女5人で、大阪の下町を歩く。全員が、還暦以降の生活に向けて、どことなく、憂いのようなものが、漂っているところに、こんなメンツでのまち歩きの面白さがあるとおもうのだけれど。地下鉄小路から鶴橋で降りて、あの迷路のような商店街を彷徨う。うちの奥方は、富田林の新興住宅地出身で、西宮芦屋の阪急沿線での結婚生活に憧れていたらしいが、30年以上もここに住んでいると、私以上に、鶴橋を知り尽くしていて、この道右、ここ左と、ロコな案内人となっていた。

鶴橋から環状線で天王寺で降り、リニューアルされて屋根形状が面白くなった天王寺の歩道橋から、ハルカスと通天閣を眺め、天芝の向こうに見える大阪城のようなラブホテルをさして、これが大阪城ですわ!という、ベタネタは必須で、建築関係者として、街づくり的に、あのコテコテベタベタな光景を受け入れるかどうかは微妙な問題だろうが、これこそが大阪的ですわ!と多様性として受けとめることはなんとかできそうで、ハルカスや通天閣やラブホテルを眺める天芝の、オープンスペースとしての良さを、多くの人達が享受している、そのエエ感じの姿を眺めつつ、通天閣まで歩いた。

じゃんじゃん横町をおっちゃんおばちゃん5人で歩きながら、串カツ食べたいし、立ち飲み屋に入りたいし、レトロな喫茶店でミックスジュース飲みたいし、将棋も打ってみたいし、コルク玉の鉄砲で的撃ってみたいし、スマートボールもやってみたいし、そんな気分にさせられるのが、通天閣界隈の面白さなのだろうが、それにしても、コテコテベタベタのあの「看板たち」こそが、大阪らしい魅力かと眺めながら歩いたが、この地をチョイスする「決断」をくだした星野リゾートは凄いな。

朝食が遅く、天芝のお店は、どこも予約待ち、串カツ屋は長蛇の列、40年ぶりぐらいの通天閣登頂を目指すも40分待ち、ここは歩いて、お腹をすかせてみようと、通天閣からそのまま歩き続けた。あの人通りでいっぱいだった、でんでんタウン日本橋は、ガラガラで、様変わりを寂しくおもい、ナンバ側のストリートだけは、電気屋さんより食べ物屋さんが増えて、若いおたくで、いっぱいなのに、ちょっとした疎外感で通過し、きっと9割がアジアの観光客で、店先で食べられる市場として急速に変貌する黑門市場の微妙な活気を、肩を触れ合いながら、感嘆とともに通過し、結局は、天王寺から地下鉄日本橋まで、そこそこの距離を歩いたことになって、ミドルエージ全員が足の疲れをはっきりと感じつつ、地下鉄で新深江まで戻って、「桃太郎」で、モダンいも豚玉のお好み焼きを食べて、大阪らしい味で疲れを癒やすことで、ようやく小路のうちの家まで辿り着いた。

客人と、大阪の「まち」を、会話を挟みながら、ウォーキングのように、そこそこの距離を歩いて、見て、食べて、飲むのも、エエもんだなぁ…..。

この日の思い出を見る

フェースブックに、「この日の思い出を見る」というメッセージが出る時があって、数日前に、6年前の思い出を振り返るメッセージがあり、それが、2012年の10月13日土曜日に開催した、「木村家本舗」という、うちの家をオープンホームするイベントでの動画だった。ひとつめは、夜の宴の様子→
もうひとつは、昼間の「道路」というバンド演奏によるガーデンカフェの様子→
その日のコトを、こんなブログとして書いていた。

今週の金曜日の夜のコト。デザイナーの美船さんが、味園ビルの1階で、プロダクト展を開催していて、うまく時間が取れたので、夜に、食事を済ませて、地下鉄で出向く。小路駅から日本橋で降りて、堺筋を歩いて南に向かうと、すれ違う人全員が、インバウンドの観光客ではないのかとおもえるほど、アジア人の行き交う人が多いのに、少々驚くが、ま、なんとなく、こういう光景にも、少々見慣れてきた感じ。

