2009年05月03日

北斎と富士とB級グルメ

つまり、ゴールデンウィークがはじまり、さしたる行くあてもなく、経済的な問題が云々されている、この時期、 当然ながらバブリーな旅行を望むべくもない。かといって、どこにも行かないのもストレスが知らず知らずに貯まり、それが、 突然の夫婦げんかに発展するのもつらい・・・・。

夫婦そろって、大阪生まれの大阪育ちのため、田舎がない。なんだかんだ、理由をこじつけて、旅行をするわけなのだ。 あの有名旅館に泊まりたい!!・・・とか。子供が喜びそうなので、遊園地やアウトドアーへ・・・とか。その他いろいろ・・・・。

ところが、偶然のような、必然のような、その「こじつけ」を見つけ出せれば幸いなのだが、「ネタ」がないときも、しょっちゅうあって、 そんな訳で、このゴールデンウィークも最初は「ネタ」がなかった・・・・。

一週間ほど前、どうしようかと悩んだ。まず、お金をあまりかけたくない・・・。あの「1000円高速道路」の誘惑もちょっと魅力的・・ ・・。そんな事を考えながら机の上に目をやると、コトバノイエのKさんから贈ってもらった「葛飾北斎」の本が、読みさしで、 置いてあった。

それを眺めているうちに突然思った。そうそう、富嶽36景が描かれているその場所へ行って、富士山に見守られてみよう・・・・と。 おもうに、北斎の描く富士山は、「見る富士山」というより、様々な人々を「見守る富士山」のように見えるのだ。

そんな訳で、今、大井川の河原で、このブログを書いている。取り敢えず、愛知県と静岡県で、 描かれている富嶽36景の場所に立ち寄りながら、富士山の麓を目指そうとおもう。

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↑名古屋
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↑豊橋・吉田宿
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↑日坂宿
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↑金谷宿

だいたい、今日は、こんな感じで、大井川まで到着した。ところで、今のところ、全く、富士山の姿形を拝めていないのだ・・・・。

そうそう、静岡県はB級グルメの県だそうだ。浜松は鰻だと思っていたのに「ぎょうざ」が凄いらしい・・・。富士宮のやきそばとか・・・・。 それで、お昼は浜松で「ぎょうざ」を食す。朝は、豊橋で、かまぼこのやまさの本店で、かまぼこを買って、食べた・・・・・。・・・・・。

そんな訳で、木村工務店では3日から6日まで、ゴールデンウィーク休暇です。お問い合わせ等の返信は7日以降となりますので、 ご理解のほど宜しくお願いします。私のゴールデンウィークは、北斎と富士山とB級グルメの旅で過ごそうとおもう。

それでは、皆さん、よいゴールデンウィークを!

 

 

投稿者 木村貴一 : 20:24

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2009年05月10日

再起動(北斎と富士とB級グルメその2)

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ゴールデンウィークが終わり、ほんの4日ほど、家や会社を留守にしただけなのに、わずか暫くの間に、会社の前の「エゴの木」には、 白い花がいっぱいいっぱい咲き、石鹸のような、さわやかな香りを放つ。

家の庭のクスノキにも、葉っぱがいっぱい生い茂りはじめ、少々驚く。気が付くと、一本のタケノコがぐぅーんと伸びて、 2階の窓の目線の位置まで達していた。この春の4日間に、自然はそれなりの変化をし、「私」は、わたしたちなりの旅をし、漂った・・・・・。

「北斎と富士とB級グルメ」という、旅を「こじつけ」た。それは、ゴールデンウィークのゲームであり、楽しみであり、苦行であり、 休息であり、労働であり、勉強であり、快楽であり、何よりも「遊び」であって、私なりの悦楽でもあった・・・・・。

ただ、それに付き添わさせられた「家族」は、悦楽だったのか、どうだったのか・・・・・。確かに疑問。

奥方は、家の布団をそのまま車に持ち込んで、車での移動中は、ひたすら眠り続ける。そして私は黙々と運転。「B級グルメ」 に到着すると、むくっと起き出して、並んで、待って、食べることを苦痛とせず、高カロリーの食べ物を食べて食べて、 「家に帰ったらダイエットするわー」と叫ぶ。

中学生になった息子は、わけのわからない、はじめての土地で、いきなり、北斎の写真をもたされて、 写真撮影に付き合わさせられるのだった。体を動かすこと、イコール、遊んでいること、と等価な次男とは、大井川の河川敷で、 サッカーのボールをおもいっきりけり合い、キャッチボールをし、スケートボードで滑り、車に持ち込んだ折りたたみ自転車で、走る。 車の中では、寝る。プレステ。DS。ヘッドホーンで音楽。

長男は、いきなり、東京から彼女を連れて帰ってきて、キャンプに行くといって、私のテントなどキャンプ道具を車に積め込んで、 大阪から西に、四国に向かって、旅立った。「わたしたち」は、東に、名古屋に、静岡に、向かって、旅立つ。「それじゃぁ、6日に、お互い、 無事に、会おかぁ!」 と云って、それぞれの旅の無事を祈って別れたのが、5月2日の深夜のことだった・・・・・・。



深夜、ガラガラといえばガラガラだけれど、少々多いめの車の流れと共に、名神高速道路を走り、名古屋に向かう。途中、 新しくできた第二名神を乗り継ぎ、東名阪道路のパーキングエリアで、仮眠する。もちろん、奥方と息子は、家から持ち込んだ布団の上で、 寝息を立てていた。

意外にぐっすり眠り、なぜか5時に目が覚め、PAの便所で、すっきりしてから、おもむろに、第一チェックポイントの名古屋に向かう。

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「尾州不二見原」という、こんな光景に出会えるはず・・・・・・・・・・・。

