2010年05月02日

さぁ!さぁ!さぁ!さぁ!

さぁ、ゴールデンウィークが始まり、木村工務店では5月2日(日)~5月5日(水)まで、休暇を頂戴しているのだけれど、なかには、休み中も動いている現場が一件だけあって、その現場監督と職人さんには、たいへん有り難くおもうと共に、こうして、休暇をとっている私事に、少々の気後れのようなものを感じていて、そんな訳で、「無事を事とする」という老子の言葉をまさに、いま思い出した。現場も遊びに出掛けた社員もそれに、これを読んでくれている方々や私も含めて、無事を最大の出来事としたゴールデンウィークであるように祈りたい・・・・。

そうそう、「私」は、まず、諏訪に行くことにした。それは、昨年のゴールデンウィークの北斎の旅の続きをしようと考えた訳であって、諏訪から甲州の北斎を辿って、箱根まで行こうと計画しているという訳。いやいや、実は、さしたる旅の目的があるわけでもなく、ほんとうのところは、ただただ「漂いたい」のだけれど、それとなく、旅としての、エエカッコをして、目的をひねりだしたというのが、本音だとおもう・・・・・。

それで、出発して間もなく、車中で、今度の旅行、どうおもう。と聞くと、奥方は「仕方なしにあなたのばかげたことに付き合うのが半分以上・・・。まぁ、楽しくないわけではない・・・けどね。」と、煮え切らん返事。息子は、「富士山が全然見えへん富士の旅やからな」と全く、的を得た応え。

013shinshusuwako そんな訳で、今回も、諏訪で描かれた北斎のこの光景の富士に出会える事がスタート地点だったのだけれど、いつものように、もはや「私の旅」では、富士山が見えるハズがないのだった・・・・・。

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ところが、こじつけで、行く事に決めた 諏訪の町では、7年に1度の「御柱祭」の真っ最中で、町が、独特のムードに包まれていた。それに、ちょうど、「里曳き」のその祭りに出くわし、これが、何ともいえない、活気と、おごそかな魅力があって、まさしく魅了されてしまった。移動はせず、その場から離れられなくなって、何だか、すっかり諏訪の町が好きになって・・・・・。

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「木」というもに対する敬畏。町ぐるみでの一致団結。木遣り、活気と静けさ。勇壮さ。荘厳さ。祭りというものの原点を見たような気がした・・・・。 「さぁ!さぁ!さぁ!さぁ!」という皆で発するその掛け声が、いまだに耳元に残っている・・・・・・。

祭りから、エエ活気をもらって、それなりに元気なのだけれど、体はたいへん疲れているような気配・・・・。そんなわけで、今日は、もう、ここらで、ぐっすりと寝たいとおもう。皆さん、エエ、ゴールデンウィークを!

投稿者 木村貴一 : 22:02

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2010年05月09日

旅の出合い(北斎富嶽三十六景 甲州 )

今朝、起きて、新聞を見ると、諏訪の春宮の御柱祭りで、ワイヤーが切れて人命が・・・という記事が、目に飛び込んできた。このゴールデンウィークの最初の目的地は諏訪で、5月1日の夜中に出発し、中央道のサービスエリアで仮眠をして、5月2日の早朝の最初の到着場所がその春宮だった。

駐車場に車を止めると、祭りの準備で、鳶職らしき人たちが沢山集まっていた。その姿を横目で眺めながら、鳥居の手前にあった手水で手を清め、神殿に向かうと大きな注連縄があって、その横を通り抜けると、本殿らしき、檜皮葺きの独特の個性的なデザインの神殿に出会う。

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お賽銭を入れ、2礼2拍手1礼をし、お参りをする。後から、いかにも、「ぼうしん」という雰囲気の鳶職風のおっちゃんが、こなれた身のこなしで、お参りをした後、グリーンの養生ネットが張ってある側に向かい、佇んで、何かの段取りをしだした。