黒門市場のゲートを左手に見ながら、右に曲がって、ひとつ目の通りの右側の角に、ユニバースの看板があって、そこに、「まちのえんがわ」でワークショップをしてくれている造園家のイエタニさんによる、オブジェのような木の鉢でできた植木がデーンとあり、そこが味園ビルなんだけれど、その少し手前の雑居ビルに、地下に降りる階段があって、そこに古くからのJAZZのライブハウスがあり、学生から社会人になった頃は、足繁く通っていた。きっと、その当時は、一気に、社会人モードになって、学生の頃に持っていた、ハートのようなものが、失われていくコトに、抵抗していたのだろう…..。

そうそう、当時、そこに、チーボーと呼ばれている女性がいて、時々偶然出会すのだけれど、歌うこともなく、ピアノを弾くこともなく、音楽に悩んでいるらしく、そこの常連の人や、ママや、ミュージシャンたちと、一緒にワイワイいって楽しく過ごす夜だったが、ある日、アヤドチエとして、超有名人になって、テレビに出て、ピアノを弾き、歌っている姿を見るようになって、驚くとともに、紅白歌合戦に出ている姿を見ると、ちょっと嬉しくもあった。

そういえば、そこの何人かで、ライブ・アンダー・ザ・スカイに出るマイルスを見に行こうということになり、昼間で、芝生でゴロンと出来る場所があるので、まだ長男が2歳ぐらいで、ハイハイから歩き出した時期だったが、奥方も伴って、一緒にコンサートを見にいった。赤いトランペットを持ったマイルスが、客席まで降りて来て、ブローしている姿が、とっても印象的なコンサートだった。

その、地下に降りる階段を、右手下に眺めながら、そんな思い出を走馬燈のように想い出しつつ、味園ビルに入ると、美船さんのプロダクト展は、素晴らしく、もはやアートとも呼べるプロダクトで、何気ない金物に、職人気質なコダワリを強く感じたんだけれど、そこで、顔見知りの沢山の人達と会って、アーダコーダと話している中に、なんか見た事あるような、初めてのような、もちろん私よりずっと若い男性がいて、ちょっと気になったので、横にいた、イエタニさんに、紹介して欲しいというと頼むと、その男性が、キムラさんでしょ!何年か前に、お会いしていて、実は、木村家本舗のイベントで、「道路」というバンドとして出演し、ベースを弾いてたのです!という。地下鉄に乗りながら、フェースブックの「その日の思い出を見る」のメッセージにより、「道路」の演奏の、その動画を再生していた直後だったので、えー!っと驚いた。

それにしても、これは、フェースブックが仕組んだ、必然なのか、偶然なのか、カコを振り返るという仕組みは、どんなアルゴリズムというか、AIと呼ぶのか分からないが、どんな「プログラム」として出来ているのだろうか。同じ時期の、6年前という時間と、いま、とは、なんらかの因果関係があるという、ビッグデータのようなものが、あるのだろうか…..。

この日の思い出が、ノスタルジーとなり、センチメンタルになる時もあれば、フレッシュなエネルギーに還元される時もあって、新たな活力の兆しを見出したような夜だった。

3「音」

瓦コースターワークショップがある日曜日だったが、地震被害と台風被害が相次いで、瓦屋さんの現状は、タイヘンらしく、うちの瓦屋さんも、現場の施工以前に、見積を出すコトが儘ならぬ状況で、それで、見積を出してもらうために、番頭さんをうちの会社に来てもらって、現場監督や設計担当者が撮影した写真と寸法を見せて、2時間ほど、缶詰状態で、見積をしてもらうという作業が、精一杯な状況で、そんなこんなで、瓦に関係するこのワークショップは、早々に中止となってしまった、そんな日曜日だった。

ワークショップが中止になったので、コトバノイエのカトウさんから、「The night of voice 02 at 箕面の森 」というポエトリーリーディングのこんなお誘いがあった…..