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名古屋の中心街のそのあたりに行くと、「富士見橋」というのが、確かにあり、もちろん富士山が見えるわけもなく、 こんな5時台の朝早く、桶を造る、ものづくりの作業風景があるはずもない。もちろん、うろちょろする人もいない。取り敢えず、ここを、 今回の、「私の尾州不二見原」と、勝手に、決める。

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それで、息子と奥方をたたき起こすことにする。、まぁ、何とも、迷惑そうな顔・・・・・・。確かに、その気持ちもわかる・・・・・。 それでも、撮影の助手を頼むと、意外にすんなり応じてくれたのは、「しゃぁないなぁ・・・!おとんの、このばかげた遊びに、まぁ、 付き合ったるわー」という、子供ごごろと見た。

奥方は、その一部終始を見ながら、「あほちゃぅー」と、ノーメークの顔で笑い、呆れ、のたまい、でも、「まぁ、しゃあないなぁー!!」 と、見守ることにしてくれた。 以降、だいたい、全ての場所で、こんな雰囲気で、撮影をすることになった。

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周辺には、大きなお風呂屋さんがあり、マンションが建ち並び、材木屋さんのようなところもあったのだが、さて、今、ここでは、どんな、 「生きる人々の姿」が、あるのだろうか? そして、その姿を、小さな小さな富士山が見守ってくれているはずなのだ・・・・・・。

一台、黒のレガシーが、私たちの車の数メートル、後ろに停車した。「こんな時間に、こんな場所に、あんなふうに停車してる、あの車、 きっと、同じように、北斎の絵の場所を探している人に違いないわー」と、大阪のおばちゃんらしく推理する奥方だった。


「そやなぁ・・・」と、適当に聞き流しながら、次のチェックポイントを目指す。名古屋高速から名神に戻って、豊橋を目指し、 豊橋城の公園の駐車場の木陰の下に車を止める。

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そよ風が車に流れ込み、奥方と息子は、気持ち良さそうに、ひたすら、眠っていた。私は、車の後ろのハッチを開けて、 折りたたみ自転車を取り出し、周辺の朝を巡る。

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自転車でゆっくりと、走ると、足早に散歩をする見ず知らずの、おじさんが、「おはようございます」と元気な声をかけてくれた。素直に、 「おはようございます」と返す。なぜか、晴れ晴れして、気持ちエエ。その瞬間、五島列島での旅の光景が蘇り、 ダブる

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この第二チェックポイントの吉田宿では、こんな光景に出会えるはずだった。旅の途中に、 綺麗なお姉さんと富士山を見ながらお話しするのもエエなぁ・・・・とおもう。そんな不二見茶屋を探さなくては・・・・・。

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まぁ、でも、これから先の工程も考えてみて、それに家族旅行でもある事だし・・・、とりあえず、ここを、今回の「私の東海道吉田宿」 としようとおもう。助手達は、快眠し、起こしに行っても、自転車が一台だけなので、ここまで来るのにたいへんなのだ。

絵のような手摺りもあることだし、横には、静かに本を読む見知らぬ人が、ひとり。お姉さんが手摺りに寄りかかって居ないのが、 誠にもって、残念なのだけれど、とにかく、ひとりで撮影する。

天気は良いのだけれど、「やはり」富士山は見えない。ところが、暫くして、なんだか富士山の方角が違うような気がしてきた・・・・。 それで、地図で、富士山の方角を睨みながら、撮影したのがこれ。

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車に戻ると、それぞれが、代わりばんこに、自転車に乗り、散策に向かう。その小一時間ほど、私は朝寝をする・・・・・。 うっすらと目覚めながら、それぞれが、見た光景と印象を聴くと、不思議にも「ずれ」があり、そのことに、 それぞれの内面で起こるリアリティーというものを感じ・・・、いやいやそんなことより、朝食を探しに、街の中を車で彷徨することに決めた・・ ・・・。

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ちくわのヤマサというのが、豊橋が本店だと、インターネットで知る。それで、その住所を見ながら、街の商店街に迷い込でみる。

「文政10年。以来180年、豊橋の地を中心にちくわなどの練り物を製造・販売してきました。 私たちの基本精神は「鉛は金に変わらない」ということ。一見本物に見える金のかたまりも、地金が鉛では決して本物とはいえません。 ちくわを作る場合でも同じ事がいえます。本物の味を作り出すには、原料の選別を始めとして、練り具合や焼き加減の判断、 その時々の気候に合わせた味加減など、職人の技を必要とします。原料、人、技術、全てが本物だからこそ生まれる「旨さ」。 これがヤマサちくわの求めるこだわりの味、伝統の味です。これまでも、そしてこれからも、変わらぬ精神で本物の味を追求し続けます」

DSC07571 と、インターネットに書かれてあり、木村工務店はどうなんだろう・・・と、 店舗の前に立ちながら、おもう。材料、人、技術、全てが本物といえるのだろうか・・・・。「旨い」建築を造っているのだろうか・・・。 と、顧みてみるのも、今の「私」の立場でもあった。

吉田宿のお城のまわりでは、学生達がランニングをし、ガーデニングか何かの緑のイベントがあり、その準備をスタッフがノンビリとし、 暫くしてそのイベントに沢山のおじさんやおばさんが集まって買い物をする。犬を連れて散歩をする人、釣りをする人、 地道の道ばたに座り込んで、話をするおっちゃん達、ベンチで本を読む人・・・・・・・・。そんなふうに生きる人々の姿を、小さな富士山が、 どの方角かで、見守っているはずだった。