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御柱祭の事を聞くために、近寄って、声を掛ける。「どこに行けば見ることが出来ますか」と聞くと、「今日は、本宮の方で里曳きをやっていて、ここ春宮と秋宮は、来週が本番。私は、7年に一度のこの祭りがこれで、11回目で、いまや、ここの最長老。もう84歳になった。これから、柱を建てる場所を掘る段取りをしているところ。もう少し、柱を建てる位置を移動しようとおもってるの。あとで、若いもんがいっぱいやってくるので、その準備。やっぱり、柱を建てるのを見るのが、一番だけれど、ま、里曳きもよいわな。本宮の方は角が二本建ってるからね。こっちは、角がないの。・・・・・・」「あそこに、ワイヤーを張って建てるの・・・・・」「写真撮ってもかまわんよ。テレビにも映ったりしてるからね。・・・・・・」「気をつけてかんばって下さい・・・・」「いい旅をね・・・・」なんていう会話をして別れた。

旅の初日の偶然のタイミングで、心がさわやかになった・・・・・。その、春宮で事故があったというのが、今朝のニュース。それを新聞で、私と一緒に見た奥方の第一声は、「あのおっちゃん、どうしてんるんやろ・・・・・。」私の脳裏にも、あの笑顔と、あの体つきと、あの身のこなしが、浮かんだ・・・・・。あの「祭り」で味わった歓喜も蘇ったが、何とも言えない、怖さも忍び寄った・・・・・。それが、旅の出合いというものだな・・・・・・・。

そうそう、去年と同じなら、富士の見えない富嶽36景北斎の旅は25年ぶりとやらのゴールデンウィークの晴天に恵まれて、奇跡的に富士山が見えた。東海道をお上りさんするのではなく、中山道をお上りしたのが良かったのだろう・・・・。息子への富士の見えない富士の旅という汚名も少し返上し、あらためて富士の美しさとその迫力に出会った。

写真の精度と腕前は相変わらずエエ加減だが、諏訪湖以外では、よく見ると、富士山が映っているわけで、この写真のよしあしはご勘弁頂くとして、その8カ所の絵が持つ、「場所性」だけは、何となく、肌で感じる事ができた・・・・・。

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↑ 諏訪湖にて
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↑ 見延山の手間で渋滞に巻き込まれて・・・見延山まで行かず途中で撮影。
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↑ 南アルプス市の富士川付近で、どこかわからないので、もう諦めて、ここらで、撮影。
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↑ 石和のフルーツ園から撮影する。iphoneにも登録しておいたけど・・・・。
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↑ 御坂峠と川口湖から撮影。きっと、これ、北斎流の合成写真で、洒落だね。
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↑ 山中湖付近の別荘地から撮影。富士のデフォルメの仕方が凄い。朝焼け見たいね。
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↑ 籠坂峠のとある場所で、こじつけで撮影。
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↑ 箱根の美術館の駐車場から苦し紛れに撮影。

北斎を出汁にしながら、下諏訪温泉、縄文の湯、ほったらかしの湯、箱根の湯など4つほどの温泉に浸かり、諏訪大社の春宮、秋宮、本宮、前宮や箱根神社と5つほどの神社にお参りし、御柱祭と出合い、吉村順三や藤森先生や伊東豊雄やクラシックな建築と遭遇し、縄文のアイドルには出会えなかったけれど、その縄文「場」をほんの少し体感し、それに、鰻や蕎麦や鳥もつ煮やフランス料理と、ちょっとだけグルメした。意図した出合もあるけれど、半分は、偶然の出合い。

↓神社にお参り。
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↓祭りの周辺。静寂と木遣りとブラスバンド。
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↓木遣りとともに黄色い集団が迫り通り過ぎる。男気を感じたと奥方は表現した。感激!
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↓意図的だったり偶然だったりして出会った建築
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↓尖石遺跡・山梨県立博物館・釈迦堂遺跡
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↓富士山・八ヶ岳
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↓ 温泉・グルメ?
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さまざまなリズムが複層的に組み合わされるポリフォニーな旅をしてみたい。というのが、今回のテーマだったかどうかは、旅行が終わってからおもう事で、とにかく、「私」は、想定外の「出合い」と新鮮な「印象」を持つことを切望し、流れ、漂いたがっていたに違いない・・・・・。

投稿者 木村貴一 : 23:48

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2010年05月16日

ゆったりと過ごす。

最高にエエ季節。青空とさわやかな風。家の窓を全開にして過ごす、この心地良さ・・。ゴールデンウィークに「旅」をして、「旅」の持つ麻薬のようなあの魅力。それはそれで捨てがたいけれど、奥方が旅から帰りついて、いつものように言う決め台詞「やっぱり我が家が一番」を、きっと多くの人が、そう感じながら、ゆったりと過ごしたのだろう・・・・・。