□ 催しのお知らせ

秋の夜に、言葉を聴く。
人の声の響きに、耳をすますひととき。

詩だけでなく、小説の一節や歌詞などを、ぼくの知っている素敵な人たちに詠んでいただこうということではじめたこのポエトリーリーディングなんですが、今年は縁あって箕面の滝道にある音羽山荘で行うことになりました。

音羽山荘は、大正15年に建てられた木造の邸宅と美しい石組みの庭園に4つの客室を配した和のオーベルジュともいえるちいさな旅荘、10月は箕面のシンボルともいえる紅葉がちょうど色づきはじめる一年でもっとも美しい季節です。

風のざわめき、虫の声、そして蝋燭の灯り。

古色豊かな庭園の夕暮れから夜にかけてのしっとりとした雰囲気の中で、きっとふだんあまり耳にすることがない「人の声の響き」を、五感で感じていただけるのではないかと思っています。

また、この音羽山荘では「美・感・結・味」をテーマにBOOKS+コトバノイエで選書させていただいた本棚「森のライブラリー」がこの秋に完成し、一般の方には開放することのないそのカフェ/ラウンジスペースも、このイベントのためにオープンしていただきますので、本の世界も合わせてお愉しみください。

コーヒーは、豊能町のカフェEmma Coffeeがスペシャルティコーヒーを、
フードは、音羽山荘の母体でもある音羽鮨から板前さんをお呼びして、お寿司を握っていただきます。
そしてもちろん、ビールやワインも。

それほど広くはない場所なので40名限定という募集なんですが、みなさまのご参加をお待ちしています。

どうぞよろしく
BOOKS+コトバノイエ 店主敬白

詠む人
中川和彦 / スタンダード・ブックストア
橋本健二 / 建築家
高橋マキ / 文筆家
室千草 / 映像作家
蓮池亜紀 / 設計事務所はすいけ
石崎嵩人 / バックパッカーズジャパン
鈴木晴香 / 歌人
川瀬慈 / 映像人類学者

「音」が好きだったりし、音楽でも、歌詞の内容が邪魔だなぁ…..とおもう時があって、コトバとして理解出来ない英語の音楽に魅力を感じてた頃は、歌詞に惑わされない音楽に魅力を感じていて、徐々にJAZZが魅力的になっていった時期は、そんな嗜好の影響が大きかった頃なのだろうが、ま、それはさておき、言霊としての詩の魅力というのに心動かされて、胸に独特の波動を感じたり、涙目になる時も、もちろんあるわけで、ただ、今回のポエトリーリーディングでは、個人的な嗜好も反映して、音楽のコンサートのように接して、音としてのVoiceを聴いた。

そんなわけで、朗読した詩の内容がどんなのだったか、よく想い出せないが、それぞれの音としてのVoiceの記憶はそれなりに残っていて、箕面の秋の夜に、静かに鳴き続ける虫の声、川が流れ続ける水音、時折通る車の音、和蝋燭独特の「ゆらぎ」の音?、十三夜の月の音?、それらのバックグラウンドミュージックとともに、それぞれの歩んできた人生に応じた、Voiceとしての「音」を聴けたのが、じんわりと楽しい秋の夜長だった。あっ、それとともに、静けさも聴いた気分。

ジャズのビルエバンスのアルバム、ワルツフォーデビーが、あのNYのビレッジバンガードで、お客さんのざわめき、グラスの音、それらが背後に流れ、そんななかで、ピアノとベースとドラムのトリオが、表面的には静かな音楽として奏でながら、3人それぞれが、絡み合いつつ、内面的に熱いセッションを繰り広げていて、そんな「音」が魅力的だったりし、朗読を聴きながら、そんなコトを、一瞬、思い浮かべた。

午前中は、孫が通う体操学園の運動会があり、2歳児でも、走ったり、飛んだり、前転したり、踊ったり、リレーしたりする姿に、微笑みとともに、心洗われる感じがし、子供達のVoiceと見学する親たちの歓声の「音」に、心地良さを感じ、親の立ち位置の時は、渋々気味に参加していた運動会が、「ジー」の立ち位置になると、全く違った価値観の運動会になって、親の時に、こういう気持ちに、なぜなれなかったのかぁっ!とちょっとだけ反省してみた。

その流れで、自転車に乗ったまま、生野祭りを見に行く。毎年、生野祭りの舞台を造る仕事をしていて、そのわりには、当日の祭りを見たのは、2度ほどしかなく、久しぶりに会場に行くと、屋台やフリーマーケットと共に、生野区の地車が大集合し、地車囃子が、ポリリズムのようになって奏でる「音」の迫力で、心が躍るとともに、大人数で大阪締めをする「音」が、不思議と心地良く、もう少し何かのエッセンスが加わわれば、もっと多様な人達が楽しめるお祭りになるような気がして、それが、いったい、なんだろうか…..と考えてみた。