国道を使って、浜松を目指す。国道沿いの遊園地に行く右折れの車で渋滞する。海岸沿いの国道に出ると、サーフィンをする人たちの姿。 浜名湖の近くでは、潮干狩りをする人達の姿。天気もよく、何だか、気持ち良さそう。サーフィンも潮干狩りもどちらもやってみたいなぁ・・・ と、自分がするその姿を想像しながらドライブする。

DSC07574昼食を食べに、「浜松ぎょうざ」を目指した。「浜松の鰻」ではなかった。 B級グルメという言葉を初めて知った。 ご当地グルメともいうらしい・・・・。 インターネットで見て、取り敢えず、 「福みつ」という店の前に到着する。 普通の住宅街の中にポツンとある店だった。四国うどんの状況と似ていた。

数十人の並んでいる人を見て、ビックリし、「私」はめげる。そんな時、急に、元気を出すのが、奥方だった。 果敢にも列に並ぶのであった。一時間近くも待って、餃子にありつく。「私」には、ある種の苦行だなぁ・・・・。

王将の餃子の方がうまい。と息子が言う。私の手作りの餃子も負けてヘン。と奥方が言う。大阪人だから仕方ないか。 白ご飯とお味噌汁とこんがりとした厚い皮の餃子が定食となっていた。そうやって、ご飯とお味噌汁と食べると、なかなか、美味しい。 それにしてもだ、行列の並ぶ店のその魅力とその秘密を知りたいなぁ・・・・・とはおもう。


DSC07576 お腹がいっぱいになると、お風呂にでも入りたい。それは、日本人の遺伝子なのか・・・・。 第三チェックポイントは日坂宿だった。その途中の袋井宿に立ち寄って、お風呂にでも入ろうかと、家族会議をすると、 全員賛成で、 話がまとまる・・・・・。

昼の日中に入る露天風呂も気持ちエエ。奥方がお風呂から上がってくるのを、ロビーのソファーで、息子と待ちながらテレビを見ていると、 ちょうど、競馬の天皇賞が始まった。毛並みの良い馬が、鬣としっぽをなびかせて、疾走する姿は、美しい・・・・。 勝利した騎手の笑顔とガッツポーズを見ながら、この場所で、この人たちと、この天皇賞を見ている、このシチュエーションを不思議におもった。

そうそう、この旅のきっかけになったコトバノイエのKさんのゴールデンウィークのブログには、 全く違う、シチュエーションで、天皇賞を見ている様子が描かれてあった・・・・・。同時性・・・・。


現実の旅行では、一日で、大井川までたどり着いたのに、あぁ、ブログの世界では、
一日で、大井川まで、辿り付けなかった・・・・・。

背後では、社内のコンピューターサーバーの設定が手こずって、いまだに作業が続いている。再起動。再起動。 コンピューターサーバの構築作業も工務店と似たとろがあるよなぁ・・・・。

それはそうと、ゴールデンウィークが開け、何だか新年が始まったような気分で、木村工務店も再起動です。そして、 北斎と富士とB級グルメのブログ上での旅は、まだ続きます・・・・。

 

 

投稿者 木村貴一 : 21:44

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2009年05月17日

保険(北斎と富士とB級グルメの旅その3)


保険会社の人が、尋ねてきて、火災保険を上手に選択すると、家のメンテをするのに、費用が出る項目が多々あって、中には、24時間態勢で、水漏れがあれば、駆けつけます。なんていうサービスもあり・・・・。家を守り、維持していくためとして、工務店さんから、是非、有用で、エエ火災保険を提案してあげて下さい・・・・・。

今週の前半の朝に、お会いした方との、そんな様子をふと思いだした。その大手保険会社の担当の方は、つい3年ほど前に、関東で、自宅を建てた。設計士と工務店と一緒に家づくりをした、その期間が、もの凄~く、楽しかったなぁ・・・・と、満面の笑顔で語ってくれた。週末に夜行バスで、家に帰るのが、何とも楽しみで・・・・。帰りすぎて、お金がちょっと・・・・・。

この背後で、奥方は同窓会同窓会とバタバタバタバタ、ガサガサガサガサと騒いでいる。時として、見たこともないような、カバンとかアクセサリーが出てくるのに、少々、驚いたりするのだった。息子は、家の前の道路でバスケットボールをしている。わりと、典型的な日曜日。

そういえば、つい最近、近所の子供達が、家の前で、バスケットボール遊びをしていて、うちの家の窓硝子を割ったらしい。もちろん、ゴメンナサイと、ちゃんと謝って帰って行ったという。それで、その窓硝子をなおすのに、うちの長年お付き合いしている三木硝子さんに連絡をして、直ぐに硝子を取り替えてもらった。

でも、その費用は、どうするのぉ。と、一瞬考えた。そしたら、奥方が、いま加入している、火災保険で、そのお金でるねん。それに一時金として、ほんのちょっとした、お金やけど出るのぉ。と言った。・・・・・。いまここで、そんなこんなの様々な事が、頭の中を、出たり入ったりしているのであった。


そうそう、「ゴールデンウィーク、北斎と富士とB級グルメの旅」だ。


袋井のお風呂屋さんで、湯船に浸かり、普段、全く見ることもない競馬を見て、レストランの椅子に腰掛けると、目の前が茶畑だった。ここは静岡だ。と、ようやく、気付いた。奥方が、突如として、「お茶」 「買ぅぅ」 と、まるで、外国人のような文法で、言葉を放つ。テーブルには、B級グルメの「袋井宿たまごふわふわ」がひとつだけ、ポツンと置かれ、皆で、少しずつ、食す。うまい!とは言い難いお味。まぁ、でも、この旅は、「経験」が、遊びなのだ。