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ゆっ たりと、自由に、くつろぐ・・・・。と、まぁ、自分の家に対する不満点なども、少々出てきて、こうしたいなぁ・・・とか、ああしたいなぁ・・・とか、自分にとっての居心地の良さそうな居場所を造りたくなってくるものだな。これって、「私」の性なのかね、いや人間のもつ「サガ」なのかね。

設備機器を交換したり、家具を買いそろえたりするだけでなく、自分たちのライフスタイルにあった、それぞれにとっての居心地の良い家づくりには、是非、木村工務店のスタッフや、職人さんや、私と一緒に、家づくりをしましょう!。などと、宣伝もたまには・・・・・よろしくおねがいします。

さて、朝起きて、朝風呂に入って、デッキのベンチに座りながら、コンピュータをつけ、朝刊を読み、パンと珈琲を飲む。さわやかな気候の時は、デッキで、くつろぐのは確かに快適。それも家族で揃って食べるのも確かに良いが、それぞれが、てんでばらばらの場所で、それぞれの朝食を食べるのも時には、とってもエエ感じ。私はデッキ。奥方はキッチン。息子は食卓。それぞれの存在感を感じながらの「ひとり」も良い。

暫くして、薄暗いコーナーのソファーにいって、ごろつきながら、本を読む。個人的には、少々薄暗いところで、本を読むのが好き。「大工道具の歴史」という本が、妙な縁で、舞い込んできて、これを、ゴールデンウィークのお供に連れ立ったのだが、結局、読むタイミングを逃し、いまここで、思い出したように、続きを読み出す。

「・・・・・室町幕府成立のころから将軍家大工とよばれる大工の最高を位にあって、しかも広い視野と教養人としての知識・感性を要求される人間があらわれてくる。そうしてやがて彼らは、大工としての実際の技術から離れて将軍家の芸術顧問のような立場に立つようになった。」

「それに代わって実際の技術上の指導者として棟梁という職種が登場し ・・・・・・・・ きびしく洗練された寸法比例からは、彼らがいかに高度な審美眼をそなえていたかがうかがえる。私は将軍家のパトロネージのもとに成立したこの御大工から、日本におけるアーキテクト(建築家)の発生をみるのであるが、・・・・・」

なんて話を、なるほど、と感心しながらも、眠たくなる。これもいつものことで、しばしソファからずり落ちながら、15分ほどウトウトする。これが、また、実に心地エエのだね。

お昼は、軽く、たこ焼きでも食す。近くにできた、若い兄ちゃんが作る、ちょっと工夫したたこ焼き。家から5分ほどの廻りに、たこ焼き屋さんやお好み焼き屋さんが、10件以上は軽くあって、そこで店を出すのだから、それなりのチャレンジャーなんだ・・・・・・。

昼だというのに、それに、こんなエエ天気でエエ気候だというのに、どこにも行きたくない気分。家で楽しみたい。テレビも見たくない。が、「たかじんのそこまで言って委員会」だけは、なぜか見てしまう。日曜日のこんな時間帯に、楽しみにテレビを見てしまうわけで、録画までして見るのはこれぐらいかね。

テレビが終わって、音楽でも掛けてみるが、音も聞きたくない気分。ただただ日が暮れていくのを無為に過ごす。そんな訳で、夕食をとって、龍馬伝だけは見て、このブログを書き出した。それで、ここまで、書いて、「ゆったりと過す」と、タイトルを決めようとしたところで、突然、ゴールデンウィークに宿泊した箱根のFホテルでの行き届いた接客とホスピタリティーを思い出した。確かに、企業としても見習うべきものを感じた。

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ホテルにチェックインし、暫し、部屋でくつろぎ、日本で最初にできたホテルのプールとやらに入って、泳ぐ。それから、お風呂に入りに行く。浴衣でうろうろできるようなホテルでもなく、もちろん、靴を履いて行く。

ところが、お風呂から出ようとすると、なんと、私の靴がない・・・!誰かが間違ったらしい・・・・・。それで、フロントに電話をして、スリッパを持ってきてもらい、部屋に戻る。暫くゴロゴロして待つが、靴が見つかったという電話もない。このまま、朝まで待つのか・・。食事の時間も迫る。食事も浴衣で行くようなレストランでなく・・・。ひとりだけ部屋のスリッパで行くのだな・・・・。と、流石に、ちょっと、カッコ悪いかなと思い始めた。