3カ所で、それぞれの、心地良い「音」を聴いた日曜日だった。

イエで。

10月のとっても気候の良い日曜日。建築家文ちゃんが、遊びに来ているよ!と「まちのえんがわ」のアオキさんから電話があって、縁側に赴くと、「シャチョウ自転車に乗っているかとおもってましたけど、イエに居てたんですね」といわれて、あれやこれや、それらしく、イエに居る事になった、言い訳のようなコトを語ってみたけれど、こんなエエ気候の日曜日、窓を開け放って、イエでダラダラ過ごしたい!というのが、本音なのだった。

体育の日の月曜日は、同級生のニシノくんと、柏原リビエールホールで待ち合わせをし、石川沿いから金剛山ロープウェーまでライドし、マス釣り場の手前にあるウッディーハートのパスタランチを食べて帰宅したこともあって、運動量とともに、それなりの満足感に満たされていたが、木曜日の夜、NHK BSプレミアムの「英雄達の選択」が「日本を生んだ戦い新視点 壬申の乱」で、それを見ていると、明日香に行きたいなぁ…..とおもえてきた。

日本の歴史の中でも、大化の改新や壬申の乱や藤原不比等の時代に興味がそそられるところがあって、それが、中大兄皇子が天智天皇で、大友皇子が弘文天皇で、大海人皇子が天武天皇で、その后が鵜野皇女の持統天皇で。中臣鎌足が藤原鎌足になりその子、藤原不比等が比ぶ者なき人物らしく、その娘宮子が、軽王子から文武天皇となった人と結婚し…..。それに難波の宮、飛鳥板蓋宮、近江大津京、吉野宮、飛鳥浄御原宮、藤原京、平城京とそれぞれが都を造り、伊勢神宮も出来て、もう面倒くさくなる構図で、昔からよく理解出来ず、そのまえに、物部守屋や蘇我馬子や聖徳太子や乙巳の変があり、そこに、唐、百済、高句麗、新羅の戦いと白村江が絡んできて、倭国から日本国として誕生する歴史なのだが、いつも頭の中が混乱している状況で、それゆえにそんなのが面白いのだろう。

ちなみに、うちで施工に携わっている、小路にある清見原神社は、天武天皇が、飛鳥浄御原宮から難波の宮に行幸する際に、清見原神社の場所に立ち寄って休憩し、吉野はどのあたりになるのだろうかと眺めたらしく、近くには、吉野見通りという地名も残っていて、天武天皇が崩御したあと天武天皇宮と称していたらしいが、そんな縁も、興味の素となっているのかもしれない。

前回のブログに書いた磯崎新の「資源のもどき」の「イセー始原のもどき」では…..『イセは強力なデザインする意志によって、あらたに創出された虚構というべきであった。決して自然な生成にまかして生まれたといった進化論的な視点で説明出来るものではない。背後に日本独自のものを組み立てねばならぬという政治的要請があったためである。』と建築的な視点を交えてのオモシロイ考察があり、『何年も繰り返される式年遷宮とは、すなはち始原のたび重なる反復である。』などなど、日本を形作るあの時代の歴史を垣間見るにあたり、歴史全体に煙幕のようなものが立ちこめていて、それゆえに興味がそそられるのだろう。

何回か明日香まで自転車で行っているが、できれば、今度は、下ツ道を通って、明日香、藤原京、平城京まで辿ってみたい、グーグルマップで眺めているだけの稗田と番条の環濠集落も自転車で抜けてみたい。そんな気分が週末にかけて沸々ともたげてきた。そうそう、自転車に乗ってみて最も気付くことは、難波の宮があった大阪から、明日香や平城京に行くのには、そこそこの峠を越えなければならず、それがとってもタイヘンで、大陸から難波津に着いて侵攻するコトを考慮すると、明日香に都を築く気持ちも、遠く大津の宮まで移転したいという気持ちもなんとなくわかる。

土曜日のお昼。吉野の坂本林業のサカモトさんのコーディネートで、タケナカコウムテンの若い設計の方々が、数名でお越しになって、皆で、カレーを食べながら、建築談義で盛りあがった。気候も良かったので、窓を開け放ち、10人で、テーブルを囲んで過ごす、心地良いひとときで、その余韻が暫く「空間」と「私」に残っていた。それが、日曜日の朝、明日香に向けて自転車に乗る気分以上に、イエでダラダラ過ごす心地良い日曜日を味わいたい…..という気分となった理由なんだろうな…..。