もう4時近くになってしまう。次の目的地は日坂宿で、「遠江山中」で、こんな光景と出会うハズ・・・・。

遠江山中

ナビによると袋井から日坂宿までは、30分ほどだった。国道1号線を進むと、その1号線のバイパスが次々とあり、気が付くと、目的地付近を通り過ぎていた。引き返す。小さな集落の中をうろちょろする。製材所を見つける。進む。停まる。バックする。また進む。曲がる。停まる。進む。なんだか不審者のような気がしてきて・・・・、早々に見切りをつけて、今回は、「遠江山中」は、ここだとする。

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「ここ、知りあいなん?」と奥方が突拍子もなく聞く。確かに、私は、工務店を営んでおり、そうそう、吉野には、今はもう、死語に近づいてきた、銘木屋さんが、親戚にあり、林業を営む吉野の山持ちさんが、親戚にあり、ちなみに、吉野川沿いにある、「こばしの焼き餅屋さん - Google 検索」も親戚であって、小さい頃には、数ヶ月に一度、吉野に住む親父のお兄さんが、そのやき餅を持って、大阪にやってくるのが、かなり楽しみだった。

こし餡が好きか、つぶ餡が好きか、どちらが「通」かで、いつも楽しく論議したものだ・・・・・。これもB級グルメ、ご当地グルメと呼ぶのだろうか・・・・・・。それはともかくとして、大阪からこんなにも「遠い山の中」に、知りあいは居なかった。

「木」や「お茶」を生業(なりわい)とする人々、が、この界隈には、何軒か、生活しているようだった・・・・・。出かけよう!北遠へ-ふるさと散歩道  「大鋸=おが」は製材に使われました なんていうホームページにも出くわす。この北斎の描いた絵を眺めると、巨大な木材の上に乗って、大鋸(おが)という鋸(のこ)を使う職人さんの、その「腰」の、あの「丸み」が、何とも、エエ感じ・・・・と、いつもいつも思うのだ。「リアルな何か」を感じるのだった。

そして、その絵を見ると、小学生の時に、描いた、家を建てる大工さんの絵を思いだし、その絵の中で、大工さんが、木材を2階に引き上げる作業姿の、その絵の、腰つきを、いつもおもいだすのだった。

それにしても、富士山は見えない。ほんとうに、この辺りから、富士山が見えるというのだろうか・・・・。そんな気にさせらがゆえに、見てみたいとおもった。どこかで、富士山が堂々と隠れて、見守ってくれている。ハズだった。

日が暮れていきそうな気配。やっぱり、今日は、大井川までは、金谷宿までは、目指そうと思う。旧の国道か国道1号線か、どの道を進むめば良いのかわからなかったので、なるべく、狭くて、曲がりくねって、ゆっくりと進む道を選択する。

曲がりくねった山坂道だった。近くに石畳があります。という標識が通り過ぎていく。時折、歩く人。あの「腰つき」で自転車をこぐ人。と、すれ違う。この道を走ってようやく、私たちも東海道五十三次の一部を走っているのだと実感がわいてきた。あぁ、今から思えば、金谷の町に寄り道すをるべきだったかなと、ちょっと、後悔する。

東海道金谷の不二

次のチェックポイントは、「東海道金谷の不二」だっDSC07588た。川を渡る。越すに越されね大井川を渡る。その当時の一大イベントに出会えるハズもなく・・・・・。後続車が後ろにピッタリとくっついていた事もあって、何だか勢いで、大井川を渡ってしまった。あぁぁぁという間の出来事だった。あっけなく島田宿に到着してしまう。

DSC07589 「情緒」は諦めて、兎に角、写真撮影だった。さて、どうして、写真撮影をすれば・・・・。そういえば、「蓬莱橋(ほうらい橋)」という木造の橋があるらしい・・・・。暮れていきそうな大井川沿いを走り、その木造の、とにかく長~い橋に辿り着く。以外と、まだ、多くの観光客が、その橋を渡っていた。橋を渡る通行料金を支払う。その時、おもった。あの高速道路の1000円は安いのだろうか・・・高いのだろうか・・・・・。

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さて、その橋から、取り敢えず、撮影してみると、どうも方角がおかしい。「その方向、絶対間違ってるとおもうワ。」というダメだしがある。確かに・・・・。いったい富士山はどこに・・・。影も形も気配さえも感じられなかった。方角を変えて取り直す。DSC07615 DSC07620

この橋を往復するのに40分ほどもかかった。人間の心理とはおかしいなものだなぁ・・・・。なんだか、途中で引き返すのが、「諦めた人間」と思えてきて、往復しなくては、「ダメ人間」のような気になるのだ・・・・・。ほとんどの多くのカップルが、語らいながら、仲良く手をつないで、往復していた。

帰りの改札所で、おっちゃんに、富士山の方角を聞いてみる。「ここ一週間ほど、まったく見えないね。橋の真ん中で見ると、山の上に富士山の美しい姿が見えるんですがねぇ・・・・・」と、その言葉を聞いて、富士山を見た気分にすることにした。

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当時の人々は、この川を渡るのが、一大イベントだったに違いない。この川を渡る事で、いろいろな「決意」を固めたのだろうか・・・。富士山に見守られながら、川の真ん中からその決意を富士山に向かって誓ったのかもしれない・・・・と、ちょっとセンチメンタルな想像をしてみた・・・・・・・。

 

