2009年05月17日

保険(北斎と富士とB級グルメの旅その3)


保険会社の人が、尋ねてきて、火災保険を上手に選択すると、家のメンテをするのに、費用が出る項目が多々あって、中には、24時間態勢で、水漏れがあれば、駆けつけます。なんていうサービスもあり・・・・。家を守り、維持していくためとして、工務店さんから、是非、有用で、エエ火災保険を提案してあげて下さい・・・・・。

今週の前半の朝に、お会いした方との、そんな様子をふと思いだした。その大手保険会社の担当の方は、つい3年ほど前に、関東で、自宅を建てた。設計士と工務店と一緒に家づくりをした、その期間が、もの凄~く、楽しかったなぁ・・・・と、満面の笑顔で語ってくれた。週末に夜行バスで、家に帰るのが、何とも楽しみで・・・・。帰りすぎて、お金がちょっと・・・・・。

この背後で、奥方は同窓会同窓会とバタバタバタバタ、ガサガサガサガサと騒いでいる。時として、見たこともないような、カバンとかアクセサリーが出てくるのに、少々、驚いたりするのだった。息子は、家の前の道路でバスケットボールをしている。わりと、典型的な日曜日。

そういえば、つい最近、近所の子供達が、家の前で、バスケットボール遊びをしていて、うちの家の窓硝子を割ったらしい。もちろん、ゴメンナサイと、ちゃんと謝って帰って行ったという。それで、その窓硝子をなおすのに、うちの長年お付き合いしている三木硝子さんに連絡をして、直ぐに硝子を取り替えてもらった。

でも、その費用は、どうするのぉ。と、一瞬考えた。そしたら、奥方が、いま加入している、火災保険で、そのお金でるねん。それに一時金として、ほんのちょっとした、お金やけど出るのぉ。と言った。・・・・・。いまここで、そんなこんなの様々な事が、頭の中を、出たり入ったりしているのであった。


そうそう、「ゴールデンウィーク、北斎と富士とB級グルメの旅」だ。


袋井のお風呂屋さんで、湯船に浸かり、普段、全く見ることもない競馬を見て、レストランの椅子に腰掛けると、目の前が茶畑だった。ここは静岡だ。と、ようやく、気付いた。奥方が、突如として、「お茶」 「買ぅぅ」 と、まるで、外国人のような文法で、言葉を放つ。テーブルには、B級グルメの「袋井宿たまごふわふわ」がひとつだけ、ポツンと置かれ、皆で、少しずつ、食す。うまい!とは言い難いお味。まぁ、でも、この旅は、「経験」が、遊びなのだ。

もう4時近くになってしまう。次の目的地は日坂宿で、「遠江山中」で、こんな光景と出会うハズ・・・・。

遠江山中

ナビによると袋井から日坂宿までは、30分ほどだった。国道1号線を進むと、その1号線のバイパスが次々とあり、気が付くと、目的地付近を通り過ぎていた。引き返す。小さな集落の中をうろちょろする。製材所を見つける。進む。停まる。バックする。また進む。曲がる。停まる。進む。なんだか不審者のような気がしてきて・・・・、早々に見切りをつけて、今回は、「遠江山中」は、ここだとする。

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「ここ、知りあいなん?」と奥方が突拍子もなく聞く。確かに、私は、工務店を営んでおり、そうそう、吉野には、今はもう、死語に近づいてきた、銘木屋さんが、親戚にあり、林業を営む吉野の山持ちさんが、親戚にあり、ちなみに、吉野川沿いにある、「こばしの焼き餅屋さん - Google 検索」も親戚であって、小さい頃には、数ヶ月に一度、吉野に住む親父のお兄さんが、そのやき餅を持って、大阪にやってくるのが、かなり楽しみだった。

こし餡が好きか、つぶ餡が好きか、どちらが「通」かで、いつも楽しく論議したものだ・・・・・。これもB級グルメ、ご当地グルメと呼ぶのだろうか・・・・・・。それはともかくとして、大阪からこんなにも「遠い山の中」に、知りあいは居なかった。

「木」や「お茶」を生業(なりわい)とする人々、が、この界隈には、何軒か、生活しているようだった・・・・・。出かけよう!北遠へ-ふるさと散歩道  「大鋸=おが」は製材に使われました なんていうホームページにも出くわす。この北斎の描いた絵を眺めると、巨大な木材の上に乗って、大鋸(おが)という鋸(のこ)を使う職人さんの、その「腰」の、あの「丸み」が、何とも、エエ感じ・・・・と、いつもいつも思うのだ。「リアルな何か」を感じるのだった。