本頂戴記

ここ数年、本を買うきっかけを失っていて、なんとなく本と出会う機会が少なくなってきたひとつに、新聞を取ることを止めてみて、ネットのお陰で、全く不便を感じることかない世の中だが、なんとなく新聞の広告や書評を見て、それが本を買うきっかけになっていたなぁ…..とおもうわけで、そのものズバリの本を買わなくても、それが微妙な刺激となって、本を買っていたような気がするわけで、本を手に取るに至る刺激が少ないと、TSUTAYAの枚方や梅田に行っても、綺麗で美しく気持ち良い空間で、本を手に取るわりには、いまいち購入まで至らないことが多く、Amazonでポチりと購入することがほとんどになってきた昨今、自転車の走行履歴のように、本屋さんに入店すると、手に取った本履歴のようなものがIotの技術によって記録されて、家に帰ってから、それをあらためて眺めながら、Amazonで購入したいともおもったりする。

それに、3年ほど息子家族と同居していたので、お互いの居場所のようなものに気を使いながら生活していた感じで、本を読んだり音楽を聴いたりすることに、微妙な躊躇いがお互いにあって、同居の間は、本や音楽から遠ざかっていたが、ここ数ヶ月、庭を隔てた向かいのリフォームした家に移り住むと、不思議と、音楽と本と映画が、私の居場所というか、テリトリーのなかで、復活してきた。

なので、偶然か必然か、お盆前に、3人の方から、3冊の本を頂戴することになって、積極的に本を求める気質が喪失しているここ数年の「私」にとっては、とっても有り難い贈り物で、一冊目は、「まちのえんがわ」の本をコーディネートしてくれている、コトバノイエのカトウさん夫婦と一緒に、うちのイエで食事をする機会があり、その時に「人間のための街路 B・ルドフスキー著 平良敬一訳」を頂戴した。最近の「まちのえんがわ」の本棚のテーマは、「界隈」で、ま、そんなこともあって、まちと関わりを持つようになってくると、書店の本棚から手に取って眺めた程度だった本が、あらたな価値観が与えられて、「私」の手元にやってきたような感じがして。そうそう、その本に刺激を受けたからだろう、ネット上で、何かの書評を読んでいるときに、リンクで磯崎新の書評に飛び、そこのリンクにあった「資源のもどき 磯崎新著」をクリックすると、Amazonにとんで、買ってしまったりした。そんなのが、いまの本の買い方なのだろうな…..。

二冊目は、大阪市立デザイン研究所の生徒さん達が、「まちのえんがわ」と、うちの家の見学に来られた時があって、その先生が、自動車メーカーのMAZDAのデザインに関わっている女性で、数日後、一緒にお話しする機会があって、とっても印象に残る時間を過ごした。後日、「MAZDA DESIGN 日経デザイン廣川淳哉著」が送られてきた。帯には、「デザインがブランドとビジネスを強くする」と書かれてあって、工務店という立ち場として、イエのデザインをどうするか…..。カイシャをどうしていくか…..。と読みかえる切迫感に迫られるのが「私」の立ち位置でもある。

三冊目は、昨年、長男の同級生で、ベルリンに在住するユウトのアテンドで、息子二人とユウトのオトコ4人で遊んだベルリンの3日間は、良き想い出となったが、その時、機会があれば、紹介するよと言っていた、ベルリン在住の日本人の方の完成したばかりの著作を送ってくれた。「ベルリン・都市・未来 武邑光裕著」で、「ポストシリコンバレーの世界は、ベルリンの「ネオヒッピー」と「コモンズ」から始まる」とあった。名だたる建築家が建てた新しい建物のことでなく、シュプレー川沿い近くの古い建物を新しい用途にリノベーションした、そのまちの雰囲気と、人々が面白い、そのベルリンをみて、日本をどうおもうのか!とユウトが問うてきた。

こういう「ギフト」を通じて、新たな印象と刺激を受ける時代なのだろう。あらためて、本を頂戴した3人の方に感謝したい。

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