この後に及んで、旅行に来て、全く、遊んでいないぃ!!と、息子が、言い出した。体を動かしていない。と・・・・・・。えぇ、先ほど、歩いて、橋を渡ったのは、運動ではないのぉ。と問いかけるのはムダなことだと、最近気付いてきた「私」。

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川と芝生と夕暮れの青空と飛行機雲と月と鉄橋と夕焼けが同居する中で、サッカーのボールを思いっきり蹴り。キャッチボールのボールが見えなくなるまですると、不思議にまた、お腹が空いてくるのだった。今夜は、この河川敷で、宿泊すると決め、食料を求めて、近くのスーパーに行く。「生しらす」とか、造りとか、お寿司とか・・・・、それに、朝方に買った変わった種類の「ちくわ」も・・・、それらを夕食として、ほとんど人のいない、大井川の河原で食す。

満腹感。それよりも、背後から迫り来るブログへの切迫感に観念した。その河原で、ノートパソコンを広げ、「あっぷ」したのが、「あれ」だった。もちろん、その直後、この長~い一日を終えて、寝られることが、何とも嬉しくて、あっという間に眠りについた。

投稿者 木村貴一 : 17:19

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2009年05月24日

断熱(北斎と富士とB級グルメの旅その4)


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家の断熱というものをどのように考えるのか・・・・。そんな事を、あらためて、勉強してみようという事になり、社員や大工さんや手伝いさんを交えて、野池さんに、講習会を開いてもらったのは、今週の事だった。

それは、省エネ改修促進税制 とやらが、4月1日から創設されたのだとか・・・・。次世代省エネ基準が等級4で、それは・・・・。等級3が、通称、新省エネルギー基準と呼ばれ、それがつまり・・・・・。それぞれの壁の断熱材はグラスウール相当で、これぐらいを入れる必要があり、天井は・・・、床は・・・・。と、野池さんが語ると、大工が、「グラスウールかぁ。あれ、カユイからイヤやなぁ! 大工の体に悪いのは、住んでいる人にもエエことないでぇ!!」と。椅子席から、ヤジを飛ばす。皆から笑いがわき起こると共に、「なるほど」と、なんだか納得したりして・・・・。

そんなこんなの、吉本新喜劇風の、ベタなやりとりや、ヤジが飛び交う、講習会ではあったものの、次世代省エネルギー基準とやらが、ほんとうに、この大阪を中心とした、関西の住宅にとって、相応しい基準なのかどうか・・・・。確かに、それは、間接的に、CO2削減に貢献し、地球環境に貢献するのだろう・・・・。まぁ、とにかく、そんな事が、住宅の善し悪しを決める基準のひとつになるのら、それぐらいの事は、いつでも簡単にクリアー出来る、その態勢は、整えておきたい。と、おもう。

最近のリフォームでは、断熱性能を上げたいという要望と、耐震性能を上げたいという要望は、ベーシックな事柄になってきているようだなぁ・・・・・。なんて事と、新型インフルエンザと白いマスクと休校の学生達とそれらが及ぼす経済への影響と家にいる子供の姿が支離滅裂に錯綜するのだった。

 

そうそう、「ゴールデンウィーク、北斎と富士とB級グルメの旅」の続きでも・・・・・。

DSC07632大井川での宿泊は、列車が鉄橋を渡る音が、時として、うるさく、2、3回、眠りから引き戻されそうになる。いや、それは、「風情」だと思えば、それなりに、「フゼイ」でもあった。夜の9時頃に寝るなんて事は、年に、数度の事で、流石に、目覚めは早く、夜明けと共に、鳥の合唱があちらこちらから聞こえてきた・・・・・・。

DSC07634折りたたみ自転車を取り出して、川沿いを一時間ほど散策すると、家族も起き出し、息子はスケートボードを取り出して、ゴロゴロと滑り出し・・・。そん事をしている間に、お腹も空いてきて・・・・。そんな通常とは違う朝だった。

  次のチェックポイントは「駿州江尻」で、それは清水港の周辺で、富士を見る予定で、国道を使っても1時間もかからない距離で、到着まで○○分です。と、ナビが、女性の声で、それが、親切か不親切かは別として、伝えてくれていたとおもう。

DSC07641とりあえず、製紙工場の煙突から出る煙を眺めながら、出発した。その大きな工場を見て、「そうそう、このあたりは、パルプで有名なんや」と、「現役」の息子が、社会科の知識を言うと、そうそう、習ったワ・・・・と、夫婦そろって同時に発声し、少々の見栄などもはりながら、朝早くのガランとした島田の町を通り抜けた。

朝ご飯を探しに、取り敢えず、焼津港に立ち寄ってみる。朝の7時過ぎなので、開いてる店は、マクドナルドとか・・・。流石に、そこで、食べる気は起こらず、それは、今回の旅は、B級グルメの旅でもあって・・・、それじゃぁ、マクドナルドは、いったい何級なのぉ・・・と、考える事ぐらいにとどめておいて、通り過ぎる。

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焼津港周辺をうらちょろして、諦めかけた頃に、開いてる店を見つけた。漁業組合が経営しているのだろうか、朝の8時前だというのに、満員で、地元の人らしき人や、観光客らしき人、ライダーなどなどが、ぞくぞくと、入ってきた。結局、朝食が出てくるまでに30分ほど待つことになる。

朝から、丼もんを食べた記憶がないのだけれど、とにかく、廻りの人々の食べる勢いと、その皿のその美味しそうな雰囲気に圧倒されて、マグロが入った三色丼とやらを食べる。目の前の同じような観光客が注文した桜エビのよせ揚げを見て、あぁ、それにすれば良かった・・・と、恨めしく思えるほど、美味しそうに見えた。それにしても、待ちくたびれたことを帳消しにするほどの、かなりの満腹感と満足感。