それで、フロントに電話をすると、2、3回のやりとりがあって、車で、靴を買いに近くのホームセンターまで、一緒に行きましょう。靴代は出しますので、と言う。もう履ければ何でもエエですよ。と言ったのだが、ホテルの人も困ってそうだった。それでここはひとつ、ゆっくりとくつろぎたいという、そんな気持ちは捨てて、息子も連れだって、靴を買いに行くことに「決意」した。

息子はなんで、付いていかなアカンのぉとふて腐れていたが、きっと凄いクラシックカーに乗って靴を買いに行けるのだ・・・・と適当な事を言って説き伏せた。まぁ、こんなヘンな経験はできないし、それに、思い出の運動靴になりそう・・・。この一部終始を奥方は腹を抱えて笑って見ていた。それはまるで、三谷幸喜の映画の一場面のようだったのだろう。窓からその一部終始をビデオ映像に収めようとしていたくらいだった・・・・・。

結末は、あっけなかった。エレベーターでロビー階に降りると、その前で、間違った私の靴を履いた人が、歩きにくそうにしながら、私が、部屋のスリッパ姿で廊下を歩いている様子を見て、声をかけてきた。「あのぉ・・・。ひょっとして・・・・。・・・・。普段、お風呂には靴で行かないものですから間違ってしまって・・・と。・・・」私も、普段、靴で、お風呂には行かないですけど・・・・などとは、決して突っ込まなかった。

まぁ、フロントまで、おかしな二人のコンビで歩き、靴を交換してもらい、一件落着する。三谷幸喜のような劇的なストーリー展開もなく、あっけない幕切れだった。もっとも残念がっていたのは、窓から、ホテルの玄関の様子をわくわくしながら見ていた、奥方だったとおもう。その姿を想像した方がオモロイかも・・・・。

そんな、わけで、接客とか、ホスピタリティーとか、対応とか、そういうのは、とっても、難しいものだなぁ・・・・とあらためておもう。ホテルはつかの間ではあるものの、ゆったりと過ごす時間と空間とホスピタリティーのような「何か」を提供し、それに共感する。工務店も、ゆったりと過ごせる家を造ると共に、そういうホスピタリティーのような「何か」も求められている時代だな。とおもう。

投稿者 木村貴一 : 22:40

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2010年06月06日

体験して気付くこと。

何でも見てやろう」 その本の内容はすっかり忘れてしまったが、このタイトルだけは記憶の中に留まった。大阪弁で、いうところの「まず、やってみなはれ・・・」「とにかく、見てみなはれ・・・」が、「旅」のもつ魔力のひとつだとおもう。

そのタイトルから感じるほどの、どん欲さを私は持ち合わせていないものの、インターネットが普及すればするほど、その情報だけで、「わかった」気になりがち。知識と五感による体験がシンクロナイズした時に感じるあの感覚。それを「理解」と呼ぶとするのなら、その感覚の魅力を知ると、体験したら知りたいし、知ったら体験したい。そして、「理解」に辿り着きたい。あの感覚を味わいたい・・・・・。

学生時代には、有り余るほどの贅沢な時間があって、何もしないで過ごす方が圧倒的に多かった。無駄に時間を費やしたともいえるが、確かに、何もしない楽しさを知ると、それはそれで、一種の麻薬的な魅力があって、動き回る事があほらしく思えた。ただ、それも、自分だけのための、ある種の貪欲さだと感じる日がやってきて、それで、その麻薬的な魅力を断ち切って、誰かのため、自分のため、社会のため、その他、何だかんだ、複層的な歯車が、微妙に絡み合って、物事が動き始める・・・・・・。

なんていう、くだりを書いてみたくなる心境って、これ何だろうかね・・・・。

まぁ、そんなわけで、「旅」をする。何でもエエから、兎に角、体験をしたくなるわけ。ゴールデンウィークやお盆やお正月やその他・・・・。それで、体験してみて、初めて気付く事が、あるときにはあり、ないときにはまったくなにもない。

理由はいろいろあるのだけれど、5月3日の朝の8時前に、吉村順三さんが設計した八ヶ岳高原音楽堂の前にいた。一度見てみたいとおもっていた、憧れの建物でもあった。その場所は簡単に見つける事ができず、レストランに行って、尋ね、ようやく辿り着いた。