そして、その絵を見ると、小学生の時に、描いた、家を建てる大工さんの絵を思いだし、その絵の中で、大工さんが、木材を2階に引き上げる作業姿の、その絵の、腰つきを、いつもおもいだすのだった。

それにしても、富士山は見えない。ほんとうに、この辺りから、富士山が見えるというのだろうか・・・・。そんな気にさせらがゆえに、見てみたいとおもった。どこかで、富士山が堂々と隠れて、見守ってくれている。ハズだった。

日が暮れていきそうな気配。やっぱり、今日は、大井川までは、金谷宿までは、目指そうと思う。旧の国道か国道1号線か、どの道を進むめば良いのかわからなかったので、なるべく、狭くて、曲がりくねって、ゆっくりと進む道を選択する。

曲がりくねった山坂道だった。近くに石畳があります。という標識が通り過ぎていく。時折、歩く人。あの「腰つき」で自転車をこぐ人。と、すれ違う。この道を走ってようやく、私たちも東海道五十三次の一部を走っているのだと実感がわいてきた。あぁ、今から思えば、金谷の町に寄り道すをるべきだったかなと、ちょっと、後悔する。

東海道金谷の不二

次のチェックポイントは、「東海道金谷の不二」だっDSC07588た。川を渡る。越すに越されね大井川を渡る。その当時の一大イベントに出会えるハズもなく・・・・・。後続車が後ろにピッタリとくっついていた事もあって、何だか勢いで、大井川を渡ってしまった。あぁぁぁという間の出来事だった。あっけなく島田宿に到着してしまう。

DSC07589 「情緒」は諦めて、兎に角、写真撮影だった。さて、どうして、写真撮影をすれば・・・・。そういえば、「蓬莱橋(ほうらい橋)」という木造の橋があるらしい・・・・。暮れていきそうな大井川沿いを走り、その木造の、とにかく長~い橋に辿り着く。以外と、まだ、多くの観光客が、その橋を渡っていた。橋を渡る通行料金を支払う。その時、おもった。あの高速道路の1000円は安いのだろうか・・・高いのだろうか・・・・・。

DSC07597

さて、その橋から、取り敢えず、撮影してみると、どうも方角がおかしい。「その方向、絶対間違ってるとおもうワ。」というダメだしがある。確かに・・・・。いったい富士山はどこに・・・。影も形も気配さえも感じられなかった。方角を変えて取り直す。DSC07615 DSC07620

この橋を往復するのに40分ほどもかかった。人間の心理とはおかしいなものだなぁ・・・・。なんだか、途中で引き返すのが、「諦めた人間」と思えてきて、往復しなくては、「ダメ人間」のような気になるのだ・・・・・。ほとんどの多くのカップルが、語らいながら、仲良く手をつないで、往復していた。

帰りの改札所で、おっちゃんに、富士山の方角を聞いてみる。「ここ一週間ほど、まったく見えないね。橋の真ん中で見ると、山の上に富士山の美しい姿が見えるんですがねぇ・・・・・」と、その言葉を聞いて、富士山を見た気分にすることにした。

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当時の人々は、この川を渡るのが、一大イベントだったに違いない。この川を渡る事で、いろいろな「決意」を固めたのだろうか・・・。富士山に見守られながら、川の真ん中からその決意を富士山に向かって誓ったのかもしれない・・・・と、ちょっとセンチメンタルな想像をしてみた・・・・・・・。

 

この後に及んで、旅行に来て、全く、遊んでいないぃ!!と、息子が、言い出した。体を動かしていない。と・・・・・・。えぇ、先ほど、歩いて、橋を渡ったのは、運動ではないのぉ。と問いかけるのはムダなことだと、最近気付いてきた「私」。

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川と芝生と夕暮れの青空と飛行機雲と月と鉄橋と夕焼けが同居する中で、サッカーのボールを思いっきり蹴り。キャッチボールのボールが見えなくなるまですると、不思議にまた、お腹が空いてくるのだった。今夜は、この河川敷で、宿泊すると決め、食料を求めて、近くのスーパーに行く。「生しらす」とか、造りとか、お寿司とか・・・・、それに、朝方に買った変わった種類の「ちくわ」も・・・、それらを夕食として、ほとんど人のいない、大井川の河原で食す。

満腹感。それよりも、背後から迫り来るブログへの切迫感に観念した。その河原で、ノートパソコンを広げ、「あっぷ」したのが、「あれ」だった。もちろん、その直後、この長~い一日を終えて、寝られることが、何とも嬉しくて、あっという間に眠りについた。

投稿者 木村貴一 : 2009年05月17日 17:19 « 断熱(北斎と富士とB級グルメの旅その4) | メイン | 再起動(北斎と富士とB級グルメその2) »


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