だいたい、満腹になると思考回路もだらしなくなりだし、道路標識にあった、「登呂遺跡」というのに、反応してしまい、予定には全くなかったのだけれど、ちょっとだけ、寄り道をしてみようという気が起こる。まぁ、考えてみれば、この旅全体が寄り道のような旅でもあった。

DSC07657 縄文の遺跡には、野や山や川や海や湖があり、風光明媚で、あちらこちら、それなりに巡ったのだけれど、弥生の遺跡には、あまり馴染みがなかった。あらためて、見ると、それは狩猟採集でなく、水田だぁ。稲作だぁ。とおもった。

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ほんとうに、その当時の木組みが、こんなふうであったのかどうかは、定かでなく、疑問の余地もあるのだけれど、木組みの、小屋組の、原型のような展示だなぁ・・・・と、考えながら、水田跡のあぜ道を歩いていると、気になるアプローチに出くわす。

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芹沢美術館というらしい。アフリカの造形という展示をしているらしい。朝食におもわぬ時間がかかり、予定外の登呂遺跡に立ち寄り、もう既に10時になっていたのだけれど、寄り道ついでにもう少し寄り道を・・・と、おもわせるほど、ちょっと、ぞくっとするアプローチだった。今回の旅では、「感動的な富士山」を見ることはできなかったのだけれど、何よりもの感動は、この建物だったのかもしれない・・・・・。

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入り口に入りると、石とナラらしき木組み風の天井が不思議な融合をし、やっぱり、ぞくっとする。受付の人に設計者の名前を聞くと、 白井晟一 だと・・・・。そうか・・・。そういえば、五島列島を旅行し佐世保に立ち寄った時に、親和銀行を見忘れた事に、少々後悔した事を思いだした。写真撮影してもいいですか、と聞くと、観覧者に迷惑でないようにお願いしますと、笑顔で、快く応じてくれる。

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不思議な世界感だった。展示の関係か、自然光が入らないように、窓にカーテンがしてあり、そのため中庭の池がみえなくて・・・、光が入った空間が見れなくて・・・、それが、何よりも残念だったのだけれど、見学して良かったなぁ・・・・、寄り道して良かったなぁ・・・・と、おもえた。

そうそう、近くにあった移築された芹沢邸が、最近の工務店がつくる、木組みの家づくりの原型のようでもあって、それはそれで興味深くもあり・・・・・。

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そんな訳で、ブログ上でもクドクドと寄り道をしてしまい、まったく、先に進まず、そろそろ、この旅のブログも疲れが見えはじめ、もっと、端折って書いて、次回で終わりにしようとおもうものの、富士の旅のはずなのに、富士の写真がほとんどなく・・・・。いやぁ、最後まで、その写真をお見せできそうにもなく、あぁ、「おち」がない事にも気づきはじめ、その自分自身と、この旅のブログへの焦燥感なども、少々わいてきたりして、ちょっとした、断熱状態に陥りそう。そういえば、新型インフルエンザからは断熱したいねぇ・・・・。

という事で、唐突ですが、冒頭の写真は、芹沢美術館でのラウンジからの庭の眺め。そこで頂いたお茶が、その部屋の雰囲気と相まって、美味しく感じたなぁ・・・・・。

投稿者 木村貴一 : 23:54

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2009年05月31日

桜えびの味(北斎と富士とB級グルメの旅その5)


北斎富嶽三十六景駿州江尻 この光景に出会うのが、次の予定だった。「北斎富嶽三十六景駿州江尻」。ところが、想定外の行動が連続し、この旅は、北斎の旅であった事すら、すっかりと忘れていた。流石に、12時をまわる頃になると、内面のどこからか、何かが突き上げてきた。「そろそろ決めた目的地を目指せ」 そんなふうに指令されているようだった。これは、「私」が、適当に決めた、遊びなはずなのに・・・・。

まぁ、それでも、その感覚に突き動かされようとおもう。次の目的地は清水だった。すぐ近くなのだけれど、海沿いのいちご街道を走ると、のろのろと渋滞していた。その遅~い流れに身を任せながら、IPODのイヤホンを耳に差し込む。ランダムに、そして、おもってもみない、選曲が繰り返される音楽を楽しみながら、ちらっとバックミラーで家族を見ると、奥方も息子も、それぞれがIPODで音楽を聴いていた。おかしな光景だな・・・。

「三保の松原」に寄り道をしてみた。どう考えても、駿州江尻の絵は、三保の松原で描かれた絵には見えないのだけれえど、確か、中学生の頃、家族と訪れたその記憶と、今も残るその時の写真の楽しそうな光景が、そうさせたのだとおもう・・・・・。

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以外と、観光客が多い。大きな松。黒い砂浜。笑顔。いわゆるビーチとは違う独特の景観。以外と以外と幸せそうなムード。それで、ここを、今回の駿州江尻にしようともおもい、富士だとおもわれる方角に向かって撮影を試みる。が、どうも違う・・・・。この北斎に登場する人物は、「生きる」人々なのだ・・・・。ふじやまは、どこだ・・・・。

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まぁ、とにかく、近くの神社に立ち寄って、祈願でもしてみようと、何となく、足が神社に向かった。「ぼくは、富士山が見えますようにと、祈ったでぇ・・・」「おとん、と、おかん、は、何を祈った・・・」と。えぇ、おとん。そんな呼ばれ方するのかぁ・・・・。