まず、駐車場からのさりげない八ヶ岳音楽堂と書いた看板とそのアプローチの仕方。そのさりげなさが、カッコ良かった。こういうたぐいの事は、体験してみないとわからない範疇の事なんだろう。きっとかなり考え抜かれてあるのだ・・・・・。

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屋根のその美しさは、建築雑誌で見ていて、写真のとおり。なんていう、当たり前の感想になってしまう。、いや、もしくは、写真以上の美しさ・・・・・とか。その屋根の線の美しさは、「樋」がないからこそ、生まれてくる、カッコ良さが、多分に影響している・・・・。

DSC06133DSC06029 DSC06120DSC06044 が、よくよく見ているうちに気がついた、正面玄関の屋根の部分だけには、樋がちゃんと、あって、玄関から入る人には、雨があたらないようになっていた。それは、最初からそうだったのか、後からそうなったのかは、知るよしもないが、そういうところに、人間味のあるデザインだなと、ひとりほくそ笑む。それに、その樋の水を落とす落ち口の樋のカットのデザインにシビレる。また、その水が落ちる足下の機能と、さりげないデザイン性にも味わい深いものがあった。
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内部には入れないとおもっていたが、偶然にも、早朝のヨガ教室をしていた。こんなところで、ヨガができるのなら、是非、是非、やってみたい。それに少々羨ましい・・・。そのヨガ教室が終わるのを静かに待ち続け、その先生に、許可を得て、内部を拝見する。天窓の美しさ。それに音楽堂というだけでなく教会堂のようなムード。確かに十字架も飾ってあったが、十字架が影響しているだけではなかった。 それに音響効果を考えた、機能美。それが見事なデザインとなっていて・・・・・・・。まぁ、とにかく体験してみないと気付かない事が、わりと沢山あって、例えば、大地と建物が一体となったその関係性とか・・・、などなど、いろいろあるが、とりあえずは、ここらへんにしておこうとおもう・・・・。
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そう言えば、その前日に、諏訪の御柱祭を見ながら、見学した藤森照信さん設計による、神長官守矢史料館では、その便所近くにある窓を覗くと、その山側の畑の中に、同じ設計者による高過庵という、ツリーハウスが 見えた。そういう、粋な計らいに、なんだか、ニヤッとさせられる配慮があって面白い。それに、足下廻りの、大地との一体的な関わりをもった設計は、実物を見るまでは、そんな部分に感心させられるとは思っていなかっただけに、体験して良かったな。という仕分けの範疇に・・・・・・。

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実は、これが、長ったらしい前置きで、つまり、本日の6月6日(日)と明日6月7日(月)の二日間に渡って、社員と大工さんと協力業者が一緒に研修旅行に行く。それは、とにかく、何でもエエから、一緒の体験を一緒にしてみよう。という旅。これが基本であって、そんな訳だから、その研修内容には拘っているところが、あるようでなく、ないようであるという程度。あっ、コミュニケーションを学ぶ。というのも大切なテーマだね。

そうそう、こだわりがあるとすれば、唯一絶対は、バスに詰め込まれて旅行するのだ。というこだわり。この伝統だけは守り続けられ、かれこれ50年ちかく続く・・・・。バスに拘る理由のひとつは、とにかく、バスの中で、二日間飲み続けたいという御仁が数十名近くいて、これだけは、不思議と先輩から後輩に引き継がれていくのだった。確かに、もっと、引き継がなければならない、技術とか伝統があるはずやろ!と読者からのお叱りやツッコミがあるのかもしれない・・・・・・。

それでは、マズイので、今回の研修は、にんべんに「木」と書いて「休」。人と木の寄り添い方がテーマ。 皆で、飛騨の山で林業をみたり、その他・・・。まぁ、その模様は、ツイッターで随時、ツィートされるかもしれない・・・・。ということで、6日と7日の二日間、会社はお休みを頂戴します。特に、月曜日は電話やメール等の連絡がとれませんが、ご理解頂きますよう、よろしくお願い致します。

投稿者 木村貴一 : 05:48

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2010年06月13日

日本的なもの。

伝統とか日本の文化とか。そんなテーマを大上段に構えてみるつもりはないものの、サッカーワールドカップを見ると、「日本的なもの」ということをたまには考えてみたくなる。というよりも、単純な話、南アフリカのスタジアムから聞こえてくる、あの、ハエが何万匹も一斉に耳元の廻りを飛んでいるかのような、あの音。あれには、文化というものの大きな違いを感じさせられる・・・・・。

