2015年10月11日

神社と高層ビル

長男の結婚式が、この10日の土曜日大安に、地元氏神さんの清見原神社にて、親族だけで執り行われて、うちで施工している神社なので、若い夫婦自らが、この神社で結婚式を挙げると言い出したのは、すごく有り難い事で、それにしても、30年前の「私」たちの結婚式は、ホテルの中の神前結婚式だった記憶が蘇ってきて、それ以降に何度も結婚式に参列したが、ほとんどが、ホテルや結婚式場に付属する教会の結婚式だったので、「ほんまもんの神社」で挙式を経験するのは初体験だった。

勝手知ったる我が家のような感覚すらある清見原神社で、もちろん宮司さんとも親しく、それに、工務店という職業柄、地鎮祭という儀式がよくあるので、DSC05850「玉串奉奠」や「二礼二拍手一礼」のような作法に慣れていることもあり、服装こそモーニングを着たが、普段着の延長線上のような気楽な感覚で臨んだものの、新婦の打ち掛け姿を見て、生の雅楽が演奏されると、それなりの気分になってくるわけで、こんな時の「雅楽」って、厳かで素晴らしいなぁ・・・と聴きながら記憶に残る結婚式となった。

何となく不思議な感覚になるのが、盃を酌み交わす儀式で、新郎新婦の三三九度も独特のムードが漂うのだけれど、御親族御固めの儀なるものもあり、新郎新婦のように、それぞれの親同士が巫女さんによって注がれた盃を酌み交わすわけで、そういえば、会津の喜多方での結納を交わした時にも同じ儀式をした事を想い出し、それに、夜噺の茶事での千鳥の盃までもが蘇ってきて、こういう盃を酌み交わす儀式を通じて、心が通い合う「きっかけ」のようなものがうまれるわけで、そういえば、玉串奉奠の儀は、玉串を神棚に捧げ、二礼二拍手一礼の儀式と人の願いを通じて、神というか自然(じねん)というかそういう何かと人とが、通じ合う儀式のような感じでもあるわけで、人と人のコミュニケーションや人と自然とのコミュニケーションを深めるための日本文化のもつ風習とか知恵みたいなものは面白いなぁとあらためて思った。

その後、親族だけの食事会のような披露宴を阿倍野ハルカスのホテルの中にある小さな宴会場で催したのだけれど、近くに住んでいるのにハルカスに行くのは初めて。外観のデザインに、これでエエのかなぁ…みたいな感覚があるものの、DSC05904ビルの中から見る大阪の景色はなかなかのもので、そうそう、上から見ると、天王寺公園に出来た新しい「てんしば」が何となくエエ雰囲気で、遊具とかがない、芝生だけのオープンスペースなら、確かに行ってみたいし、いま、都市のなかに、従来の公園とは少し違う、広場というかオープンスペースが、この大阪の街にも何カ所かあれば良さそうに思えたのは、都市の高層ビルからの「俯瞰」のおかげなのだろう。

DSC05864ちなみに、会場に流れたバックミュージックは、長男が持ち込んだマイルスのフォア&モアだったのには少々の驚きと喜びがあったが、神社と雅楽と結婚式、高層ビルとマイルスと披露宴が、親子がお互いに共有できる何かには違いなかった。

そんなこんなで、長男の神前結婚式と、愛と涙と笑いの祝宴が終わり、自分自身が祖父母や両親に祝福されたあの日から30年が経過し、今度は、自分たちの子供を祝福する順番がやってきて、それを体験しながら、ついに「人生」というものを「俯瞰」する年齢になってきたのだと、神社と高層ビルという両極端な建築の中で、実感するのだった…。

投稿者 木村貴一 : 2015年10月11日 23:59 « 足跡 | メイン | 木村家本舗 »


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