もう少し粘ってみようと、清水港周辺をうろうろする。清水エスパルスの臨時駐車場に入って、接岸する船を横に見て、海から富士山の方角を眺めてみる。・・・・・・。

あっ、うっすらと、富士山が・・・・・。目をよぉーくよぉーく凝らさないと見えないのだけれど・・・・。息子は、え、どこどこ・・・と、急遽、メガネをコンタクトに入れ替えて確認した。このおかしな写真撮影を呆れた様子で、車から眺めていた奥方も車から這い出して、喜喜として海からの富士を確認する。

DSC07843-1北斎富嶽三十六景駿州江尻
写真には写っていないので、手を加えてみる・・・。嘘のようで、本当に富士をみた・・・。

港で働く人々や風が舞い上がる街道を行き交う人々の姿は見れなかった。ノンビリとゴールデンウィークの釣りをする家族の姿を富士山が、ひっそりと見守っていた。風で吹きすさび林立する木立はみれなかったが、対岸には作業を休んでいるクレーンが何本も林立していた。そして、富士山が、うっすらと、見守っていた。

北斎のこの絵には、わざと、傘で顔を隠して描いているようだった。北斎富嶽三十六景東海道江尻田子の浦略図そして、他の絵も、顔を見せないように描かれているシーンも多い。今回の旅の撮影も、それに、従って、顔を隠した撮影にしてみようとおもう・・・・。 次の目的地は「江尻田子の浦」で、時間的には30分ほどの距離。それで、国道で目指す。

DSC07850由比に近づくにつれ渋滞し、渋滞の車の正面に富士山が、時として、ハッキリと、時として、うっすらと、見え隠れしていた。渋滞と富士山を眺めているうちに、そうだ。桜エビだ。桜えび祭りだと理解してきた。

すでに時刻は2時。朝、焼津で、食べ過ぎた事もあって、空腹ではなかったが、その店で見た、桜えびの釜揚げの姿がちらついていたので、漁港に立ち寄ってみる。何だ、祭りは日曜日に終わっていたのだ。それでも、本日も既に桜エビは売り切れました。との表示があり、やっぱり人気があるのだなぁ・・・・・。

DSC07854 売り切れるほどの人気なら、是非、食べてみたい。由比の町に立ち寄ろうと、脳内が呟いたのだとおもう。B級グルメの「静岡おでん」を諦めただけに、やっぱり桜エビを食べよう! と、奥方も急に活気づいて・・・・。ところが、どの店も、満員で、それも、6組も7組も待つ店ばかり、奥方は闘志満満なのだけれど、私と息子は、何度か懇願して、諦めてもらう・・・。

それにしても、諦めきれない様子の奥方の後ろ姿を見ながら歩いていると、3組待ちの店を発見し、「ここどぉ」と指示がでて、こういう時に、素直に従うようになったのは、最近の事で、きっと、それは歳のせいだとおもう・・・・。

それでも20分ほど待つ苦行が必要で、そして、その末に出される、ざるそばに一枚の桜えびの釜揚げを見ると、このために、かれこれ、一時間近くも・・・・と、おもうと、何だか、腹立たしい気持ちにもなるのだが、とりあえず、気を取り直して、食べよう・・・・・。

と、確かに、美味い。 あぁ、丼にした方が良かったかなぁ・・・。いや、もう何枚か頼んだほうが・・・・。などと、「旨味」には勝てない、げんきんな「私」がそこにいて、この苦行を受け入れて良かったかなと、それとなく、奥方の判断に感謝するのだった。

そんな訳で、一転して、由比の町が好きになり、駐車場に向かって、町を歩きながら、息子が、「海があって、川があって、富士山があって、桜えびがあって、ノンビリした町があって、ここに住んでもエエかなぁ・・・・」と、呟いた・・・・・・。

 

そんなこんなの、由比の町と桜えびと旅の話を、新築の打ち合わせ中のお施主さんに語ると、その奥さんが、曰く。私、その町の出身です・・・・・と。小さい頃から当たり前に、いつも富士山があって・・・・、大阪に来て、久しぶりに郷里に帰り、久しぶりに富士山を見ると、富士山っていいなぁ・・・・。いい町だなぁ・・・・と。・・・・・。

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次の週の打ち合わせ日の事、郷里からわざわざ桜エビを取り寄せて、打ち合わせに持参してくれた・・・・。その「桜えび」の味は、「美味い」と「感謝」と「旅の思い出」が交錯する味だった・・・・。


PS
それはそうと、本日と明日、会社の研修旅行、別名、慰安旅行とも言いますが、社員と協力業者の人々を交えての催しがあります。それで、月曜日は、臨時休業となりますので、ご理解のほど、よろしくお願い致します。

そんな訳で、前回の決意と違って、今回も、この旅のブログを完結する事が出来なかった。記憶もそろそろ薄れかかっているのだが、「続く」となりそうだなぁ・・・・。

投稿者 木村貴一 : 00:33

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2009年06月14日

場所性(北斎と富士とB級グルメの旅その6)

むしむしする。夏が近づいてきた気配をそれとなく感じる・・・・。そういえば、数日前に、梅入りだと、宣言されたようだ・・・・・。

DSC08852生野区のN邸の前を車で通過しようとすると、たまたまご主人が、家の前で、水槽を洗っておられ、 声をかける。それで、屋上に、ズカズカと上がらさせて貰って、それは、1年ぶりぐらいのことであり、その屋上緑化の成長ぶりを見て、あぁ・・・、エエ感じ・・・と、しばしの間、和む。