いや、ひょっとして、あと2週間、あれを聞き続けると、快感に変わっていくのかも・・・。2週間後のブログで、あの音がもはや快感。と書き始めている「私」がいるとしたら、いや、どうなんだろう、そういう人間のもつ体質って怖いねぇ。2週間後の「私」が楽しみ。

「縄文」の遺跡のある「場所性」が好きで、できるだけ、「旅」の訪問地に組み込む。山の幸、海の幸が豊かそうで、風光明媚な場所が多い。まぁ、最高のキャンプ地ともいえる。先日のゴールデンウィークには尖石遺跡に立ち寄った。ところが、到着が午後5時頃になってしまい、縄文の土器や土偶を見る事は出来ず、縄文のアイドル達には会えなかったのが、残念といえば残念。

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それでも、意外な出合いがあって、この遺跡の建物の図面を引いたのが、堀口捨己であったという事。ほんとうに縄文当時、こんな建物だったのかねぇ・・・・と、考えてみる。それにしても八ヶ岳の山々を背景とした気持ちのエエ、キャンプ地。こんな場所性があってこそ、自然との付き合い方があってこそ、あんな土器や土偶が生まれるのだろう。現代と違う内的な豊かさを垣間見るとともに、日本的なもののルーツを感じる・・・・。

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先週の日曜日と月曜日の二日間、社員と大工と協力業者の旅行をし、その見学のひとつに刀鍛冶の実演を見る。それを見学していると、ものつくりの背後に見え隠れする「たたら製法」による鋼も含めて、日本的なものつくりって、何だろうかねぇ・・・・・と、考えてみたくなる。

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岐阜の林産地におもむき、木の伐採やハーベスタといわれるガンダムのような機械が豪快に木の枝を落とし、寸法切りする姿に感激したが、切ったばかりの切り株にチェーンソウを置きながら、木の切り方をプロ的に説明してくれた、その職人さんの顔や体つきやその情熱と雰囲気に日本的なものをより強く感じた。

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それよりも、もっとも日本的なものを、あらためて感じたのは、夜の宴会だった。大広間にお膳を並べるという、これぞまさしく前時代的なオーソドックスなスタイル。浴衣に着替えて、あぐらをかいて座る。「膝をつき合わせたコミュニケーション」というスタイルにこだわるのは弊社の会長。もちろん、私も受け入れている。というよりも今の時代にとっては、日本的なコミュニケーションを学ぶための、ある種の食事会のようなもの・・・・。

「私」は正面の席に、えらそうな顔をしながら座る。座ったままの宴が進み、頃合いになると、うちの一番若い社員のTが左手にグラス右手にビール瓶を持って、誰よりも先にやってきた。誰に、そんな事を教わったのだろうか、どの先輩かが、そういう事を教えたのだろう。それで、「これからもよろしくお願いします」と、にこやかな笑顔と共に頭を下げながら、なんと、右手のビール瓶を私に渡し、左手のグラスを前に出して、ビールをついでもらうスタイルをとる。少々私も面食らった。その瞬間、横に座っていた、協力業者の会長のオカモトさんが、「おいおい、それは違うやろ!」と真顔と爆笑をまぜながらつっこむ。

それで、Tは、何となく、間違ったスタイルなのだと感づいたようだったが、その勢いも手伝って、私は笑いながら、ビールを丁重にTのグラスに注ぐことにした・・・・。それで、その後、Tから返杯を受ける。Tに悪気やしゃれっ気があった訳でもなく、ごく普通にTが考えた、お酒の席での社長と若い社員とのコミュニケーションの取り方だったようだ。

それにしても、こんなスタイルのお酒の飲み方がうまれたのは、いつ頃からかね。縄文人は、すでに、こんなスタイルで、杯を酌み交わしていたのかね。南アフリカの人々はどんなスタイルでお酒を酌み交わすのかね・・・・・。

膝をつきあわせて、杯を酌み交わすようなスタイルが、いま、大まじめに必要とされているとは思えないが、そういうスタイルを軽やかに「遊ぶ」ことで、ある種の打ち解けや仲間意識がうまれるのも事実。日本的な方法というものをあらためて、模索したいね・・・。

投稿者 木村貴一 : 23:51

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