建て売り住宅が建ち並び、高いフェンス越しに、家々の屋根を眺めながらの、屋上の景観は独特で、生野区的でもあり・・・・。その水槽には、カメさんがいて、施主のNさんは、亀平ブログ なるものも運営している、カメ好きで、それに、この建物を設計した林敬一さんもやっぱり、そういった類の好き者で・・・・。そんな訳で、この住宅は、設計者と施主とそれに私たち工務店の三者がうまく絡み合って出来上がった家かなぁ・・・・・と、夕日を背に浴びながら、脳内が呟いていた・・・・。

DSC08805堺で、タカヤマ建築事務所設計による木造住宅の上棟があり、大工さんというのは、 まぁ、なんとも軽やかに、梁と梁の間を飛び跳ねながら、渡っていくものだなぁ・・とおもう。
なんて事を書き出してみると、脈略もなく、あの「全盲のピアニスト」のテレビでの映像がよぎる。鍵盤の上を飛び跳ねるような軽やかなあの指。そして何よりも、それを支え続けている家族のあの姿。全力の全盲のあの「姿」と「音」から、その「背景」まで、なんとなく想像してしまい、少々目頭が熱くなった・・・・。

DSC08831 大阪の平野区の「平野郷」の中に、正業寺というお寺があり、うちの会社が建築した建物ではないのだけれど、そのお寺や家のメンテナンスに、何十年間も出入りさせて頂いている。いま、ダイニングキッチンのちょっとした、リフォーム中で・・・・。それはそうと、その門は、平野郷で一番古い門だという。いつも、そこにお伺いする度に、その門を眺める。そして、その門を造った、名もなき大工の技とセンスを見て、エエなぁ・・・・・・・・と、いつも、溜息をつく。

 

溜息・・・・。そう、富士山が現れない、「北斎と富士とB級グルメの旅」の話を完結するべきものなのかどうか・・・。DSC08907 出発の前日に、こんな地図を作成し、10カ所の富士山の写真を貼り付け、そのうちの9カ所を廻ろうと計画した。1日目に4カ所ほど廻り、2日目のこの日には、4カ所を廻る予定だったのだが、予定外の行動ばかりが続き、せっかく見えかかった富士山も「桜えび」に時間をとられて、すっかり雲の中に隠れ、夕方近くになっても1カ所しか回れずにいて、それでも、脳の中では、取り敢えず、その場所に行き、写真だけでも撮ろうよ。と呟いていたのだとおもう。

DSC07865北斎富嶽三十六景東海道江尻田子の浦略図

北斎のこの絵は「東海道江尻田子の浦」で、それらしき場所に行くと、釣りをする人がいて、レジャーボートが停泊してあり、それらしき方角に人々を見守る富士山がありそうな気配・・・・・。きっと、北斎は、このあたりに出没したのだろう・・・。

そういえば、由比には安藤広重の美術館があり、今回は時間的な事もあって、見学しなかった。それは、北斎も安藤も同じような富士山を描いているのだけれど、北斎の描く富士山は「富士山を見ている人々を見ている富士山」、「富士山の絵を見えいる「私」をその富士山が「私」を見ている」、そんな描かれ方なのだとおもう。それは安藤広重にはないような視点なのかもしれない・・・・・。

DSC07875北斎富嶽三十六景駿州大野新田
車で少し行くと、「駿州大野新田」だった。それらしき場所を車でうろちょろして、探す。ますます天気が悪くなり、それらしき方角の富士山は、見えそうな気配が全くなかった。

DSC07876この写真のすぐ横には、日本製紙の巨大な工場があり、煙突からモクモクと煙が噴出し、何とも言えない臭いが周辺に立ちこめていた。「この周辺の人って、この臭いをずっと嗅いでいるのぉ・・・・」と、奥方が、心配するほどの臭いが、かなり離れたところまで、臭っていた。

北斎の絵のように荷物を運ぶ馬の姿はないが、道路上には、大きなトラックが、何台も何台も走り続けている。写真撮影の背後に走り続けるトラックの音と振動を感じながら、「場所性」というものが、きっとあり、場所の持っている記憶というものがあり、それは、遺伝されるのだと、その時おもった。

生物的な遺伝をする遺伝子を「DNA」というらしい、文化を遺伝する遺伝子を「ミーム」というらしい。場所性を場所の記憶を遺伝する遺伝子は、何と呼ぶのだろう・・・。と、その臭いに辟易とし、とにかく、その場から、一刻も早く脱出したいという気持ちに、そわそわしながらも、脳内ではそんな考えが、くるくると駆け巡っていた。

DSC07889北斎富嶽三十六景駿州片倉茶園ノ不二日が暮れそうだった。駿河湾沿いに沼津から三島に向かう。「駿州片倉茶園ノ不二」がその目的地だった。ところが、そんな雰囲気の場所はまったく、見あたらない。富士山の方角も見当違いなのかも知れない。近くに新幹線が通過する陸橋があり、新幹線の通過する姿を見ながら、撮影をしてみる。

それにしても、この北斎の描くような、楽園的な茶園など、全く見あたらなかった。きっと、このあたりでは、その場所の記憶は遺伝されなかったのだ・・・・。いや、この絵に近い「場所」が、どこかにあるのかもしれない・・・。とにかく北斎の気配すら、富士山の気配すら感じる事が出来なかった。それに、ほとんど日も暮れて、探そうという気力も、ほとんど残っていなかった。

北斎富嶽三十六景山下白雨 そんな訳で、あとひとつの北斎「山下白雨」の富士を残し、B級グルメは富士宮焼きそばを残して、日が暮れてしまった。それで、夜の三島の町をうろちょろしながら、鰻を食べることにした・・。なんで、三島で、鰻やねん、なのだけれど・・・・。

投稿者 木村貴一 : 23:51

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